memo

日本号のちょい呑み配信6



 
「そっかぁ、長谷部は『日本号のちょい呑み配信』知らなかったんだね」
 朗らかに笑う主に、出そうになった溜め息をぐっと堪えては相槌を打った。
 うちの日本号が「ちょい呑み配信」の日本号である予感を覚えたのは先週のこと。しかし当刃へ馬鹿正直に確認することもできず頼ったのは主で、あくまでもさり気なく帰城報告後に聞いてみたのだった。
 溜め息を堪える俺に違和感を覚えるだろうか。そんな心配はあったが、主は気にする素振りなく話を続ける。内容はつい先日あった共和えの配信であり、調理中に語られた赤すぐりのケーキについて不満を漏らす。話によると赤すぐりは主が育てていた果実であり、大量に採れたのでいくつか小豆にあげたのだという。
「折角ならひと切れくれても良かったのに」
「次回作る際は主へ渡すよう伝えておきます」
「機会があったらお願いね」
 相変わらずにこにこと笑う主を見るに、配信は秘密にしていたものでも同時に特記事項というものでもなかったらしい。
 つまみ作りが高じて博多と組んで配信を始めた。それだけのことなのかもしれない。配信自体特別な資格は要らない、要るのは主の許可くらいだ。
 日本号が配信をやっていても、本丸の運営に影響しなければ問題ない。それについては俺が気付かなかった程だ、うまいことやっていたのだろう。
 日本号が配信をやっていたことについて、納得できないのかといえばそんなことはなかった。次郎太刀が先に料理配信をしていた土台がある上に、それを聞きつけた博多が収益を期待し、日本号へ動画配信を持ちかける流れも想像出来る。加えて主も配信に対し好意的な様子だ。納得は出来ているというのに何か引っ掛かりを覚えるように、腹の中がもやもやする。
 俺の知らないところで配信をしていたからか? いや、それは結果論であり、主は勿論のこと、日本号も博多も内緒で配信活動をしていたわけではない。たまたま俺が知らなかっただけなのだ。
 そう考えるのに、引っ掛かりが解消される気がしない。だが、主を前にそのことばかりずっと考えるわけにもいかず、話題を変えることにする。
「ところで先の連隊戦の編成ですが、いかがしますか」
 坊主も走る師走はもう直ぐ。本丸ではちらほらと冬の連隊戦の話題が挙がっており、皆が今か今かと部隊編成の発表を待っている状況である。俺も編成内容を知りたいひと振りであり、近い内に伺おうと思っていたことだ。
 主はこほんと咳払いをひとつ、記録端末を開く。
「具体的な編成はまだ決めていませんが、今回は第一、第二部隊の二部隊が連隊戦へ出陣、第三、第四部隊は遠征で砥石集めに徹します。編成については遅くとも今週末までには皆に知らせます。……そうだ。連隊戦では薙刀の育成を計画しているので、岩融と巴形の二振りは出陣が決定しています。もし当刃たちから連隊戦について聞かれたら、出陣することだけは決定していること、その他詳細は後日改めて伝えることを教えてください」
「了解しました」
 すると今回は薙刀を主体とした部隊になるのか。果たしてどのような編成になるのかと考えて、薙刀のひと振りである巴形の顔を思い出してと苦い顔になってしまう。顕現間もない時のように時間が許す限り主に付き纏うことはなくなったが、連隊戦で厚遇されていると知ったらと考えると嫌な想像ばかりしてしまう。主に従順な奴だが、過ぎた行動が多いのがいただけない。そのような性分と割り切って接しているが、それでも辛抱ならない時がある。
 だが、こうして主からお願いされて、……いや、巴形と連隊戦の話題にならなければ良いのだ。そうだ。そうすれば良い。決してこれは逃げではない、円滑な本丸運営の手段だ。それに部隊編成が決まったら改めて伝えられるのだ。俺が言わなくても問題はない。
 そうして主と連隊戦の編成について暫し話した後、俺はその場を後にする。
 今回の連隊戦が薙刀が主体ならば攻撃範囲の広い大太刀と組ませ、俺のような打刀は遠征に回るだろうか。だが、矢や投石から薙刀を守る目的で打刀を採用する場合もあるので、連隊戦の部隊に組まれる可能性はまったくないわけではない。
 主はどのような采配をするだろうか。思いつく限りの編成を考えていると、何振りかの男士が大鍋や食材を抱えて庭に歩いていくところを発見する。
「お前達、庭に鍋なんて出してきてどうした」
 男士の中のひと振りである鶴丸が俺の呼びかけに反応して立ち止まると、横を歩いていた大倶利伽羅に鍋を渡してこちらへやってくる。
「この時期に庭へ鍋を出してやることはひとつさ。今年もやってき芋煮会だ」
 芋煮会と聞いて、浮かんだのは小豆長光と燭台切の顔で、鶴丸を一瞥し、そして直ぐに鶴丸と一緒に行動していた男士達を見る。大倶利伽羅に五虎退、謙信景光……一見何の繋がりも無さそうな四振りだが、俺には心当たりがあり、再び鶴丸へ視線を戻す。
「あの、芋煮会か」
 芋煮会とは東北地方各地で行われる季節行事のひとつで、秋に野外で大勢集まって里芋を使った鍋料理などを作って食べる行事である。東北に縁のない俺は刀剣男士として顕現するまで知らなかったが、その地にいた刀剣男士にとってはお馴染みの行事らしい。それだけならば良い。別に芋煮会に限らず各地には季節行事はある。だが、その芋煮会は特別な事情があるのだ。
「なんだいその含みありそうな言い方は。芋煮会は二年前からやっているじゃないか」
 和やかに話す鶴丸は、それでも瞳に宿るものがどこか怪しい気がする。
 ただの季節行事のように話しているが、俺はとある噂を聞いている。それはこの本丸で開催されるようになった芋煮会で、仙台の伊達と山形の上杉が競っているというというのだ。
 なんでも、小豆の作った山形仕様の芋煮を「牛鍋」と燭台切が言ってしまい上杉の反感を買っただとか、逆に燭台切の作った仙台仕様の芋煮を「豚汁」と小豆が言って伊達の反感を買っただとか。又聞きした話のためあくまで噂は噂だと割り切っているのだが、厚が「東京銘菓『ひよこ』みたいなもんか」と合点する様を見て以来、どことなく噂に信憑性を感じてしまっているのだ。
「まあ兎も角。今日は庭で芋煮会だから昼餉は芋煮だ。時間が近くなったら庭へ来てくれ」
「相わかった」
 楽しみにしていてくれ、と軽やかに庭へ掛けていく鶴丸を見送る。その軽やかさは単純に皆を集めて開催する芋煮会が楽しみだからなのか、それとも別の理由があるのか……。刀剣男士の殆どは好戦的なため、芋煮会を通して競えることを楽しみにしている可能性を考えると鶴丸の真意が掴めない。まあ、鶴丸の意図や不穏な噂はどうあれ、こちらは二種類の芋煮を食べることができるのだ。それに伊達には燭台切、上杉には小豆という料理番がいるし、少なくとも食物で遊んだり無駄にすることはあるまい。あまり気にすることはないのかもしれない。
 ならば、昼餉まで自室で時間でも潰しているか。今日はもう任務はない、溜まった仕事もない。
 それなら適当に本でも読んで過ごそうか。最近は日本号のこともあって読書なんて気分にもならなかった。
 ……連隊戦や芋煮会で忘れかけていたというのに、日本号のことを思い出してしまった。そう思うと途端に心地の悪さを覚えて、気を紛らわせるように肩を回す。
 芋煮会に限らず、日本号のことだってあまり気にすることはない。気にし過ぎても俺にとって良いことはないと、仕切り直しとばかりに頬を叩く。
 さてと読書だ読書。庭先で突っ立ってないでさっさと自室へ行こう。自室へ戻り、タブレット端末から書籍を読もうとして……日本号の配信通知が来ていることに気付く。どうして気にしないようにした時に限って配信を始めるのか。
 不満を募らせても配信を始めるのは日本号の都合だ。取り敢えず通知は見なかったことにしよう。
 通知を消そうとして、昼餉に合わせて芋煮会が開かれることを思い出す。これまでも昼から配信を始めて酒のつまみを作ることはあったが、これから本丸で芋煮会を始めることを踏まえると違和感を覚える。伊達と上杉が本丸の面々に二種の芋煮を振舞おうとしているところ、わざわざ別のものを作って飲もうとするようなことはしない筈だ。
 そう考えるととても気になってしまい、動画プレイヤーを読み込んでしまう。
『――…芋だけを入れたら具が浸るより少し多めに水を入れて強火にかける』
 映像中央に火にかけられた大鍋が映る。見る限り鍋料理を作っているようだ。
 これから芋煮を振舞うというのに配信でも鍋料理を作っているのか。
 もしや芋煮会をやるのを知らないのか? 俺も庭へ調理器具を持っていく姿を見て知ったくらいなので、日本号が知らない可能性はありそうだ。それなら教えた方が良いかと悩んでいると、視聴者コメントにちらほらと「芋煮」と出ているのが目に付いた。
『沸騰したら火を弱めて、さっき用意した醤油と酒、茸と長葱、鶏肉を入れて里芋が柔らかくなるまで煮込んでいく』
『ええと。今作りようとは「芋煮」じゃなくて「芋の子汁」じゃなかと? とコメントあったけど、どげんな?』
『岩手や秋田で食べられる芋の子汁であってるぜ。ただ、今回は「芋煮」のひとつとして紹介させてくれ。今日はうちの本丸で芋煮会をやる予定で山形内陸の芋煮と仙台の芋煮が用意されるから、便乗してちょいと変わった芋煮ということで芋の子汁を出そうと思ってな』
 芋煮会については俺の杞憂だったようだが、知っているならどうして鍋を作っているのか。しかも発言から察するに、日本号は芋煮会に合わせた上で芋煮を作っている様子だ。
『東北中心で開催される芋煮会の時期になると、山形内陸で食べられている牛肉を入れて醤油で仕立てた芋煮と、仙台で食べられている豚肉を入れて味噌で仕立てた芋煮のどちらが「本物の芋煮」かと話題になることがあるんだが、他にも北東北辺りに鶏肉入り醤油仕立ての芋煮があるというのに話題に出ないんだ』
『そりゃ芋煮じゃなくて、芋ん子汁ちゅう違う名前やけんかな』
『その可能性はありそうだな。あと、北東北には鶏肉と醤油の組み合わせで有名なきりたんぽ鍋もあるから、芋煮よりそちらに近い料理として認識されているのかもな。……おっと、灰汁が出てきた。こうして灰汁が出てきたらこまめに取ってくれ』
 ぐつぐつと煮える鍋の表面に浮かぶ灰汁をお玉が器用に掬っていく。
『年に一度の芋煮会、より多種類の芋煮を食べ比べられたら面白いだろう?』
 芋煮会を目前に控えたこの時間に配信を始めたことへ違和感を覚えたが、芋煮を拵えて参加するつもりであるなら納得だ。これまで見てきた配信の日本号らしさを垣間見て、少しでも疑ってしまったことに先程とは違う腹の不快感を覚えて堪らずタブレット端末をそっちのけで自室を出る。向かうのは次郎の部屋。日本号と博多が配信をしているだろう厨がある場所でもある。
 行ったところで何をするでもないのだが、少しでも悪い方へ考えかけてしまったことが悔しくて足はどんどん目的の厨へ進む。
 俺の部屋から次郎の部屋は離れていた筈だが、無意識の内に速足で歩いていたようで、あっという間に到着する。そして部屋の扉を叩こうとして、改めて日本号と博多が並んで厨に立っている姿を想像して汗がじんわりと出てきた。
 別に。別に、二振りと対面して何かあるわけではない。主から配信のことは聞いたのだし、何を意識することがある。
 拳を握りしめて仕切り直しと扉を叩く。だが、室内からは反応がない。いつもの厨で配信をしていたのを観ていたので、少なくとも日本号と博多はいる筈だ。もしかして気付いていないのか?それならと少し強めに扉を叩くと小さいながら次郎を呼ぶ日本号の声が聞こえた。
 しかし、それ以上の反応が返ってくることはなかったため、思い切って扉を開けてみた。
「……?」
 開けた室内には部屋の主である太郎次郎の姿はなく、厨がある奥が薄ら明るい。勝手知ったる次郎の厨なのかもしれないが、部屋主不在で配信をしていたということか?親しいとこういうのは普通なのだろうか。そういえばこの間餅や団子を作っていた時も太郎と次郎は居なかったな。
 予想外の状況に驚きつつ、気を取り直して目的地である奥の厨を覗く。
 視線の先に見慣れた料理風景が広がる。だが、見慣れているのは動画プレイヤーで見た映像に限った話であり、厨の中心で鍋を掻き回す日本号の姿に流れた汗が冷たくなってくる。
 勢いのまま来たが、一体どう声を掛けよう。入ったは良いもののまったく考えていなかった。考える余地はあったというのにどうして考えなかったと後悔していると、こちらに気付いた日本号が驚きに目を見開く。明らかに動揺している様子は焦燥を煽るのに十分で、思わず四肢が硬直する。
「あ!長谷部やなかと。どげんしたと?」
 驚く日本号の近くを黄色いものがぴょんと跳ねる。それが博多の頭だと気付いた途端、一気に強張りが解ける。
「あ。ああ、その。芋煮会に出す芋煮を作っていると聞いて。手伝いに」
 咄嗟に出た一言にもっとましな言い訳があっただろうと内心突っ込む。だが、他に思い付くものがない。
 そんな俺の心境に気付いていないのか、驚いた顔のまま黙っていた日本号がぱっと表情を明るくする。
「手伝いとは有難え。それならこの鍋を庭先まで持って行ってくれないか。俺はここの後片付けをしてから会場へ向かう」
 探りを入れず素直に俺の申し出を受けてくれたのは助かる。鍋を受け取りに厨の内部へ入るといよいよ配信内と同じ光景が見えてしまった。配信でいつも使っている調理器具に、目立たないところに屑入れあるのを発見している内に耳の裏からどくどくと音が聞こえてくる。まるで出陣先で敵に見つからないよう偵察している時のような緊張感を覚えていると、横から何かを差し出される。
「鍋つかみならここだぜ」
「鍋つかみ?」
「周りを見渡していたから鍋つかみを探していたと思ったんだが違ったか」
「……いや。探し物はこれだ」
 周囲を気にしていたのはまったく別の理由だが、これは誤解させたままの方が都合が良い。日本号が差し出してきた鍋つかみを装着すると慎重に鍋を持って移動始める。すると撮影機器を片付けた博多が部屋の出入口へ駆けていくと、扉を全開にした。
「扉はこっちで開くるけん、長谷部はついてきてくれん」
「宜しく頼む」
 両手が塞がっているので有り難い配慮だ。そうして博多先導で庭へ到着すると、大きな食卓と椅子が並ぶ横に伊達と上杉の面々がそれぞれ寸胴鍋を囲っていた。その内のひと振りである鶴丸が俺達に気付いて手招きしてくる。
「もしや日本号の芋煮を持ってきてくれたのか」
「ああ」
「それならこっちの空いている携帯焜炉の上に置いてくれ」
 言われた通りに焜炉へ鍋を置くと、早速鶴丸が鍋の中を確認する。鍋を開けた途端に湯気と共に鶏の旨みを乗せた匂いを嗅いで、吟味するように目を細める。
「お小夜から聞いてはいたが、少し場所が変わればこんな芋煮があるんだな」
「小夜?作ったのは日本号だったが……」
「そうそう。小夜から過去に一時期滞在した秋田には醤油仕立ての鶏の芋煮料理があると教えてもらった日本号が、芋煮会に合わせて作ることにしたんだったか」
 東北に縁のない日本号が芋煮の事情を知っていたのは小夜から聞いていたのか。成る程と納得していると、にやにやと含み笑いをした鶴丸がこちらを見つめていることに気付く。
「ところで、きみが日本号の料理を手伝っているとは珍しいな。むしろ初めて見たかもしれない」
 含み笑いの理由はそれか。日本号がいなくて油断していたが、こいつに目をつけられるとは面倒なことになった。だが、それを露骨に顔に出すといよいつけこまれてしまうので、何もない素振りをする。
「昼餉に合わせての催しだろう。遅れては良くないと思い手伝ったまでだ」
 そのようなことはまったく考えていなかったが、何の考えもなしに手伝っていることについて鶴丸が興味を持ってしまうと始末が悪い。無難な返答をしてやり過ごしていると、ちらほらと男士達が集まり始めていた。
 そのことに鶴丸も気付いたのか、手を振りながら周囲へ呼びかける。
「やあお集まりのみんな。芋煮はもう出来ているから、器を受け取って鍋の前に並んでくれ」
 早速食器を手に男士達が並び始め、日本号が作った芋煮鍋の前にも数振りが並ぶ。すると鶴丸がお玉を差し出してきたので、思わず奴の顔とお玉を交互に見つめる。
「日本号の手伝いなんだろう?作った本刃はまだ来ていないから代わりに芋煮を注いでくれないか」
 なんで俺がそんなことをしなければならないのか。そう返す前に鶴丸は俺にお玉を押し付けると「こちらはこちらでやることがある」と一言、離れていってしまった。
 まったく勝手なことを頼んでくる。少し待てば片付けを終えた日本号が来るのだし、俺がやらなくても良いのではないか。とはいえ、鍋の前に列がある上に……先程から向けられる視線が気になって仕方ない。それは俺と一緒にここへ来た博多のもので、堪らず先程までいた厨の方へ視線を向けると日本号がやってくるのが見えた。
 今回ばかりは日本号がやってきて助かった。奴は周囲に軽く会釈すると俺の隣にやってきたので早速お玉を押し付ける。
「お前が作った芋煮を待っている奴がいるぞ」
「ほう。そいつは済まねえな、食いたい奴は順番に器を渡してくれ」
 嫌な顔せずお玉で鍋をかき混ぜる日本号に安堵していると、不意に腰をつんつんと突かれる。腰の近くへ視線を落とせば博多が俺を見上げながらお椀と箸を差し出してきた。
「長谷部もおいしゃんの芋煮食べよ!」
 短刀らしい無邪気そうな笑顔を共に向けられて、素直にそれらを受け取ると服の裾を引っ張られて列の最後尾へ連れてこられる。そこは日本号の鍋に繋がる列で、思わず博多の顔を見返す。
「……もしかして、他に行きたかところがあったと?」
 見つめ返してくる博多は相変わらず無邪気そのもので、俺は半ば反射的に首を横に振ってしまい僅かに後悔する。しかしこちらの心境など知らない博多は俺の腰辺りをぽん、と叩いて笑う。これには毛利藤四郎のような性質を持っていない俺も愛らしいと感じるもので、つい先程感じた後悔の念が薄れていくようだ。
 そう。この列に並ぶのは博多の誘いに乗っただけ、何を意識することがある。列へ引っ張ってきた博多の笑顔に抗えなかったのは本当なのだし、種類豊富な芋煮が振る舞われている催しなのだからいずれ日本号が作った芋煮だって食べるのだ。そう考えるとどうして悔やむことすらあるとも思えてくる。
 そしていつの間にか列の最前は俺になっており、日本号がお椀を催促してきた。
「俺が作ったもんが一番とは言わねえが、上杉や伊達が作った芋煮と肩を並べるくらいには美味い自信があるぜ」
「この芋煮は小夜に教えてもらったのだろう。美味くならない方が難しいんじゃないか」
 自然と出てしまった捻くれた言葉に対し、日本号は口角を上げて笑う。
「そりゃあそうだな。まあ美味いものを食べられるのは良いもんだろう?」
 差し出されたお椀を受け取った日本号は芋煮をたっぷりと注ぐ。それはもうお椀の中心に具の小山が出来てしまう程だ。
「多くないか?」
「そうか?みんなこんなもんだろう」
 受け取った芋煮をようく見た後、周囲の男士の様子を伺う。だが、流石にお椀の中に注がれた芋煮の量は確認できない。
「長谷部?後ろがつっかえとうと、横によけてくれん?」
 ふと博多に急かされ後ろを見ると知らぬ内に数振り並んでいたため、言われた通りに横へ移動する。
「あっち空いとうけん座って食べよ」
 博多が指差す先には誰かが用意した野営用の椅子と食卓が設置されている。昨年も一昨年もいつの間にか設置されていたが、あれも伊達と上杉で用意したのだろう。
 芋煮会の醍醐味のひとつは屋外での食事と言ったのは山鳥毛だったか。いや、燭台切だったか……鶴丸かもしれない。いずれにしても伊達と上杉の誰かだろうと思いながら席について芋煮をいただくことにする。
「美味かあ」
「ああ」
 隣で博多がしみじみと言うのに相槌を打ちつつ、一口食べるごとにじんわりと腹の底から温かくなってくる感覚が心地よい。屋外での食事が醍醐味というのはこういうことなのかと納得しながら箸を進めていると、博多が芋煮を食べながら「ふふふ」と笑い始める。
「むぐ、……どうした博多」
「いや、美味かねぇて思うたら嬉しゅうて」
 そう言って笑う博多は本当に嬉しそうだ。それだけ芋煮が美味いとわかる表情に、これを作った日本号の顔が浮かぶ。その顔は今の博多のように嬉しそうで、腹の温もりが一気に全身へ巡るように熱くなってくる。だが、こちらの変化も知らず博多は満足そうに芋煮を食べるので、俺は黙々と芋煮を食べるしかできなくなってしまった。

 日本号の芋煮を食べ終えて他の芋煮も取ってくるという博多を見送ると、盛大に溜め息を吐く。幸いにも溜め息に気付く者はおらず、安堵に空を見上げた。青みの少ない空模様は冬によく見るもので、微かに吹く風もどことなく冷たい気がする。
 山の方では雪が降り始める時期なのだから気のせいではなく実際冷たいのかもしれない。そうしてぼんやりと空を眺めていると、不意に後ろから肩を叩かれる。振り返ればそこにはお盆に幾つかの食器を乗せた日本号がいた。
「よう。全種の芋煮はもう食ったのか」
「まだ最初に食べたものだけだ」
「そりゃあ丁度いい」
 言うなり日本号は俺の目の前の食卓へお盆を置く。先程食べたものとは少し違う芋煮がふたつと、お猪口と徳利が乗っている。
「昼から酒とは感心しないな」
「まあまあ。既に飲んでいる連中もいるというのに俺だけ駄目ということはないだろう」
 改めて周囲で食事をしている者を見れば確かに、ちらほらと麦酒や酒瓶を持つ男士がいる。ここから見えるだけでも複数いるのならば、庭全体を見ればもっといるだろう。
「まあ……飲みすぎないように」
「勿論。後片付けもあるから徳利一本だけだ」
 料理とは作って食べて終わりではない。食べた後に食器や調理器具を片付けてようやく終わりなのだと、自分でも積極的に料理をするようになって実感したものだった。
 配信では片付けの様子など見ることはなかったが、日本号もこうして後片付けを意識しているのはどこか新鮮な心地を覚える。良く言えば堅苦しさのない、悪く言えばいい加減な日本号の料理配信だが、やるべきことはやっているのか。
 素直に感心していると、日本号がお猪口をこちらへ突き出してくる。
「あんたも一杯どうだ」
「はあ?何だって俺が……」
「手伝いに来てくれただろう?その礼だ」
「手伝いっていっても鍋を運んだだけだぞ?」
 それも手伝うことが殆どなくなった頃に勝手にやってきたのだ。日本号からすれば顔出しにきたみたいなものだった筈だ。
「鍋を運ぶのだって立派なもんだぜ。博多はあの体格もあって鍋は運べねえし、俺は流しの片付けをしたかったから良いところに来たもんだ」
「……そういうなら、いただこう」
 お猪口を受け取ると日本号が早速徳利を手に酒を注いでいく。ふんわりと日本酒特有の甘い香りがして、思わず頬を緩めそうになる。
 まだ酒の一滴も入っていないというのに気が弛むのが早いと咳払いをひとつ、日本号を睨み上げる。
「その。こういう催しだ。最初の一杯くらいは酌をしよう」
 少しばかり労いの念もあったが、それは口には出さずお猪口を置いて徳利を受け取るため手を差し出す。すると日本号は驚いた様子だったが、すぐに嬉しそうに目を細めると徳利を渡してくる。
「ああ、折角の芋煮会だしな」
 日本号の指が摘むようにお猪口を持ち上げると僅かにこちらへ傾けてきた。慣れた様子に手が止まりかけたが、気にしていない素振りでお猪口にそっと酒を注いでいく。
 とくりとくりと音がする度に香りが強くなってくる気がする。
「結構香りがするものだな」
「少し燗付けしたせいだろう」
 ただ酒を持ってきたのではなく燗付けまでしてきたとはちゃっかりいしている。いや、手際が良いというのか。こういうのをさり気なく用意出来るのは流石は酒呑みといったところなのだろう。
「さて。冷めねえ内に乾杯と行こうじゃないか」
「ああ」
 中身を溢さないよう控えめにお猪口を合わせると、まずは一口飲んでみる。燗付けしたというには結構温めの酒はまったりとした優しい口当たりだ。
「うん。やっぱ人肌で正解だったな」
「人肌?」
「燗付けの温度のことで、今飲んでいるのは人肌程度に温めた人肌燗だ」
 直球な名称だがわかりやすい。人肌程度なら温く感じるのも納得だ。
「それで、人肌で正解とは」
「酒はあまり熱してしまうと香りも味わいも強く出てな。汁物と一緒に飲むなら酒精を控えようと思って用意したんだが、予想通り相性が良かった」
 配信でも作った料理と酒の飲み合わせを語ることがあったが、普段から飲み合わせを考えているのか。日本号という刀剣男士の性質を考えれば造作ないのかもしれないが、配信で聞いてきたことを直接語られるとむず痒い気分になってくる。
 それを誤魔化すようにお猪口の酒を呷る。温かった酒は一気に喉を通るとやけに熱く感じて、堪らず咽せそうになってしまう。
「おいおい、いくら一杯が少ないからって一気飲みしたら酒が回るぞ」
「これくらい飲んだ内に入らん」
 普段なら到底言わないような文句を返せば、日本号は目を丸くした後にどうしようもないと言わんばかりに苦笑した。だが、呆れる様子は一切なく、どこか嬉しそうにも見えて居た堪れなくなってくる。
「へぇ……お前さんがそんなことを言うとはなあ」
「うるさい」
 精一杯の抵抗とばかりにそう言えば日本号はいよいよ声を上げて笑ったので、俺は半ば自棄になって睨みつけるしか出来なくなってしまった。

 
   ◆◆◆

 
 師走を迎えて連隊戦に出陣するようになった本丸はいつにも増して忙しない。夏にも連隊戦はあるものだが、冬の方が大変に思えるのは季節のせいなのか。そんなことを考えながら、うっすら雪が積もり始める外を眺める。
「そろそろ雪かき当番を組んだ方が良いという意見が出ているので当番を組もうと思っているんですけど、長谷部さんも一緒に考えてくれないですか?」
 本日の近侍である秋田藤四郎が真剣な眼差しで俺を見上げてくる。相談だと、紙を抱えて俺の部屋まで訪問してきたのでどうしたかと身構えたものだが、その内容は毎年冬になると話題に挙がるものだった。
「俺でよければ助力しよう。今日は出陣どころか内番も無くて暇していたところだ」
「ありがとうございます。一応、連隊戦に部隊編成されていない男士を書き出してきたんですけど、この中から選出しても良いですか」
「そうだな。あと、積雪量にもよるが雪かきは力仕事になるだろう。小柄な者同士の組み合わせは避けた方が良いな」
「ふむふむ了解です」
 熱心に手持ちの紙へ書き込む様子に、感心と共に和やかな気持ちになる。部隊編成など戦闘に関したものなら張り切ってやるが、本丸運営については面倒という者はそこそこいるので真面目に取り組む姿を見ると気持ちが良いものだ。
 そうして秋田が当番の組み合わせを書き込むを傍らで見ながら、時折助言を交えていると部屋の外から秋田を呼ぶ声が聞こえて戸が開く。こちらの返答を聞かず開けるとは無礼な奴だな。一体誰だと視線を移せばそこには日本号がいて、突然の登場に固まってしまう。
「お。包丁の言う通りここにいたか」
「日本号さんどうしました?」
 驚く俺を余所に、片手を挙げていかにも気さくな挨拶をする日本号に秋田が不思議そうに首を傾げる。
「主がそろそろ出掛けるからとお前さんを探していたぞ」
「あ!そういえばそうでした!」
 飛び跳ねるように立ち上がった秋田はそそくさと紙をまとめると、こちらへ深々と一礼する。
「相談に乗っていただきありがとうございました!主君のお供のため失礼します」
 小走りで駆けていく秋田を見送ると、こちらを見下ろしている日本号と目が合う。
「用事は済んだ筈だが」
「まあ、秋田を呼びにきたのもあるがまだ用があってな」
「俺にか?」
「ああ。お前さんに相談だ」
 いくら連隊戦で忙しくても、俺のように非番で暇している者はいる筈だ。それなのに俺のところへ来るとは一体どういうつもりだ。近侍に就いている秋田なら兎も角、日本号はまったく見当がつかない。
 取り敢えず自室の前で立ち話も目立つかと中へ入って座るよう促す。そうして奴が座ったのを確認すると、向かい合うように座った。
「それで、相談とは」
 極めて冷静を装い日本号へ尋ねるが、内心は緊張がじわじわと増している。そんな俺の内心を察したのか日本号は「すまん」と一言、気まずそうに後頭部を掻く。
「その、相談だと言ったが、深刻なことじゃねえ。そろそろクリスマスだろう?だから主へ渡す贈り物を用意しようと思ったんだが、良いのが思いつかなくてな」
「ああ、成る程」
 年末年間近にあるクリスマス。この本丸では大々的な催しはないものの、所属する刀剣男士達がクリスマスプレゼントと称して主へ贈り物をする日となっている。連隊戦で忙しい中でもクリスマス気分を味わいたいと、四年前に数振りの男士達がクリスマスプレゼントを用意して主へ贈ったのが始まりで、今では恒例行事となっている。
「そろそろとは言うが、クリスマスまで一週間を切っているぞ」
「わかってるって。時間がないからこそお前さんを頼りにしてきたんだ」
 日本号が俺を頼ってきたとは。しかも口元を歪めて決まり悪そうにしているのもあり、俺は少し得意な気分になる。特にここ最近はこいつに調子を乱されることがあったから尚更思うところがある。
「まずは参考までに、あんたは主に何を贈るんだ?」
 既に用意しているだろう?そう言いたげに見つめてくる視線に、思わずふふんと鼻息荒く胸を張る。
「今年は石鹸だ。年々贈り物を渡す刀剣男士が増えてきたから消えものが良いと思っての選出だ」
「消えものか。装飾品なんかより好みはわかるし良いかもな」
「酒はどうなんだ。得意分野だろう」
「勿論考えたんだが、今年はちょいと避けたいんだ」
 酒は値が張るものならそこそこの値段がする。そういう意味でも贈り物には良いと思ったのだが、避けたいとは何かあるのだろうか。
「酒は要らないと言われたのか?」
「要らないとは言われてないが先月に混成酒を作って渡したばかりで、続けて酒を渡すのも芸がないと思ったんだ」
「作った?」
「ああ。主が栽培している赤すぐりの実で作ったんだ」
 洋酒にアカシアを漬けて混成酒を作っている配信があったが、それと似たようなものだろうか。つまみだけではなくああいった酒も作るとは、配信で上げていないところで何でもやっているんだな。
「次郎みたいな大酒飲みならどんどん酒を贈っても良いだろうが、主はつまみ好きでも酒はそこまで飲まねえからなあ」
 飲酒はあまりしないのか。思えば食べ物の話はあれど酒の話題はそれ程多く聞いたことがない。こちらからあまりそういった話を振ったことがないというのも多少にあるかもしれないが、飲まないとなると話題自体がないのも頷ける。
 思わぬところで主の新たな情報を知り、これは忘れてはならないと心に留めては、日本号の話を聞きながら思いついたことを口にする。
「つまみが好きというなら、酒に合う食べ物を贈ってはどうだ」
「つまみか。消えものという条件にも合うし、結構良いかもれねえな」
「それに配信でつまみを自作しているお前なら用意も容易いだろう」
 話の流れでそう続ければ、どういうわけか日本号が歪ませていた口元を真一文字に結んだ。俺の一言に反応したようだが、どういった心境なのか。
「なんだ」
「いやね。この間から気になっていたんだが、あんたは俺の料理配信を観ているのか?」
 まさかの返答に今度はこちらの口が真一文字になる。日本号の料理配信について、主がその活動を知っていることや本刃が隠している様子もなかったのもあり、自然と話題にして良いものと思ってしまっていた。
 だが、きっかけがなければ俺もあの「ちょい呑み配信」がこの日本号が活動していると知らなかったのだ。秘密で活動してきたものではないにしても、普段あまり配信の話をすることはないのかもしれない。
「まあ、その。公の場で任務内容をうっかり口にしていないかと、確認程度に数回程」
 まさかアーカイブ動画を欠かさず観ているだけでなく、時間が合えば実際配信も時折コメントを投下しながら観ているなんて言えるわけがない。あくまで本丸運営に支障がないかを確認している名目だと説明すれば、日本号は納得したように破顔する。
「そうかそうか、ははっ。そうなるとあまりいい加減なこたあ出来ねえな」
「ほう。監視の目がなければいい加減なことをしても?」
「いやいや。一応料理配信だ、あまり変なことはしないさ」
 よく言ったものだ。計量を適当にやって博多に咎められているのを何度も見ているぞ。そのやり取りは嫌いではないので揚げ足取りのようなことはしないが、こちらが知らないと思って調子の良いことを言ってくれる。
「さて。贈り物はつまみで決まりとして何にするか。美味いもんより物珍しいもんが好きそうだが」
「折角のクリスマスだ。それにちなんだ食べ物にしてはどうだ」
「クリスマスと言えばケーキや鶏か……」
 日本号は暫く悩むように唸った後、思いついたとばかりに膝を打った。
「どうやら決まったようだな」
「応よ」
 日本号は晴れやかな顔で俺を見下ろした。その眼差しははっきりと見え、いつの間にか日本号と触れそうなほど近くにいることに気付く。
 意識してしまった途端、失せていた緊張が蘇る。どくり、と血の巡りが早くなった心地を覚えて、顔に熱が集まりそうになるのを抑え込む。
 幸いにも顔にはその動揺は出ていないのか、日本号は変わらぬ様子で笑う。
「やっぱ主のこととなるとお前さんに相談して正解だった」
「そうか」
 これが日本号以外の男士が言ったのなら、露骨に浮かれたに違いない。だが、今はただただ時が過ぎれば良いと願うしかなかった。

 日中の緊張が未だ落ち着かないまま迎えた夜。やきもきした気分で自室で明日の遠征準備をしていると、部屋のどこからか「ぽん」と音が聴こえてきた。この音は日本号の配信の通知音で、思わず準備に動かしていた手が止まる。
 連隊戦で忙しい時期に配信か?だが、少し間抜けにも思えるあの音で設定しているのは配信通知だけなので他と間違えようがない。それに忙しいとはいえ、今回日本号は連隊戦部隊に組まれていない。内番や遠征があったとしても少しは酒を楽しむ余裕はあるのかもしれない。そんなことを思いながら仕舞っていたタブレットを引っ張り出して操作する。
 動画プレイヤーが読み込まれていつもの光景が映る。中央には生肉の塊があり、配信が始まって間もないのが知れた。
『さて。年の瀬も変わりなく始まる日本号のちょい呑み配信、付き合ってくれよ』
『今年は俺もおいしゃんも遠征中心で結構余裕あるけんね』
 そういえば博多も連隊戦出陣部隊の中に名前がなかったな。それこそ、明日は博多と同部隊で遠征に出るのだと思い出して口元がむずむずしてくる。
 同じ本丸の日本号と博多がこの配信をしていると知ってからそれなりに経っているのに、いつまでも慣れる予感がしない。だが、そのような予感を覚えながら配信視聴を辞められない辺り、我ながら拗らせていると思う。
 半ば諦めの気持ちに溜め息を吐きながら、いつものように和気藹々とやり取りをしながら料理を開始する日本号を見つめる。
『今日は鶏レバーの時雨煮を作る』
『余ったレバー使うとか言いよったね。使い切れんとね?』
『鶏レバーは別の料理でつなぎに使うために買ったんだが、全部使うと結構多くてな』
 レバーをつなぎに使うこともあるのか。それは一体どんな料理なのだろうと考えている内にも配信の日本号は手を動かしており、鶏レバーを一口大に切り始める。
『今回は既に終わっているが、レバーは余分な脂を切り取ったら冷水につけて血抜きを行うように。水に浸すのは十分程で良いだろう』
『今回はこんレバーしかなかけん差し替えんのやね』
『余ったレバー消費のために時雨煮を作るのに、差し替え用に買い足したら面倒だからな。手抜きで申し訳ねえが、年末くらい許してくれよ』
 年末関係ないだろ。もっと手抜きしていることもあるだろ。と、あくまで茶化した様子の視聴者のコメントが並び、思わず口角が上がる。
『血抜きが終わって食べやすい大きさに切ったら熱湯で三十秒茹でる。湯を熱するのも時間が掛かるから今日の差し替えは熱湯だ』
 配信画面が移動し、既に湯気の立つ鍋を映し出される。鍋は火にかけられると間もなくぽこぽこと沸騰し、レバーが投入された。あっという間に赤みがかったレバーが白くなり、用意された笊に上げられる。
『次に、別の鍋に水大匙二、味醂小匙三、醤油大匙二、酒ひと回し入れて熱する』
『おいしゃん、珍しうしっかり分量言いようて、最後ん酒だけなんでひと回しなんか?』
『なんとなくだ。まあ、あえて量るなら大匙三程か』
『多くなか?』
『そこは好みもあるからなあ。酒と一緒にいただくならこれくらい入れた方が旨い』
『ふうん』
 納得しているのか呆れているのか。どちらとも取れる博多の反応を気にするでもなく、日本号はころりと小さな生姜を握る。いや、生姜が小さいのではなく日本号の手が大きいのか。相変わらず大きな手は器用に生姜を細切りにしていく。とととと……と小気味良い包丁の音と、ふつりと微かに沸騰し始める鍋の音が気持ちが良い。
『鍋の中が沸騰したらレバーと生姜を入れて、八分から十分弱火で煮て完成だ』
 とろり、と見るからに濃そうな調味料の中、白いレバーが小さく揺れる。これが時間を掛けて煮ることで調味料と同じ色になると想像するだけで食欲がそそられる。日本号は酒と一緒に合わせると話していたが、これは米飯と合わせても美味しいだろう。
『さて、出来上がるまで少し時間が掛かるし適当に話して場を繋げるか』
『それなら聞きたかことがあるっちゃけど、レバーばつなぎにするって何ば作ると?』
 まるで顔を伺うように、鍋を映していた映像が日本号の首元へ移動する。すると日本号は口が見える程度に屈むと、唇の前に人差し指を立てた。
『そいつは秘密だ』
 口元が笑みの形になるのが見えたかと思えば、途端に配信が不自然に止まる。そして数秒程動画プレイヤーが黒く表示された後、いつもの配信画面が映し出された。
『……お。戻ったか』
『多分大丈夫ばい。みんな、見えとうよね?』
『そろそろ重くなりやすい時間帯か』
 そんなやり取りをしている傍ら、コメントは配信画面が復旧したことよりも日本号が見えたことで持ちきりだ。普段の配信では一切顔が見えないせいか、先程のように顔の一部が出るだけでも日本号の配信では盛り上がる。いつか配信で顔をじっくり撮影した日にはどうなることやら、そんなことを考えていると不意に見下ろしてくる日本号の姿が過ぎる。それは日中に見た日本号で、耳の裏辺りからどくりと音がした。
『さあて、そろそろレバーを皿へ移すぞ』
 いつもの調子で話す配信の日本号の声に、この部屋で数時間前に日本号と話したことまで思い出してしまう。
 ここに、あの日本号がいた。そのことを再認識したせいか、暑くもないのに額に汗のような湿り気を感じて額に手を当てる。だが、それは錯覚だったのか、触れたところは湿り気なくさらりとしている。それなのに聞こえる音はどんどん早くなってきて、堪らずタブレットを消すと押し入れまで移動して布団を引っ張り出す。そして乱雑にそれを敷くと上へ寝転がった。
 ごろりと横になりながら天井を見つめてみても、日本号のことを紛らわすには至らない。
 どうしてこんなに意識することがある。今日なんてこの部屋で日本号の相談に乗っただけだ。それに日本号が来るまで秋田の相談にも乗っていたというのに、日本号ばかり気にするのは我ながらどうなのだろう。
「……馬鹿馬鹿しい」
 不意に出た一言は何に向けられたものなのか。きっと布団の上で悶々としている自分に対してだろう、なんて他人事のように考えながら俺は固く目を閉じた。

 目を瞑りながらあれこれ考えて晴れない気持ちを誤魔化している内に寝てしまったらしい。目覚めた時には外は薄らと明るくなっていた。
 数回瞬きをして思い切り体を伸ばすと、眠気はすっかり失せて清々しさすら覚える。寝る前はあんな調子だったというのに、睡眠ひとつで結構変わるものだな。
 心身共に身軽な気分で布団から起き上がると、カーテンを開けて外を見る。地平線近くが明るいが、まだ朝日は出ていないようだ。初冬らしい薄暗い朝の風景を暫し眺めていたが、何故か違和感のようなものを覚える。だが、その原因がわからず、取り敢えず着替えをすることにする。
 今日は朝餉が済んだらすぐに遠征に出なければならないので、あまりのんびりしていられない。身支度をして食堂へ行こうと着替えていると、軽く戸を叩く音が聞こえた。
 なんだこんな朝早くに。こちらは遠征の予定もあるから時間はないのだが、そこのところを知っての訪室か。
 ひとつ返事で戸を開けると、そこには不動が立っていた。俺を見上げてくる顔はいつものように赤らんでいるものの、眼差しはやけに真剣さを帯びている。不動といえば今日の遠征で部隊長だが、まさか緊急事態か?それならばこの時間に伺うのも納得だ。
 一体何があったんだと視線を送れば、不動の顔に困惑の色が浮かぶ。
「あの、俺も部隊のみんなも長谷部の姿全然見てないから、具合でも悪いのかと思って来たんだけど……なんか違うみたいだな」
 気まずそうに首を傾げた不動に、嫌な予感を覚えて自室の置時計を見る。表示されている時間を確認すると、即座に不動へ頭を下げた。
「すまん。寝坊した」
 窓の向こうの薄暗い空から、まだ朝の早い時間帯だと思っていた。しかし今は日照時間が短くなった冬の時期、時計は遠征出発の二十分前を表示していた。
 少し前に外を眺めて冬の朝らしいなんて思っていたのが恥ずかしくなって、再び不動へ謝罪すると途中だった身支度を急いで済ませた。朝餉は食べていないが、寝坊だけでなく出発時間に遅刻までしたくない。それに今日の遠征は戦闘がないものだ。そこまで食事を優先させなくても体力は問題ないだろう。
 挽回するのが先だと集合場所へ訪れると、そこには既に俺を除いた部隊員が揃っていた。
「おはよう長谷部。寝坊なんて珍しいじゃん、夜更かしでもした?」
「まあ、そんなところだ」
 部隊員のひと振りである加州へ適当に返すと腕を引かれた。力は然程強くなかったものの、遠征に間に合わせることばかり気を取られていた俺は完全に油断していたのもあってよろけそうになる。そんな体を腰から支える者がおり、体勢を整えることができた。
「不動が呼びに行ってからそんなに経ってないということは、ご飯食べてないでしょ?」
 まるでこちらを見通してくるように目を細めた加州は俺の腰あたりへ視線を移す。自然と俺も同じ場所を見れば、そこには博多が寄り添うように立っていた。
 状況から見るに俺を支えてくれたのは博多のようだと知る間もなく、短刀男士らしい丸い頬が膨らむ。
「やっぱ食事せんやろとなあ思うたばい!」
「そ、それは寝坊したら何かを省かなくては間に合わないだろう」
「時間なら大丈夫だって。任務地への転送まであと八分、おにぎり一個くらい長谷部ならいけるでしょ」
 言いながら加州は小さな紙袋を差し出してくる。受け取って中を確認すれば、そこにはラップフィルムに包まれた握り飯があった。
「こんなこともあろうかと料理番におにぎり握ってもらったんだ」
「さああっち座って食べんしゃい」
 博多に引っ張られ、近くにあった椅子へ座らされる。そして他の部隊員が俺を囲むように並び立つ。今回の部隊編成は俺より背の低い者が多かった筈だが、異様な圧を感じて素直に握り飯を食べることにする。
「ん」
 一口食べてみると黄色い塊が出てきて、思わず声を上げてしまう。
 なんだこれは。咀嚼もそこそこに二口目を食べて、黄色いものはだし巻き玉子であることに気付く。玉子が入っている握り飯は初めて食べたが、これが合わない筈がない。絶妙な甘塩っぱさにどんどん食べ進めていき、あっという間に握り飯はなくなってしまった。
「良い食べっぷりだね」
「さて。長谷部もおにぎり食べたことだし、こんのすけに転送準備お願いしてくる」
 離れていく不動の背中を眺めながら握り飯を包んでいたラップフィルムをくしゃくしゃと丸めていると、加州が顔を覗き込んでくる。
「一個じゃ足りないって顔してるね」
「そいつは錯覚だろう」
「ふうん? 」
 何か言いたげだったものの加州はそれ以上追求してこなかったので、俺は何食わぬ様子で不動の後を追う。
 一個で足りないかと問われたら正直もう一個くらい食べたいところだった。だが、わざわざ用意してもらった手前、そんなことを包み隠さず言うつもりはない。
 それにしても、そんなに顔に出ていただろうか。顔を触って確かめてみたが当然わかる筈もなく、俺は仕切り直しだと口を真一文字に結んだ。

 
 無事に任務を終えて後は帰るばかりというところ、不動がこんのすけへ連絡している傍らで他の部隊員が喋っている。話題はいよいよ二日後に迫ったクリスマスのことで、部隊員のひと振りである水心子が身振り手振りを交えながら主への贈り物について語っている。
「水心子は初めてのクリスマスだっていうのに結構主の好み把握してるんだ」
「ありがたいことに蜂須賀虎徹が教えてくれた上に一緒に贈り物を選んでくれたのだ」
「成る程ねえ。蜂須賀がついているならばっちりだね」
「そういう加州清光、貴方は何を選んだんだ?」
「俺はネイルケアセットにしたんだ」
「ねいる、ケア?」
「ええと、簡単にいうと爪を綺麗にする道具。ちょっと前に俺が日本号に爪の手入れの仕方を教えたって話をしたら主が興味津々でさ。良いタイミングだし、ケアセットをプレゼントして手解きしようと思って」
 突然の日本号の登場に声が出そうになったが、何食わぬ顔を装いながら聞き耳だけは立てる。
 加州が爪の手入れをするのはよくわかるが、そこから日本号へ手技を教えることになる経緯はまったくわからない。確かに日本号は身嗜みに気を遣う方だが、爪まで気にしている印象はない。
 果たして加州から詳細は語られるのか。今か今かと待っていると、不動が集合をかけた。
「もうすぐ転送始まるから忘れ物がないようにね」
「はあい」
 皆が改めて身の回りを確認し始めたので俺も一緒に行う。当然ながら会話は中断されてしまい、その間の悪さに思わず唸りそうになるのを堪えたのだった。
 そんな遠征終わりを経て、本丸に戻った俺は部隊解散の挨拶もそこそこに自室へ戻って配信視聴に使っているタブレットを引っ張り出す。
 日本号の爪の手入れについては加州に聞くのが一番早いだろう。だが、一度落ち着いた話題を切り出すのはまるでこちらが日本号のことを気にしているようにも思えて、取り敢えず過去の配信で奴の爪を確認してみようと考えたのだ。
 ……確認したところでどうするんだといえば特に何をするでもないのだが、加州の話を聞いてしまうと気になってしまったのだ。
 動画プレイヤーが動画を再生し始め、食材を持つ日本号の手が映り込む。丁度良いと一時停止して見てみると、確かに手入れしたのが伺える艶やかな爪だった。こいつの手は形良く規格外の大きさが目立つが、爪も整えているとは隙がないな。
 見れば見るほど綺麗な爪にどうして今まで気づかなかったのか、そんな疑問を覚えていると誰かが自室の戸を叩いた。
 ……遠征の時といい今日は間が悪いな。
 訪問者からタブレットが見えないよう端へ寄せると「どうぞ」と一言、戸を開けて招く。目の前に現れたのは大きな胸板で、藤巴と勝軍草が合わさった紋章が彫られた首飾りがちらりと揺れた。 顔を見るまでもない、日本号の登場にいよいよ間の悪さを痛感する。
「今、ちょいと良いか」
「手短に頼む」
「そこんとこは心配すんな。数分で終わるぜ」
 数分で終わる?伝言なら要件のみ言えば良いし、一体何をしに来たんだ。
 密かに身構える俺に気付くことなく、奴は小さな包みを渡してきた。
「クリスマスに主へ渡すつまみを試作したんだ。味見をお願いしたい」
「はあ」
 主へ渡すつまみとは、先日相談に乗ったものか。心当たりのある話題に思わず気の抜けた返答をしてしまったものの、気を取り直して包みを開く。
 然程大きくない包みから出てきたのは煉瓦色のケーキだった。
「甘味にしたのか」
「いんや。こいつは肉とドライフルーツで作ったテリーヌでな、食べてみればわかるが塩気の利いた味だ」
 テリーヌとは初めて聞いたが、贈り物にするくらいなので頻繁に食べるものではないのかもしれない。こういう小洒落たものは長船辺りから教えてもらうのか、それとも自分で指南書を探して作るのか。前者なら兎も角、後者は大変そうだな。
「薄く切り分けているから、まずは一切れ食べてくれ」
 空いていた手にフォークを押し付けられ、日本号がじっとこちらを見下ろしてくる。突然の圧に睨み返しそうになったが、つい先程自分が「手短に」と言ってしまったことを思い出す。
 手短に済ませるなら、すぐにこのテリーヌを食べて味の感想を述べれば良い。それはつまり、これからこいつの前で実食しないといけないわけだ。
「……少しの間、部屋から出てってくれ」
「?なんでまた、」
「ちゃんと食べて味の感想は伝える。だから出ていてくれ」
 むすっと不機嫌を露わにする日本号に構わず、三度退室しろと伝える。味見はまだ良い、主へ渡すものに相応しいか確認するのは名誉ですらある。だが、日本号に食べているところをまじまじと見られるのは避けたい。
 俺の言葉に渋々といった様子ではあるが、日本号は廊下に出てからこちらを振り向いた。
「入って良かったら呼べよ」
 閉じた戸に一安心しながら腰を下ろす。
 さて、さっさと味見をしてしまおう。食べているのを間近で見られるのも嫌だが、廊下で日本号を待たせてしまうのも気になるところだ。そんなことを考えながらテリーヌを一口食べると、予想外の食感で声を上げてしまう。
 豆腐のように柔らかい食べ応えの中にごろっとした肉とドライフルーツの食感がある。噛み締めるとドライフルーツの甘酸っぱさがじんわりと滲み出て、肉の脂と塩味を引き立てる。見た目こそケーキだが、これは明らかに酒のつまみだな。
 あっという間に一切れを食べてしまい、もう一切れ口へ運ぶ。二切れ食べるだけ、そこまで日本号を待たせることはない。そんな言い訳紛いのことを考えながらテリーヌを味わい、ようやく退室していた日本号へ呼んだ。
「それで、テリーヌはどうだった」
「初めて食したがなかなか悪くなかった。少しずつ切り分けて食べるようにできるのも良い」
 主への贈り物ということで素直に感想を述べると日本号はぱっと破顔する。その変化に一瞬動揺したものの、主のために用意した贈り物が評価されたら俺も喜ぶだろうと思い直す。
「あんたに好評なら主に渡しても問題ねえな。味見してくれてありがとよ」
 ご機嫌な様子で再び退室しようとする日本号に、まだ残っているテリーヌを思い出して引き止める。
「テリーヌ忘れているぞ」
「味見の礼にはならねえと思うが、そいつはあんたが食べてくれよ」
 じゃあなと背を向ける日本号に手を伸ばしたが、評価した手前で突き返す理由がない。仕方なく俺は日本号を見送り、行き先のなくなった手は情けなくも空中を彷徨った。
2023.05.17 17:27