■ くるくる司書

大柄な男が猫を肩に乗せて歩いていた。隆々とした筋肉が洒落っ気のある白いシャツに窮屈そうな皺を作っていた。まっとうな職業には見えないが、この男こそ特務機関の図書館長である。

肩に乗った黒猫は、いかにも不機嫌そうなふてぶてしい目をしていた。白い口元は無愛想に閉じているが、かえって猫らしい愛嬌を感じさせる。

「新しい司書、お前さんのところの姪だそうじゃないか。縁故採用か。どうなんだ。使えるのか?」

猫はやや神経質な声でなめらかな人語を喋った。

館長は口の端を笑みに固める。しかし、その表情には曇りがあった。

「アルケミストとしての能力は天才と言っても大袈裟じゃねえな。ただ、ちょっと……」

「ちょっと、なんだ」

「いや、ちょっとじゃない。精神に問題があるんだ」

「なんだ、その程度の話か。文豪達と気が合うんじゃないか」

猫は「ははは」と腹から笑った。館長はただ顔を笑ったように引きつらせるだけだ。

「壁が白い病院から出て来て半年くらいだな」

「……それは職につける状態なのか?」

「上からのお達しでな。差し引いてもアルケミストとして有能と言うことだ。俺は、できればそっとしといてやりたいんだが……」

「履歴書には書かれてなかったぞ」

猫の言葉を遮るように、館長は「ああ」と手を上げた。その視線を辿り、猫は「んん?」と素っ頓狂な声をこぼした。


× × ×


館長と猫が見守る中、少女は職務についてから始めての錬成を行った。錬成は外観が当時とは異なることからわかるように、説明するには面倒なことのあらましも含めて政府によって有魂書にあらかじめ植え付けられている。

そうとしても、織田作之助は猫のような好奇心に満ちた赤い目をぎょっと見張った。

「……お嬢ちゃん、おいくつやろか?」

小柄な少女だった。少女趣味なブラウスにふわふわとしたスカート。肩を覆う色素の薄い黒髪は、光に当たると軽やかな茶に変わる。60センチほどの、ボタンの目をした使用感のある大きなクマのぬいぐるみを抱えていた。

人差し指と中指を立てて、少女はにっこりと小首を傾げる。

「はたちです」

「はぁ、はたち……お嬢ちゃんは失礼やったなぁ、ごめんな」

「いいよ。この子はブースケ。よろしくお願いします!」

少女はクマの手を取って愛想よく振らせた。

「ブースケはん言いはるんですか。よろしゅうな」

作之助は膝に手をついて、少女と視線を合わせる。無垢な瞳は光彩が欠け、どこかドロリとした色をしていた。舌足らずな言葉はまるで見た目そのまま童女だ。

これは所謂、白痴――頭に過った言葉を振り払うように、青白い顔の作之助は視線を館長へ向けた。

館長は眉を寄せている。

「織田作先生なら、女性の扱いもお手の物だろう」

「いややわ、人をタラシみたいに。女兄弟が多いだけやで」

視界の端でちらと見れば、キョトンとしたようにニコニコしながら天井の一箇所を眺める少女。作之助は言い得ぬ不安で身震いをした。


× × ×


館長からの説明は、下記のようになる。

@著しく精神が不安定である。どれほど腹が立っても、少なくとも怒鳴ることはないように。

A妄想は、どのようなものであっても否定をせず、肯定するように。

B定時に飲ませる薬の他に、以下の状況においてはこれらの薬を服用させること。(以下、薬の名前と、服用方法、副作用などが書かれている)

C目を離すべからず。なるべく刃物や尖ったものは彼女の目のつくところに放置しないこと。

D困ったら甘味を与えるべし。

E暴れたら無理矢理に押さえつけることも止むなし。その場合、以下の薬を投与の後、必ず病院へ連れて行くこと。(Bと同様に、薬の名前などが書かれている)

他、病院など各種の連絡先が記載されている。処方箋はご丁寧にプリントでまとめられていた。

白い用紙に負けないほどの白い指の先が、ピクリと引きつる。

「女の子の取り扱い説明書とはたまげましたわぁ。どえらくシュールですなぁ」

ホンマでっか。これ、アカンやつやで。作之助は心の中で思えども、口に出すことはできなかった。しかし流石に表情には現れてしまう。愛想よく笑いながらも、細い眉が困惑で寄ることを館長は見逃さない。

「姪が迷惑をかける。すまんな」

館長は深く頭を下げた。その大きな体が少し縮んだようにすら見えた。

後ろめたさから作之助は恐縮してしまう。相変わらず中途半端な笑顔を浮かべたまま、手をひらひらと振った。

「やめてつかあさい、館長はん。ワシらの本守るためでっせ。……せやけど、なんでこんな無理してお司書はん、せなならんのです?」

「それだけ厳しい状況ということだ。逆を返せば、彼女は政府の隠し球でもある。大切に扱ってやってくれ」

「もちろんですわ。ただ文豪はん、皆様個性がお強いですやろ。今後は合う合わないがあってもしゃあないかなとは思います」

「それも……できれば、輪を取り持って欲しいんだ」

「任しといてつかあさい。ワシは文学賞の選考員もやっとりました。十八番や」

ドン、と勢い良く胸を叩き、噎せる。「何やってるんだ」という館長の言葉に照れたような笑みを浮かべて、こう言う。

「ワシは生前、カミさんに散々苦労をかけました。これくらいなら、ワシよか全然可愛いもんちゃいますか」

かつてヒロポン中毒だった彼は、整った顔にヘラヘラと気さくな笑みを浮かべた。


× × ×


薄いアルミを破り、白い錠剤を並べる。数を間違えるわけにはいかない。作之助はひい、ふう、みい、と指先で突つくように確認をする。

「よし。お司書はん、お薬飲もか」

隣の席の少女は、首を振る。怖がるようにギュッとぬいぐるみを抱きしめた。

「お薬、いやあ」

「なんで?」

「変になる」

そら、そうやろな。頭に効く薬やからな。作之助は声に出さず頷く。

「せやかて飲まんとよくなりませんで」

「私、どこも悪くないです。お医者さんが、お薬飲ませて、私のこと悪くしようとしてる」

「お医者はんかて意地悪してるわけやあらへんよ。鴎外先生も、お顔と言い方は怖いけど、優しいお方でっしゃろ?」

頬を膨らませて、少女はぬいぐるみへと顔をうずめた。

「だって、いるもん。宇宙人。電波、来るもん」

「せやなあ……」

「ママが捨てちゃったから、証拠、ないけど。でも」

少女は、ぬいぐるみ越しに自分の胸を指差す。

「こことか、他にも、チップが埋まってるもん」

「何のためのチップやろな?」

「私のこと見張るための……」

「ほんならワシらも皆様でお司書はんのこと見守ってるで。安心しや。怖ないよ」

「でも、頭の中、覗かれてます」

「ワシらも似たようなもんやで。なんせ小説は頭の中のことやからなぁ。手紙とかノートとか全部晒されて、ああだこうだと言われるんが文豪ですわ」

「宇宙人の声、します」

「きっとワイらで言うところの編集はんやな。編集はんとは、ホンマ、毎度毎度戦争でっせ」

「嫌じゃない?怖くない?」

「……そこは、文豪やからしゃあないですわ。これは仕事っちゅうんもありますけど、お天道様が与えた命、まあ、天職やと思っとります」

少女は僅かな間、青い唇を閉じて沈黙した。

「……でもお薬は飲みたくない」

「あたたたたた……さいでっか。困りましたなぁ〜」

額に手を当てる作之助。

「そや、閃いた。一肌脱ぎまひょか」

水仕事に備えて、皮のジャケットを脱ぎ、腕まくりをする。白い細腕には青い血管が透けるものの、傷はない。作之助はそっと血管の上を指先で撫でた。


× × ×


カクテルに使うグラスに、桃色、茶色、半透明、色とりどりのクラッシュゼリーが一口サイズによそられている。ツヤツヤとした表面が涼しげだ。

「一口ずつやからお腹いっぱいにならんやろ?」

「うん」

「せやけど、食べ方に作法があるねん。噛まずに水みたいに一気に飲み込むんや。やってみ」

潰されたゼリーには錠剤が包まれている。少女はグラスの中の違和感の影を、机に手をついて覗き込むようにじっと見つめていた。

作之助はへらへら笑いながら並べたグラスを眺める。やっぱり綺麗やな。妻を想い一人ごちる。

やがて、彼女は納得したようにグラスを取った。小さな口にも収まるように気を使われた分量。ゼリーはするりと涼やかに喉を流れていった。



end

二話目で島崎藤村に自殺を唆され、三話目で芥川先生と恋仲になり、その間に司書の妄想の理由とか色々書こうと思ったんですけど。二話目の冒頭でなんか飽きたのでやめました。

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