■ 生きろよダダイスト

望んでいた大学に落ちた。憧れの文人が通った大学だった。

新人賞に投稿した。入選せず、批評すら返って来なかった。

詩人になりたかった。誰にも認められない僕はただの自称詩人でしかなかった。

まともになるしかないのだ。どうせ詩人になってもろくでもない末路しか待っていないのだ。賞でも欲しいのかと聞かれたら、ああそうだな、昔はそうだったよ、と普通のことを言う人生を送ることにした。

大学を卒業した僕は特務司書という職業についた。侵食者と呼ばれる者が人々の記憶から文学書を抹消しているそうで、僕は作者達の魂を集め、潜書という作業をさせて文学を守るのだ。

ホワイトではあるが、賃金は低く、人の役に立つ仕事だ。ボランティアのようなものである。



その日、とっぷりと日が暮れてからやってきたのは、高校生くらいの小柄な少年だった。彼はトラッドなアーガイルのベストに黒いハットを被り、裏地に金糸の刺繍が入った華やかな外灯を羽織っていた。その右手には日本酒の酒瓶が握られており、七割方、中身はなくなっていた。彼の白い頬は赤く、酒臭く、下戸な僕は臭いだけで酔ってしまいそうになった。

彼は肩口の金髪を揺らし、ふてぶてしい三白眼でぐるりと図書館を見渡した。

「君、まだ飲める歳じゃないだろう」

「あん?俺は中原中也だ。文句あるか!」

「君が、中原中也?中原中也だって?」

「おうよ。詩の天才、中原中也だ。灯台の上の霧みたいな顔しやがって、何が言いたいんだよ。あぁ?」

薄い唇がひん曲がる。幅の広い白目は酒で濁っている。ドンと突き飛ばした手の力は弱かった。

僕の人生を腑抜けにしたのは、体の小さい、ただの悪質な酔っ払いだった。

こいつみたいにはなりたくない。僕は詩人なぞを目指すのはやめてよかった。そうだ。中也の真似などしてはいけない。中也のことなど忘れてしまえ。



中也はある程度まで酔うと歯止めが効かなくなる。他の文豪から、なんとかして欲しい、司書だろう、と言われた。いえ、勤務時間外ですから、とお断りをしたら、なにあいつに殴られた程度じゃ死なないさ、駄賃か、駄賃を払えばあいつのお守りをしてくれるのか、とまで言われ、渋々だが悪酔いをする中也のベビーシッターをすることになった。

近隣の居酒屋をことごとく締め出された中也は、図書館の食堂に追いやられてしまった。幸い、食堂は中也のことを出禁にはしなかった。

「チッ、お前かよ。お前と飲む酒はまずいんだよ、ちくしょうめ」

おもむろに立ちあがったかと思うと、開口一番、頭からお冷をぶっかけられた。中也は大口を開けてゲラゲラ笑い、再びどかっと椅子に座り込んだ。

首を振って視界から前髪をよけると、頭の上に乗った小さな氷がボロボロと落ちて行く。それを見て、中也は椅子から落ちんばかりに更に笑った。

僕は凍えるような想いで愛想笑いを作り、中也の隣に座った。給仕さんが出してくれた暖かいお絞りで顔を拭く。

「だからお前はしけてんだよ。太宰よりしけてちゃ、食えたもんじゃねえ。いっぺん裏の焼却炉でこんがり焼けてくればいいさ。水っ気が抜けて少しはマシになるかもしれねぇぞ」

「どちらかというと、僕は給仕さんに優しくフライパンで焼いてもらいたいですね。キツネ色に焦げ目がつくまで」

「おう、じゃフライパン借りてくるわ。天才が直々に炒めてやるよ」

立ち上がろうとした中也を慌てて止めたら、ゲラゲラ笑って肩を叩かれた。今日は比較的ご機嫌がいいらしい。僕のことをニヤニヤとチェシャ猫のような顔で見つめてくる。

なんだろう。そう思ってたら、中也は小脇の本を投げるように机へ置いた。いつも二三冊なにかしら抱えているためさして気にも留めていなかった。

大学時代、数度に渡り即売会で配布した詩集だった。

「見たぜ?」

彼の白い犬歯。僕は骨になったようにカタカタと震える。

「なぜ、それを。どこで」

「図書館にあったんだよ。なんでもあるんだな、あそこには」

中也は手のひらを支えに、小さな本のページを親指だけで開く。

その細い腕を、僕は必死で掴んだ。本を引き剥がし、咄嗟に机へ叩きつける。ツルツルとした表紙の本は滑って反対側に落ちていった。

「あ?痛ぇだろ。何しやがる」

「もう辞めたんです!やめてくださいっ!読まないで下さいっ!!」

「……ふーん、あっそう。離せよ」

振り払われる。力任せに僕を押し返す。それでも、この人は面白いくらいに腕力がない。気まずさで手を離した。中也は痛そうに腕を摩る。

「しみったれたお巫山戯ならとっとと辞めちまった方がいいぜ。よかったな、職業欄に詩人って書ずに済む人生でよ。なんせ詩人は辛いからなぁ」

喉の奥でくつくつと笑う。陰鬱さではなく、確かな苦労が滲んでいた。普段は天才を気取りそんなものを微塵も見せないくせに。

よほど手が出そうになった。その顔を殴ってやったらスッキリするだろうと思った。しかし、僕はその手を反対の手で押さえた。

「なんだよあんた。サーチライトのつもりか!?」

「それもなんかの借り文句か」

鋭利な視線が僕を射抜く。転生した文豪達が真摯に話し合っている時、時折、このような目をしていることがある。その迫力たるや、僕にはとても口を挟む余地がない。

「自分の言葉を使わず、人の言葉を借りて、酔って、楽しやがって。温い安酒みたいな俺の真似は楽しかったか?あぁ?」

作者にはわかるのだ。その自意識と、美意識と、経験値で。誰が何を真似して、リスペクトして、つまるところ、大好きなのかを。

いたたまれなかった。消えてしまいたかった。

僕は中也の横っ面を思い切り殴った。体重の軽い中也は足を滑らし、椅子を蹴飛ばし、机に手を当てても何もつかめず、若干自爆気味に不必要なほど尻と背中を打った。帽子が牡丹の花のように床へぽとりと落ちた。

「いってぇ!てめぇ!何しやがる!」

「僕はお前みたいにならなくてよかったよ!」

「ハッ?ならなくてよかった?」

銃をバンバン撃っている時のような甲高い声で中也はけたたましく笑う。鼓膜にビリビリと突き刺さってくるようだ。

「なりたくてもなれないんだろ!バァァァァァァカ!!」

中也は、ペッと血の混じった唾を吐き捨てる。こちらに腹を向け、無様に尻をついた姿で、それでも彼は勝ち誇っていた。酔っ払いだからではない。どんなに社会生活の落伍者だとしても、結果的には成功を収めた人間だからだ。そして僕は敗北したのだ。

これ以上、僕には殴ることも蹴ることもできなかった。負けを認めた段階で怒りがスッと身を引いて、後に残るのは恥ずかしさと虚しさだ。

一歩、後ろへ足を出す。背中を向ける。真っ直ぐに駆け出すだけだ。

「逃げろ逃げろ!逃げて何処でも行っちまえぇ!ご都合の馬鹿野郎がよぉ!!」

負け犬の僕の背中を中也は笑っていた。その声には少し、迷いがあった。



暗い夜道を歩いていた。探索心はなく、近隣に詳しくはない。寝過ごして飛び降りた知らない駅で途方に暮れるようだ。自分がどこにいるのかもわからず、仕方なく来た道を戻ることにしてみた。

青い影が浮かぶ。人魂のような発光に僕は身を竦めたが、よくよく見ると、このところ潜書作業で見覚えのある光だ。光の主は人の形をしていて、シルクハットを被っている。

「乱歩さんですか?」

そんな悪ふざけなど心当たりはそれくらい。しかし、聞いたことのない男の声が返ってきた。

「特務司書の方ですね」

これはいけないかもしれない。なんせ僕がこの仕事をやっているのは上司と同僚と親しか知らないのだ。ジリジリと足が後ろににじり下がる。振り返れば、小柄な少年がいた。彼もまた、聞くまでもなく同じものだろう。

「我々の仲間になりませんか」

正面の彼が言う。呼応するように、背面の少年が言う。

「悔しくはありませんか。誰にも読まれなかった文字達が。誰にも愛されなかった言葉達が」

「妬ましくはありませんか。自分よりも才能があると持て囃される物達が。自分の才能が認められないことが」

悔しいさ。どんなに下手くそでも、詩を書くのは苦しいくらいに大変だった。本を作るのは、金もかかるし、目の前でいらないと戻されることもあるし、辛いことばかりだ。こんな苦しくて辛くて大変なのに、一言も褒められない。誰も僕のことなんて気がついてくれない。そんなことをやっているのか、痛々しいやつめ、という目を向けてくる。ほんの少しばかり子供の頃に褒められたことが嬉しくて勘違いをしたからこんなことになってしまったのだ。

辞めたからって悪いかよ。自分の好きなことに携われているのに、どうしてそんなに追い詰めるんだよ。

「我々と一緒に全てを無へ返しましょう。あなたも、消したい言葉があるでしょう」

「中原中也を削除しましょう」

怨念染みた声だ。とてもよくわかる。尊敬していた。裏切られた。舐めていた。越えられない。

冷たい涙が溢れ出す。吐くように僕は言葉をひり出す。

「僕が消したいのは、僕自身だよ……いっそ殺してくれよ。僕の書いた本を、無に戻してくれ」

ヒュン、と風を切る音がした。何かがシルクハットの男に当たって、落ちたらガラスの割れる音。ぷんと強いアルコールが香る。酒瓶が飛んできたのだ。

顔を上げると、小柄なシルエットが不遜に立っていた。ハット、外套、その小さく華奢な背格好。中原中也だった。

「おい、知ってるか?そこの角を曲がった店の刺身はけち臭いんだ。ペラペラなんだぜ。お前達みたいになぁ!」

ダン!ダン!ダン!と強烈な爆発音に鼓膜が痺れる。風圧と共に頬が切れて痒みを覚える。身が竦んで動けなくなり、僕はヘナヘナと座り込んでしまった。

男は渦を巻く霧のように消える。少年は僕をすり抜け飛び出したが、ダン!と一発で見事に仕留められ、霧散した。

中也は唇を尖らせて、ふっと銃口に息を吹きかける。銃は、手を下ろす時には本へと姿を変えている。

「くそ。酔いが冷めてきやがった」

「なん……」

言いかけて、聞くのも野暮だと言葉を飲み込む。追いかけてきた以外に何があるというのだ。

「死なれちゃ困るんだよ。俺の欠けたピースを揃えるのがお前の仕事だろ」

中也はへたり込む僕の腹を尖った革靴の先で蹴り飛ばした。痛かった。

「生きろよダダイスト。書き続けてりゃ、一編くらいはいい詩が書けるかもしれないぜ」

「そうですね。中原中也には、及びませんけどね……」

「あたぼうよ」

この瞬間、僕はさっぱり綺麗に未練が断ち切られた。どう足掻いてもこの文人には勝てないのだ。春日狂想の如く、これからは、テンポ正しく握手をして生きて行こう。サーチライトのように僕の道を照射している中原中也に、司書として奉仕の気持ちを尽くすのだ。


end


抜粋はしていないのですが、モチーフとして文中に混ぜ込んでいます。
筋肉少女帯『サーチライト』
中原中也『春日狂想』他

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