花が枯れるその日まで

 夢の中から落ちて、ふと目が覚める。
 聞こえるのは、ぱらぱらと窓辺で踊る雨粒の音と、時計の音。私を包み込むぬくもりは、毛布ではない。恐らくふたりのものだろう。今日は早めに帰る。今朝、そう聞いてふたりの帰りを待っていようと思っていたのに、どうやら寝てしまっていたようだ。気合いを入れて裸エプロンでもやってみようかと思っていたのに。
 この腕の中にいる彼はどっちだろう。そっと手を伸ばして確かめてみる。ふわふわのくらげみたいな髪と柔らかく弾力のあるほっぺ。これは間違いなく竜胆くんだ。
 規則正しく聞こえてくる寝息。寝ているのなら、声を掛けるのはやめておこうか。でも、少しだけ。
「おかえりなさい」
 起こさないように彼の頭をそっと抱き込み、おかえりなさいのちゅうをした。
「口にはしてくんないの」
 唇を離すと、寝ているはずの彼の声が聞こえた。どうやら狸さんだったらしい。
 おかわりをご所望する彼は、私の顔の位置まで上がってきて、こつんと額を合わせる。鼻と鼻をくっつければ、もう唇は触れる寸前。目が見えない私でも、数ミリしか離れていないから、これなら失敗はしない。と思っていたけれど、微妙にズレて上唇にキスをしてしまう。
 小さく笑う彼の声が聞こえる。そんな口は塞いでしまえと、恥ずかしい気持ちを理不尽にぶつけようとした時、正解の位置に優しい口づけが落とされた。
「ん、ただいま」
「……おかえりなさい。あと、ごめんなさい。起きてようと思ってたのに寝ちゃってました」
「いいよ。いつも夜遅くまで待っててくれてるんだし。眠れる時は寝といて。それに、今日はかわいい寝言も聞けたしオレは満足」
「え、私寝言言ってました!? ……何て言ってました?」
「んーひみつ」
 くすくすと笑う彼は、また唇にキスをしてはぐらかしてくる。ずるい。竜胆くんにキスをされると、何も言えなくなってしまう。
 最初は啄むような軽いもので。上唇を舐めて、吸って、深いものに変わっていく。このままだと止まらなくなる予感がして、息が上がる前に話を振った。
「そういえば、後ろの蘭くんは起きてます?」
「あぁ、爆睡してる。隠してるみたいだったけど、面倒な客続きで結構疲れてるっぽかったし、たぶん何しても起きないいんじゃね」
「何をしても……?」
 そんなこと言われたら、余計にいたずら心が湧いてくる。こんな絶好のチャンスを逃すわけにはいかない。
 くるりと体を反対に向け、蘭くんと向かい合わせになる。竜胆くんの手に誘導されるまま、頬をつんつん。唇をつん。鼻をつまむと、ふがっと豚みたいな声が蘭くんから聞こえた。
 触っているのは私だからといって、大胆に動かしてくる竜胆くん。笑いを堪えているのか震えている。私も笑いを堪えながら、もう一度、唇をそっと押してみる。その瞬間、指は蘭くんの口の中に吸いこまれてしまった。
「ぎゃっ」
「たのひそうひゃん」
 いつから起きていたのか。寝ていたはずの蘭くんが、私の指を口に含んだまま寝起きの低い声で喋った。手を引こうにも、がっしりと腕を掴まれていて動かすことが出来ない。竜胆くんも助けてくれない。大ピンチである。
「蘭くん、はなして」
「やぁだ」
 ちゅうちゅうと吸ったり、甘噛みしたり。私の反応を楽しみながら、美味しそうに指を食べている蘭くんは、やっぱり悪趣味だ。後ろで笑っているであろう竜胆くんも然り。
 彼がやっと指を解放してくれた頃には、指が長風呂した時みたいにふやけていた。私の指はおしゃぶりじゃないのに。
「兄ちゃん、いつから起きてたの」
「んーおまえらがいちゃつき始めた時から?」
「初めからじゃん」
「兄ちゃん、おまえらのいちゃつく気配に誰よりも敏感だかんな。地球の裏側に居てもわかるぜ」
「何その察知能力。すげぇくだらねぇ」
 くすくすと笑い合うふたりにつられ、私もくすりと笑みがこぼれる。
 平和だ。穏やかな空気に、彼らの職業のことを忘れそうになる。今日も帰ってきてくれてよかった。明日もふたり一緒に帰ってきてほしい。もう私はふたりがいないと生きていけないから。なんて重いことは言えないけれど。
 明日も帰ってきてくれますようにとそっと願いを込めて、おかえりなさいのちゅうをする。
「蘭くん、おかえなさい」
 瞼を閉じて待っていると、降ってくる優しい口づけ。
「ん、ただぁいま。そんでおやすみぃ」
 間を置かずにされた二回目のちゅうは、少し長めに。やっぱり疲れているのだろう。今にも寝落ちそうな声に、とろんと目尻を緩ませた彼を想像して、思わず頬が緩んだ。
「おれのゆめをみろよぉ」
「蘭くんの夢?」
「そ、おれがいれば悪夢なんて怖くねぇだろ」
 蘭くんは、頼もしいことを言いながら、私の瞼にキスをする。本当に敵わない。いつも通り振る舞っていたはずなのに。私ですら悪夢を見たことを一瞬忘れかけていたのに。
「オレも。悪夢の野郎がきたらぶっ飛ばすから」
 やる気に満ち溢れた竜胆くんの声。同時に後ろからぎゅうっと強く抱きしめられ、手を繋がれる。
「ふふ、ありがとう。蘭くん、竜胆くん」
 本当にふたりとも、ずるいなぁ。
 どうして、こんなに優しくしてくれるのだろう。二年ほど共にしてきた今でもそれは分からない。最初は分からなくてもいいかと思っていた。でも、ふたりのことを少しずつ好きになっていくうちに、不安も少しずつ大きくなっていく。今日もまた少し大きくなった。
 夢の中のふたりなら、教えてくれるだろうか。そんなことを考えながら、今日もまたふたりの間で眠りについた。





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