Liz
ある朝のことです。
リズは、お屋敷の誰よりも先に目を覚ましました。しいんとした部屋の中、閉じ切ったカーテンを裂くような光が一筋見えています。小さなリズは、温かい布団から這い出して、そろそろと窓辺に歩み寄りました。
チカッ
一瞬、針に刺されたような痛みを目に感じました。小さな手で目を庇い、何度も目を瞬(しばた)かせ、おそるおそる顔を上げました。抜けていくような光。リズは布の裂き目に潜り込み、一面まっしろな世界が広がるのを見ました。
なんというきれいで、なんという明るい世界でしょう。それは絵本で読んだことのある綺麗な景色でした。
リズは慌ててお母さんとジャックを起こしました。
「おかあさん!みて!」
「あら、夜のうちに雪が降ったのね。リズはまだ見たことがなかったかしら」
みんなが寝静まっている間に、真白な雪がどっさりふったのです。はじめての雪の朝にリズは大はしゃぎでした。
「リズ、大きな声を出したらみんなが起きちゃうよ」
ジャックは眠い目をこすりこすり言いました。
「でもね、おさとうみたいなの」
リズは小声で囁きました。
「リズ、窓のところにいたらこごえちゃうよ。お母さんも早くベッドへもどって」
リズたちのお母さんは体が弱くて、ここ数日はお部屋から出ることもできずにいました。お医者さまが寝ていなさいというのです。そんなに重い病気なのかしら と思うほど、お母さんはとても明るく笑うのでした。
「リズったら、靴下を履くのも忘れてしまっているわ」
お母さんは優しくリズの頭を撫でました。ジャックには、また手が痩せてしまった気がしました。
(昔はもっとしっかりしたお手々だったのに)
お母さんが真夜中にこんこんと咳をするたび、ジャックの胸はざわざわするのでした。
「おかあさん、おそとであそんできてもいい?」
リズは甘えた声でお母さんのお膝に転がりました。
「もちろん。行ってらっしゃい。ジャックも一緒に遊んできたら?」
「いやだよ。こんなに寒いのに」
「ねえ、ジャック。リズはまだ小さいから少し心配なの。お兄さんのあなたがちゃんと見ていてくれたら、お母さん、安心できるんだけどな」
「……わかったよ。リズ、行こう」
二人は着替えて、お庭へ出ました。リズは我先に白い絨毯へ飛びだしました。真綿のように柔らかい雪のうえを駆けまわると、氷の粉が散って、きらきらしました。はじめはしぶしぶだったジャックも、だんだん楽しくなってきて、二人は夢中になって転げまわりました。雪を投げあったり、おおきな声で笑ったり、楽しくて仕方ありません。
けれど、突然うしろから「どん」と音がして、リズが正面から倒れました。
「リズ!」
ジャックは倒れたリズの体を起こしました。どこにも怪我はないものの、リズは火がついたようにわっと泣き出しました。ジャックがはっとして振り返ると、そこには意地悪なピーターとポールの兄弟がいました。リズがわあわあ泣くのを見て、二人はせせら笑いました。
「なんでこんなことをするんだ」
ジャックは兄弟を睨みました。
「うるさいお前たちが悪いんだ」
太っちょのポールが言いました。ピーターはにやにやじろじろリズを見下しています。
「居候の分際で、うちの庭で騒ぐなよ。死に損ないの母親といっしょに静かにしてろ」
兄弟は地面を蹴って冷たい雪を浴びせてきました。ジャックはとっさにリズをかばいました。
「やめろっ!」
かっとなって、ジャックは二人に殴りかかろうとしました。けれど、兄弟の方が年が上なのもあって、飛びかかる前につかまってねじ伏せられてしまいます。ジャックはあっさり突き飛ばされてしまいました。そして、追い打ちをかけるようにポールが俯(うつぶ)せになったジャックの背中を思い切り踏みつけました。
「やめて!」
リズは叫んでとめようとしましたが、ピーターが彼女の腕を掴んで引っ張りました。ポールの太い脚が宙に浮き、ジャックに振り下ろされる、その時でした。
「ピーター、ポール」
お屋敷の方から声がしました。声の主は、この意地悪な兄弟のお母さんです。
彼女は大きな獣の毛皮を剥いで作った外套をはおっていました。血色の悪い顔は雪景色の中で見ると一段と陰気に見えました。
「遊んでいないで早く中に入りなさい。朝食の時間ですよ」
「はい、お母様。いま行きます」
兄弟はお行儀の良い返事をしました。ジャックも雪でびしょ濡れて汚れた面を彼女へ向けました。
哀れな男の子を、彼女はちらりと見ました。しかし、彼女は不快そうに顔をしかめただけで、後は何も見なかったかのように、すたすたとお屋敷のなかへ戻っていきました。
「ふん、じゃあな。クソガキ」
ポールが足でジャックの肩を小突きました。ピーターは怯えるリズを見てにたにた笑っていました。踏み散らかされ、土にまみれた雪の上に残されたジャックは、あまりの悔しさに、うずくまったまま低く唸りました。
「ジャック、だいじょうぶ?」
リズは泣きべそをかきながら心配そうに兄の顔を覗き込みました。本当は身体中あちこち痛くて涙が出そうでしたが、ジャックはよろよろと立ち上がり、平気な顔でリズの服についた雪を払ってやりました。
「大丈夫だよ。僕たちも、お母さんのところに戻ろう」
二人は小さな手と手を重ねて、歩き出しました。
しょんぼりして帰ってきた二人を見て、お母さんは何があったか直ぐに察しました。冷たくなった小さな子どもたちをお母さんはぎゅっと抱きしめました。
「ピーターたちに、またひどいことをされたのね?」
お母さんは優しくたずねましたが、ジャックはむくれた顔で何も答えませんでした。リズは支離滅裂なことを言っては、ぐずぐずふにゃふにゃしていました。
お母さんはジャックの手を取りました。
「リズのこと、ちゃんと守ってくれたのね。ありがとう」
お母さんは冷たくなったジャックを両の手で包んであたためてくれました。じわじわと氷が溶けていくような温い体温が気持ち良くて、ほっとします。けれど、悲しみの浮かんだ綺麗なお顔を見ると、ジャックは体が芯から冷えてくるように思われるのでした。
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