「櫂先輩だ」

「は?」

「あそこ」

目を凝らした関谷くんは、呆れたようにため息をついて窓から視線を逸らした。

もう少し


「よく見つけるよな」

「目立つでしょ、櫂先輩」

「まあ、でかいしな」

「かっこいいから」

「……」

格好良いと思っているのは僕だけなんだろうか。関谷くんはいまだに櫂先輩のことを好いてはいなくて、まるで僕の感覚がおかしいみたいな顔をする。でも、逆に言えば僕だけが櫂先輩の素敵なところをたくさん知っているということになる。それはそれで嬉しくて、優越感に浸りたいような気持ちになる。

「寒そう」

廊下から丸見えの中庭を気だるげに通り抜け、向かいの第二棟へ消える背中。ブレザーは固くて動きづらいから嫌いだと聞いたけれど、さすがに寒いのかしっかりと袖を通している。格好良い。
何人かのクラスメイトらしき人たちの中で、明らかに目立っているというのに、関谷くんは気付かないんだろうか。と、不思議に思ったことがバレたのか、「そりゃ見かけたら気づくけど、今ここでわざわざ中庭見下ろさないだろ」ともっともな言葉を投げてきた。

「そうかな」

「そうだろ」

「気配かな」

「センサーかよ」

「それついてたら便利だね」

「……」

「あ、なりなり会長もいるよ」

「どうでもいい!」

ぷりぷりしながら僕を置いて進んでしまった関谷くんは、絶対なりなり会長と何かあった。と、僕は読んでいて、でも彼から話してくれることはないし、こちらから根掘り葉掘り聞きすぎるのも良くないかなと、結局聞けないままでいる。


見えなくなった背中を思い浮かべながら午後の授業を乗りきり、下校するクラスメイトに混ざって一緒に昇降口を出ると暖かい日差しと痛いくらいの冷たい空気が全身を包み込んだ。二月も中旬、いくらか和らいだと思った寒さが、けれどまだ春には遠い。

肩をすくめてマフラーに鼻を埋め、やっと歩き出したところで少し前を今の今まで考えていた背中が通った。僕は反射的に足を早め、パタパタと靴をならしてその背中に手を伸ばした。

「、つぐみ」

「今、帰りですか」

「ああ、うん」

今日はバイトだ。知ってる。
相変わらず頻繁に連絡を取ったりはしないし、登下校の約束もたまにしかしない。こうしてタイミングが合えば肩を並べて歩くし、なにか用事があればそのまま手を振ってそれぞれ帰る。
今日はこのままお別れかなあと、櫂先輩の目を見つめていたら、不審そうに見下ろされてしまった。

「なに」と、聞き慣れた無愛想な声に目を逸らすと、大きな手が僕の顔に近寄ってきてマフラーを少し下げられた。

「それ息出来てんの」

「っ、平気です」

あっそう、と離れていった手は去り際に僕の頬を緩く撫でて悪戯に遠ざかった。こういうのずるい。そう思って反抗的に口を閉じたけれど、すぐに自分の家に着いてしまい後悔した。
もう少し話をしたかったな、と。でももう遅く、それでも諦め悪く帰ろうとした先輩の腕を掴んだ。

「櫂先輩…」

「ん?」

「今日、バイト…ですよね」

「無くなった」

「えっ、」

「いつ聞いてくるのかと思った。それ」

「……」

本当にずるい。
僕はまた無言で体の向きを変え、強引に櫂先輩を玄関に連れ込んだ。この巨体が簡単に引っ張られるわけがないのは分かっているからこそ、抵抗されなかったことが嬉しくてドアが閉まるのとほとんど同時にその体に抱きついた。

「つぐみ?」

「……櫂先輩」

櫂先輩と最後までしたのは二週間前。それからエッチはしていない。

あの日から櫂先輩の熱がずっと体の奥に残っていて、寝ても覚めても櫂先輩のことで頭が一杯な僕は、けれどそれって前からだよなと気付いたのは早い段階だった。
僕は最初から櫂先輩が好きで、触れあってキスをして、その度に自分の中で櫂先輩がどんどん大きくなって、もうこれ以上は無理だと何度も思ったはずなのに。

「……」

無理、体が熱い。
エッチなことをしたくないと言えば嘘になるけど、そればかりなわけじゃない。ただ単に近くに居たいとか触れ合っていたいとか、そういうのが欲しいのに…今の僕は隠せないくらい、欲情しているんだと思う。
何が恥ずかしいって、今目の前で見下ろしている櫂先輩がそれに気付いていることだ。たぶん歩いているときから。だからほっぺなんて撫でたんだ。ずるい。バイトはなくなったから引き留められてもいいやって、そんな気持ちで。

「…す、して…下さい」

「聞こえない」

「〜…」

「もう一回」

「…キス……!して、ください」

言い終わるのと唇が重なったのはどちらが先だったのか。瞬間で触れた唇の感触に目眩がして、慌てて櫂先輩の首に腕を回した。そのまま背中が壁にぶつかり、とんと、軽い音が玄関に響く。

そうだ、まだ玄関だ…
目一杯の背伸びをやめて靴を脱ぐ動作に入ったら、必然的に唇は離れてしまった。でも仕方ない。脱がなきゃ家に上がれないし、靴…

「あ」

落とした視線の先、そこには週に一度見るか見ないかくらいの、母さんの靴があった。こんな時間に帰ってきているなんて珍しいなと思ったのと、このまま櫂先輩を連れ込んで致してしまって良いのかという不純なことを考えたのは同時だった。

「母さん、帰ってきてる」

リビングにはいる気配がないから二階だろうか。脱いだ靴を揃えて中へ入ると、大きなスーツケースが行儀良くリビングのソファーの横に置かれていた。

「かあさーん?」

「つぐみー?ままお風呂ー!」

「うん、ただいま。出掛けるの?」

玄関でゆっくり靴を脱いでいる櫂先輩に手招きをしてからお風呂場へ向かうと、濡れた頭にタオルを乗せてシャツのボタンを全開にしたままの母さんが出てきた。

「おかえり、まますぐ出なきゃいけないんだけど、なんか変わったこととかない?困ったこととか、なんか…」

「あ、こんにちは」

「やだ!ごめんなさいねこんな格好で!つぐみのお友だち?」

「うん、それよりボタン止めてズボンはいて。櫂先輩困ってるから」

「あー、君が“櫂先輩”!つぐみが仲良くしてもらってるって言ってた。いつもつぐみがお世話になってます。ゆっくりしていってね」

「え、髪乾かさないの?」

「タオル巻いて帽子被ってく!」

「スーツに?」

バタバタとリビングと二階を行き来して、強引にタオルドライを済ませた髪にニット帽を被せた母さんは、スーツとコートにはちぐはぐなその格好のまま鞄を掴んだ。
あ、そういえば櫂先輩、母さんに会うの初めてだよなあとか、なのにあんな格好とこの慌ただしさで申し訳ないなあとか、考えているうちに母さんは行ってしまった。

取り残された僕らはしばらく無言で、やっと出てきた謝罪は「ごめんさい、母さんいつもあんな感じで」という、全くフォローになっていないものだった。

けれど僕は勝手に、自慢の櫂先輩を母さんに一瞬だけでも見てもらえて嬉しいだなんて考えていた。


「距離がゼロになる」




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