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短編
宇宙一幸せなバッドエンド
コレを読んだ方が分かりやすいです。

「テメーはもう大丈夫だ! こんなオレを好きになってくれたんだ! きっと、テメー自身の事も好きになれるはずだぜ!」

最高で最悪で絶望的なコンビ、王馬小吉と百田解斗の手によって完全犯罪だと思われていたこのコロシアイ事件は苗字の親友ともいえる亡き赤松楓の意志を、信念を、魂を託せられた最原終一によって、この学級裁判は幕を閉じた。
既に命短い百田解斗の死を嘆き平生を取り繕うことすらできずに、思いのままに、感情的に気持ちを吐露した春川に対する彼の言葉に苗字はようやく自分自身の気持ちに理解をした。否、きっと自分では分かっていなかっただけだ、彼をクロだと指定した人数は、裁判上に参加した6人のうち5人だった。そしてその時、確信したのだ。皆が無投票者に首を傾げる間もなく最原含め他の生徒たちが彼の死を嘆いていたからだ。
これから死にゆく百田はまるで暫しの別れだとも言うようにいつまでも笑っていた、苗字が知っている、百田解斗そのものだった。

「ちょっとー! 感情的になるのも良いけどさ無投票者がいるってどういうこと!?」
「無投票者……」

このゲームの主催者でもある異質な人形モノクマは耳障りな声色で彼らの言葉を遮るように叫びだした。普段なら煩わしいと一蹴しているところだったが、それは確かに疑問だったので意識が集まる。このコロシアイ学級裁判のルールである投票システムには、投票を必ずしなければならないという、否参加するからには当たり前だろうそのようなルールが存在するのだ。しかしこの学級裁判にはそれを破った者がいた、紛れもない事実。でも、みんな心のどこかで分かっていたのかも知れない、真の犯人である、皆を混乱の渦に巻き込んだ百田がエグイサルから出てきた時から言葉を紡ぎ静寂を貫いていた苗字名前にちら、と射抜くような視線が向けられて行く。

「苗字さん、……君が、無投票者なの?」
「う、嘘じゃろ……? だって、苗字は犯人はずっと百田じゃと……」

震える声色でずっと立ちすくんでいた苗字に最原は問うた。彼の鋭利な瞳には真実を認められない、とでも言いたげな色を濁している。はたと気付いた苗字は辺りを見渡すようにすれば皆が困惑した視線を向けていた。ああ、みんな感じ取っていたのかな。なんて場違いな思想に耽りながらも黙って首を縦にこくんと動かせば、モノクマがかぶりを振り怒りの言葉を叫ぶ前に今回の事件の真犯人である人物が苗字のか細い腕を折らんばかりにつかみ掛かった。あまりの勢いに驚きで肩を揺らし、視線を上に向ければなんとも言い難い、それでいて絶望に染まった百田の顔が苗字の色を無くした目に留まった。病気のことなんか無いように、彼の手には強い力がこもっている。

「苗字、なんでそんなことしたんだよ……!」
「百田、くん」

今まで見た事がない顔だ、すっかり水分を無くした唇はカサつき彼の名前を連ねた時に僅かな痛みが生じる。どうして、彼がここまで焦りを見せたのか苗字には全く持って理解ができずにいた。
きっと全員が今までと同様にクロに投票すると思ったのだろう、先刻の春川の告白の時といい、つくづく自分に向けられた想いに鈍い人だ。いや、それは苗字にも分からなかった感情だからこそ、彼も全く気付かなかったのかも知れない。今更気付いても遅いことなんて、投票スイッチを押す前から分かっていたのに、けれども結局は自分の欲に負けて身勝手なことをしてしまった事実に胃が焼けるような焦燥感に駆られてしまう。けれど。どうして彼はここまで焦燥の意を見せるのだろうか、きっと他の人が自分と同じことをしてもこのように戸惑いを見せてくれるのだろうか? それとも、もしこの狂った状況で一抹の期待を持つとしたら、自分だからこんなにも焦りの表情を見せてくれる。そうなのだろうか。

「おい、苗字……!」
「ちょっと百田!」
「百田くん!」
「じょ、女性に暴力はいけませんよ!」
「ロボにもそのような心は分かるのか」
「ここでロボット差別は止めてください!」

なにも答えない苗字に百田はさらに詰め寄るように手に力を込めた。その痛みに苗字が一瞬顔を歪めればそれにいち早く気付いた春川が二人の間に駆け寄った。同様に彼を慕っていた最原も暴走仕掛けている二人を止めるべく春川の後に引き続く。暗殺者さながらか男とも引けを取らぬ春川の力で手は離れたが、百田は俄然納得仕切れていないように目の前の苗字を見つめる。自分が病気持ちだということすら忘れて、ただ彼女が抱える真実を、語られる待ち続けているように見える。

「落ち着いてよ、別に一人くらい無投票者がいたからって」
「え? 普通にルール違反だからオシオキ受けてもらうよ?」
「ええっ!?」
「そ、そんな……」
「学級裁判は公平なルールのもとでやってるんだからね! ルール違反はダメに決まってるでしょ!」

場を落ち着かせるべく放たれた春川の言葉を遮るように、至極此れ当然とでも言いたげなモノクマの冷徹な言葉に誰もが目を見開いた、白銀に至っては事実を受け止められずに今にも卒倒しそうな勢いを見せている。
全員が混乱の渦に飲み込まれていく中、いつまでも沈黙を貫いているのは苗字だった。混乱の渦に巻き込んだ張本人がずっと黙っているので、皆はただ言葉を待つしかできなかった。

「苗字、なんでだ? なんで、」
「……百田くんは死んでない、となんとなくピンと来たよ。……でもそうなると犯人も分かってくるよね」

なんで投票を、なぜ、と疑雲晴れやらぬ言葉を止める間もなく吐き出していたときに場の静寂を破りさるように響く言葉に全員が息を飲んだ。ようやく言葉を紡いだ彼女の言葉は、気味が悪いほど冷静で、冷淡だった。

「裁判中、ずっと辛かった。……だって百田くんが生きていると主張するのは、百田くんが犯人かも、と疑うしかないもんね。私は被害者側につかず彼が加害者だという真実を前提に裁判に参加した。…なんでだろうね、そんな事望んでいなかったのに。……けどさ、どうしても死んだっていう事を認められなかったもん」
「それなら、なぜ投票しなかったんですか」

一音一音噛み砕くように、普段はどちらかといえば聞き手に回ることが多かった苗字がいつになく饒舌に、言葉の重みを確かめるように音を紡ぐ様で、キーボが、他の連中がずっと疑問を抱いた事を吐き出した。それは嫌味でもなんだもない、まっさらで純粋な疑問の問い掛けだった。

「……犯人、心で分かっていても投票できなかった。自分を信じると言ったくせに、ね。……だって、投票しちゃったら、今こうして目の前にいて話しているのに、死んじゃうんだよ? 離れ離れになってしまうんだよ? 分かってるの、私一人が投票しなくても結果は変わらない。だけど、二度と会えないんだよ? 今までのみんなだってそうだよ……。嫌だよ……大好きなのに……私を元気付けてくれて、信じてくれた大好きな百田くんが死んじゃうんだよっ……嫌だよ、嫌だ、もう、大好きな人がいなくなるなんて、嫌だっ……!」

最後はほとんど叫ぶように、それでいて悲痛な言葉が彼らの鼓膜を揺さぶる。息を絶え絶えにし、苦し紛れに絶望の色を見せた苗字の姿は哀れだった。それでいて、このコロシアイゲームに参加させられていた皆の気持ちを具現化したような、忘れ去られていた理性を決壊させた本来の人間の姿そのものだった。
心では分かっていても理解が追いつかなかった。彼が犯人なのは一目瞭然だったのに、ここでスイッチを押したら彼をクロだと認め、オシオキをさせてしまう。あの日、自分に声を掛けてくれて、いつまでも前を見通し希望に満ち溢れた少女のように、また好きな人を喪ってしまう。苗字にとっては、その事実があまりにも残酷すぎるものだった。

「……ごめんね、最原くんが導いてくれた真実に、最後まで付いていくことができなかった。このまま遺されるくらいなら、私も死にたいって思っちゃったんだ」
「苗字さん……どうして、そこまで……」
「そ、そうだぞ! 俺を好きになってくれたのは、すっげー嬉しい。けど、なんでわざわざテメーが死ぬような道を……」
「……けどね。私は、後悔なんかなに一つないよ。自分の信念を貫き通したのだから」

凛として言い放つ苗字の瞳は剛毅の色を光らせる。その言葉に息を呑んだ。物を言わせぬ気迫に皆が気圧された。それは、百田も同じだった。信念を曲げずに、ただ自分らしく、ありのままにこの学園生活を送ってきた。無論楽しいことだけではない、苦しいことだらけだった、だからこそ、笑って過ごした。そして最終的になに一つ意志が合わず衝突ばかりしていた王馬小吉と手を組み完全だった犯罪を起こした、結局は尊敬し、嫉妬という感情を百田に芽生えさせた最原によって暴かれてしまったが。だが嬉しかった、きっと彼なら過去の自分を乗り越えて、閉じこもった殻を破り真実を見つけ出してくれると思っていたからだ。そして、こんな自分のために泣いてくれる女もいる、これ以上の喜ばしいことはないだろう。そう、思っていたのに、それだけなら良かったのに。
ただただ短い期間を過ごし好きになった男のために自らの命を投げ打つなんて、そんなことがあって良いのだろうか。命をそんなに軽んじてはならないというのはこの才囚学園に来て嫌というほどに分かりきっていただろうに。

「苗字……、」
「百田くん。……私はね、きっと、誰かの為にしか生きられないんだ。楓ちゃんが死んじゃった時、生きる希望を失いかけた私を助けてくれたのは他でもない百田解斗くん、貴方だよ。だからこそ私は貴方の為に生きたいと思ったの、……君に対する想いが私の生きる希望なんだ」

他人から見たら重苦しい故にはた迷惑な話だろう、けれど百田はそんな事を微塵も感じなかった。感じられなかったのだ。逆に、その重たい言葉は暖かな熱を含んだ鉛となり、彼の身体の奥底へと沈み込んだ。ああ、この少女は、きっとそんな不器用な生き方でしか生きられない。彼が他人の生き方に口出しするつもりは毛頭ない、何より自分自身が常日頃から豪語していた貴方を信じる自分を信じろという言葉の元できっと彼女は悩みに悩み、苦しみ決断したのだろう。そりゃあ命を投げ打つというのは良い顔ができないが、元はと言えば今までの気持ち自体もきっと自分が踏み躙っていたのだろう。自分を好きになってくれた、春川の気持ちすら。しかしそんな事を感じ取らせないほど少女は清廉に、そして静謐に佇んでいた。
どうしようもないほどの気持ちが溢れ出て、歩み寄り、百田は彼女の額にぴん。と指を弾いて、満面の笑みを浮かべる。

「そうか……、そう言われたらなんも言えねえじゃねーか。ったく勿体無いことしやがって!」
「……うん」

自分は、なんて幸せ者なのだろうか。
一人の女の生きる希望など、それは責任感がある言葉であり、呪いであり、告白であるに十分に値する。同時に、ここまで自分を想ってくれた彼女にどうしようもないほどの愛おしさが込み上げる。自分が好きだからこそ、百田が好きだからこそ、決められた決断。今にも泣きそうな表情を見せる苗字に、それ以上の言葉を掛けてやりたかったが、既に助手に隠していた思いを吐露し、自分を取り繕うことを止めた百田に気の利いた言葉は春川に言った後は出てこなかった。ましてや恋情が絡んでいるのだ、そして、きっと自分も。複雑に絡み出す感情の渦に巻かれながらも、太陽を飲み込んだように身体はじんわりと火照っていき、幸福感が増し行く。気付くのは幾分か遅すぎたような気がするけど、それでも幸せだとは言わずに思えなかった。けど、時は、自分の身体を蝕むそれは、待ってなどくれない。

「ッゲホッゲホッ!」
「百田くん、大丈夫!?」
「……ああ、まだ、死ぬ訳にはいかねー」
「百田くん……」

既に自身の命の灯火は小さくなっている。背中に手を添える最原の問い掛けにしっかりと答える。まだ、なにも言えていない。
これから待ち受けるお別れに備えてなにか言葉を掛けたかったのは苗字も同じだ。思いを告白し始めて抱いた恋心はあんまりにも残酷なシーンだったのも、運命の一つだろう。けれど、泣けなかった。否、泣きたいことは事実だがきっと目の前の男を困らせることにしかならないのだろう、あの人を近寄らせずに心を閉ざしていた春川の心が完全に溶けたのに、ここで自分も感情を決壊してはいけないと己で己を強く縛る。ときには、自分を殺すことも必要なのだと。

「……」
「……」
「……ああもう。じれったいな…。ほら」

言葉を紡がずにただ立ち竦む二人にしびれを切らし動いたのが春川だった。苗字の近くに歩み寄り、その小さな背中をとん、と押す。「春川さん?」と間抜けな声を出せば春川は「最期なんでしょ、自分をちゃんとだしなよ」と赤く腫らした目を優しく細め、口元に小さな笑顔を浮かべた。苗字の耳に優しく届いたその言葉に、感情の砦は破壊寸前だった。

「苗字っ……」

そう言うや否や、目の前で聞いていた百田はぐっと唇を噛み締め、その伸びた腕を伸ばし苗字の小さな身体をしっかりと、確かに包み込んだ。

「わ、も、百田くん……」

暖かく、自分とは違う女の身体、酷く柔らかく甘く香る芳香は自分の方に移りゆく。体躯を抱きしめても回した手が自分の両腕にぴったりとつくほど、彼女の身体は小さかった。こんな小さな身体でたくさんのものを抱え込んできたのだろう、なぜ、どうして、自分は気付いてやれなかった。支えきれないほどの重さで押し潰されそうな、きっと無意識に苗字がその抱えきれない重さから逃れるために剥離していたこと自体も、自分と彼女を後押ししてくれた少女も脳内に過ぎり悔しさでやるせなかった。どこまでも他人を想う男だと笑われたって良い、それが彼の生き様なのだ、こうすることでしか、彼女と同じように生きていけないのだ。

「苗字……悪かったな。気付けなくて」
「……!」

切なげに告げられた言葉が頭上に降りかかる、同時に壊れんばかりにきつくきつく、生きていることを確かめるように、その身体で感じ取らんばかりに抱擁される。厚い胸板に押し付けられるほど、彼の命の源である心臓の鼓動が安らかな木漏れ日のように鼓膜に纏わりついて脳漿へと木霊していく。「悪かったな」なんて謝罪の言葉を述べられた瞬間に苗字は彼の腕の中で震えた。なんで、どうして彼が謝らなければいけないのか、これはあくまでも私自身のわがままだ起こった事だというのに。むしろ迷惑だと言って突き放してくれればどんなに楽だったろうか、しかしあろう事かこの男はそれを肯定し、尚且つ辛い思いをしたと汲み取って謝ったのだ。

「百田くん、どうして、私、は……」
「苗字、もう我慢しなくて良いんじゃないの」

残酷なまでに優しい百田に、苗字は唇を噛み締めてその広くたくましい背中に手を添える。そして、後ろにいた春川が自分の気持ちすら無視し、苗字の気持ちを尊重したように彼女の髪をその小さな手で撫でつけた。ここで自分がどれだけ身勝手で、我儘で、愚かで、自己中心的な事をしてきたのかと思い知らされたがそれすらも肯定してくれる仲間たちの優しが容赦なく身体に突き刺さる。
もう、限界だった、目の前が激しく揺らぎ、口がゆるゆると開いた。

「うっ……、く、……うああああっ……!」
「苗字、……ありがとう。すげぇよ、テメーは」

頭の中が真っ白になり、決壊した感情は涙雨となり彼女の輪郭へとしとどに降り注ぐ。ついには嗚咽が漏れ出し震える身体を包む百田の身体の暖かさに鼻の奥も酷く痛み出し、気が付けば裁判上に木霊するほどの大きな声で泣きじゃくるしかなかった。子どものように泣き喚く、好きな人が死ぬ真実、そして迷惑を掛けてしまったこと、それすらも許してくれた仲間の心のあたたかさ、今までの仲間の死、大切だった親友との別れ、全てが全て涙へと変化する。もう泣けずに絶望するしかなかった苗字は、そこにいなかった。
小さな体躯を宥めながらも、百田は同様に自分を慕ってくれていた春川の方を向いて、同じように笑顔を向けた。

「ハルマキ、ありがとうな」
「別に。このままだとやり切れないだろうと思っただけ」
「しかし春川、それでいいのか?」
「……百田と同じように、苗字の事も大好きだから」

夢野が気を使うように問いかける。それに対してあっさりとした対応だった。……仕方がない、たまたま同じ人を好きになっただけ、そしてもう一人の子は、自分よりも幾分弱い子だから後押しをしただけだ。それこそやはり、好きな人が別の子と想い合っているという事実は心が痛むものだがそんな感情も今は無かった。同情なのか、はたまた別のものなのかは分からぬが、悪いものではないだろう。ただ、彼の腕で子どものように泣き喚く少女が酷く愛おしいと思うほど。自分も、こんな風にさせてしまったのだから厄介な人を好きになってしまったものだ、後悔なんて、微塵も感じていない。

「っふ、……うう……」

鳴り響いていた嗚咽が小さくなり、苗字の身体はようやく落ちつきを取り戻していく。それに気付いた百田はすぐさま自身の腕の中にいる苗字に声を掛けた。

「……苗字、平気か?」
「ん……。ありがと、大丈夫」
「っはは、ひでぇ顔してんな!」
「う、そんなにかな……」

ひとしきり泣いた苗字の背中を数回叩き声を掛けると、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった彼女に思わず笑ってしまえば少しだけ不機嫌そうな声が返ってきた。ここが、普通の場所だったらなんら変哲の無い幸せな日常だったに違いない。ただ、こうもあまりにも幸せだと自分が抱える病気も全ても嘘なんじゃ無いかと錯覚してしまう。でも、それではいけない。今までの仲間の命も、自ら手を掛けた相入れなかった仲間の命の重さも、自分を想い慕ってくれる仲間も、全てが本物なのだ。そしてその重さを抱えて、自分はこの世界に終わりを告げる。
恐怖がないと言ったら嘘ではない。だが、もうかつて裁判を混乱に招いていた自由奔放の象徴である王馬小吉と手を組んでいた時から覚悟はしていたつもりだ。
そしてついに痺れを切らしたモノクマは、静寂を打ち破るように呪いの言葉を言い放った。

「あのさぁいつまで長話してんのー!? ボクもう退屈すぎて永眠するところだったよ!」
「え、永眠って……地味にとんでとないこと言うね……」
「もう時間ももったい無いからちゃちゃっとはじめるよー!?」
「苗字、これ預かってくれ」
「わっ……!?」

だいぶ落ちつきを取り戻した苗字の方を見れば、やはり困惑と恐怖、絶望が入り混じった表情を見せる。
これから待ち受ける事を受け入れたのに、揺らいでしまいそうだった。決意を示すべく最期に百田は自分が着ていたジャケットを脱ぎ苗字の体躯に羽織らせた。
不思議そうに見上げる苗字をもう一度、強く強く抱きしめる。さみしがり屋で、誰かを為にしか生きられぬ苗字が死ぬ時に一人だと心細いだろうから。それと、最期まで彼女のそばには自分がいるという事を分かってほしいから。ただそれだけだ。
ゆっくりと、惜しむように彼女から離れ、オシオキを受けようとしたその時だった。

「まっ、待って百田くん……! これ、」
「ん?」

彼の意を察してかなんなのか、今度は彼の着こなしを真似て左腕だけに袖を通していた苗字はぶかぶかの裾から覗く手で首元を緩く締めていたネクタイを素早く解き彼に手渡した。血に染まる彼の手を彩るネクタイを赤紫の瞳で一瞥する。
これは、どういう意味だろう。宇宙飛行士訓練生として、教養が他よりも優れている百田は一瞬だけ意味を考えるが、すぐに止めた。感情論で動く彼に思考なんて必要ない。今は、そんな事をしたって意味がない。ただ彼女の意思を尊重するだけで十分だ。目の前で自身のジャケットを羽織り、これから後を追う少女の目の前に立つ。そして、愛おしさが込められた目で苗字を見つめ、そのネクタイをしっかりと握りしめた。今際の時、呟いたのだ。

「名前」
「へ、……は、はい!」
「こういうとき、さよならが正しいんだろうな」
「……え?」

彼の言葉を聞き返す間もなく、彼のオシオキは実行された。

目を開けた時に見えたそれは眩いばかりに光り輝く無限の宇宙だった。百田解斗が思い描くカッコよさ象徴であり、彼の夢であり目標だった宇宙飛行士。ここでは決して見られることがないと思っていた宇宙を、こうしてロケットの中で見ている。
同時に、誇り高かった。自分を信じ真実へと歩み寄り、自分の胸の内をさらけ出すことが出来た、そして泣きじゃくる助手が。そして、最期を嘆き、こんな自分を好きになってくれた助手が、……無愛想だった彼女が感情を露わに泣いていたのだ、これほどまでに嬉しいことはなかろう。
最期に、自分を生きる希望だと言ってくれた女を思い浮かべる。死にそうだから、今にも自殺してしまいそうなほどだったから声を掛け励ましただけ、しかし彼女にとってはそれが生きる活力となったのだ。一人の人間を救ったことを誇らずにはいられるか、胸に張ることだ。人を愛おしいと気付かせてくれたのも、彼女だった。本当ならば、死ぬのなんてやめろ。と制止をしたかったが、彼女が考えに考え抜いて決した決断を止めることなんてできないことは分かっていた。幸せだ。
オレの死を嘆き悲しむテメーらには悪いが、オレは今、どうしようもなく幸せに満ちている。百田解斗という一人の人間で良かった、と心からそう思えるほどに幸せだ。幸せで幸せで堪らないんだ。悲しんでくれるな、泣いてくれるな、笑ってくれ。
この星空の中、自分を尊重し、力尽きた男を見届けてくれ! そして、宇宙に轟く百田解斗というちっぽけな存在を、いつまでも忘れないでくれ!

「っ……!」

身体が軋み、視界は緩やかに闇へと誘い、限界はとうに超えていた、掌にはためくネクタイをしっかりと握りしめ、思い切り咳き込んだ瞬間、百田解斗の命は広い宇宙で小さく消え果てた。
最期まで、宇宙に愛された男だった。



全員が、今までとは違う流れに目を見開き、そして驚いた。
彼のオシオキをしっかり見届けた。彼は屈しなかった、どこまでも百田解斗であったのだ。それは彼らに生きる決心を生み出し、誰しもがそれを理解し、同時に希望を胸に抱いたのだ。
それは、これから彼と同じ道を辿る苗字も同じだった。

「……よし」

次は、自分の番。そう決心をつけるように、自分の奮い立たせるように声を漏らす。すると春川が歩み寄り、そのまま飛びつくように、苗字の身体を優しく抱きしめた。そこに確かにある温もりを確かめるように、生きていた証を身体に刻み込むように。

「ふふ、……春川さん、苦しいよ」
「あんたは、ほんとに馬鹿だよね。……大馬鹿だよ」
「うん……。思っていた以上に、大馬鹿だったみたい」
「そういうところ、少し羨ましい」

場に似合わずに悪態をついていたが、彼女の小さな身体が震えていたことに苗字は気付いていた。彼がそうしてくれたように、貴女がそうしてくれたように、苗字も優しく春川の身体を包み、艶やかな彼女の黒髪を撫でつけた。周りの人たちの目にも、うっすらと悲しみが滲んでいた。自分の死を悼んでくれる人がいる、それがどれほど嬉しいことなのか身に染みて分かった。
だけど、少しだけ怖かった、これから待ち受けるのは自分がいなくなること。そして、きっともう彼と会えないことも。誰しもが想像すらつかない隘路への旅路だ。もう苗字名前という存在は、終わってしまう。

「(こういうとき、さよならが正しいんだろうな)」

その言葉を思い出す。さよなら、本来は別れの言葉、終わりを示す言葉。だけど、知っている。さよならに込められた、本当の意味を。きっとそれが、貴方の答え。惜しんでくれたのだ、彼は。私の意志を全て肯定したうえで、それを受け止めて、彼はしっかりと悔やみながらも別れの言葉を言ってくれた。
春川の震える身体をしっかりと抱き締めて、彼の象徴であったジャケットを翻し彼の元へと近寄った。

「最期までカッコ良かったよ。百田くん」

壊れた宇宙船から現れた、まだわずかに熱を孕む亡骸を見に寄せる。彼の手にはしっかりと自身が託したネクタイが握り締められていた。また涙が溢れそうになったが、それをこらえ彼の口元の血を拭い、胸に掻き抱く。悔いのない幸福に満ちた穏やかな表情、オシオキに屈せず自ら力尽きた命を胸に宿す。

----------------------------百田くん。

貴方は私の、絶対だった。
太陽のように輝く笑顔、いつも前に立ち真っ直ぐ突き進み駆け抜けていく貴方が、「苗字」と名前を呼ぶ声が、なにより、大好きな人が死んでしまった時に慰め続けてくれた貴方が、誰かを必要としないと生きていけない私にとって、唯一無二の心の支えだった。
重苦しくて、ごめんね。と心の奥底から謝罪を言ってもきっと貴方はきょとんとした顔を見せた後に「そんなもん、宇宙に轟くオレにとってはどうってことないに決まってんだろ!」なんて笑って頭を撫でてくれるだろう。
どこまでも信念を貫いた男のことを、私は忘れない。
彼が生きた証であるジャケットの裏側に広がる那由他の宇宙を、幸福に溢れた貴方自身をその瞳に刻み込む。

「うぷぷ、じゃあ行きますか!」

連続する異例のオシオキに、再び緊張が走る。苗字は、最愛をしっかりと抱き締めて、最期に弾けんばかりの笑顔を、かつて共に過ごし、戦い、生き抜いた仲間たちに向ける。

「白銀さん、キーボくん、夢野さん、最原くん、春川さん。……絶対、生きてね。ありがとう、さようなら」
「それでははりきってまいりますよー!」

言葉を返す暇すら与えてくれず、モノクマの声が響き渡る。これで、本当に全てが終わる。苗字名前の人生が終わる瞬間。最期の最期まで仲間に見送られ、好きな人の意思を羽織り、抱き締めて死ねるのだ。きっと彼も、こんな風に幸せだったのかも知れない。

「オシオキターイム!」

待ち受ける恐怖に、無意識に身体が震えようと、苗字は決して笑みを崩すことはなかった。死に際に遺された彼の言葉を、反芻する。
そして、硬化していく彼の唇に、そっと自分の唇を重ね合わせた。

「左様ならば、仕方ない。……解斗くん。ずっとずっと、……大好き」

苗字さんのオシオキを開始します。

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