「……は?」
入って来た瞬間すっ転んだ人物に注目が集まる。
…もう一人ってまさかこいつか?
「うわあああっ!ごめんなさい!すみません!」
そいつはしゃがみ込んだ体制で慌てながら謝っている。
だが、前髪のせいで顔がよく見えない。
「いや、大丈夫だから落ち着いて。怪我してない?」
「ああああ!大丈夫です!すみません!」
完全にパニックになっているそいつに進藤さんが声をかけると、そいつは慌てながら立ち上がった。
大体オレと同じくらいの年だろうか。
肩にかかる位の黒髪。
瓶の底のような分厚い黒ぶち眼鏡。
明らかに理系っぽい細めの体と白い肌。
野暮ったい…そして地味だ。
いまどきどこにそんな眼鏡売ってんだ…?
しかもそいつは少し変わった服装をしていた。
白いシャツにネクタイ、黒のズボン。ここまではまあいい。
問題なのはその上に白衣を着ている事だ。
なんとなく高校時代の保健室の先生を思い出す。
…まさか私服じゃねえよな。
「すみません!仕事場から直接来たのでこんな恰好で…私服じゃないですよ?」
最後はこっちをみて言われた。
エスパーかこいつ。
「仕事場?」
訝しげに進藤さんが尋ねる。
「あ、科捜研です!」
「え?それってほぼ別の場所じゃない?」
科捜研。
正式名称は科学捜査研究所。
そこは、同じ敷地内にありながら全く別の場所にあるような部署だ。
そこは鑑識では鑑定しきれなかった物を鑑定、研究する科学捜査のエキスパートが集まる場所。
科学の最先端が存在する場所。
そして、犯人逮捕にも大きく貢献する重要な場所でもある。
しかし、所属するのは一般研究員で警察官ですらないはずだ。
目の前のこいつはどう見ても科学のエキスパートには見えない。
「朝来たら上司に『お前、今日から0課行け』って言われちゃいまして…。一応警察官の資格も持ってるんですけど…」
おい、お前なにやらかしたんだよ…
尋ねようとした時、晴崎主任の声が聞こえた。
「そこの白衣、まず名を名乗れ」
「あ、はい!私は雨宮宰です。よろ「そうか俺は晴崎雅治。お前の上「あ!ハルハル主任ですね!聞いてます!」
雨宮と名乗ったそいつは地味な見た目に反してなかなか度胸があるようだ。
…てか、なんだ?ハルハル主任って?
ふと進藤さんを見ると手を口元にあて、少し震えている。
自分の言葉を遮られたうえ、突然出たハルハル主任発言にしばらく絶句していた主任だが、気を取り直したかのように雨宮さんに言葉をなげる。
「…それを、誰が言っていた?」
「あ、私の上司です!『ハルハル君はいい奴だから安心しろよ〜』って」
低い声で問い掛ける晴崎主任に対して、悪意の全くない笑顔で答える雨宮さん。
案外大物かもしれん。
「上司…、佐藤さんか?」
「はい!佐藤主査です!」
「…何言ってんだあの人は!?」
言い終わると同時に晴崎主任の机の上の電話が鳴った。
「チッ…はい、こちら特別指定…って佐藤さん!?あなた何言ったんですか!?」
どうやら例の“佐藤さん”という人物らしい。
「……いや確かに言いましたがあれは冗談で……いやどうしろと……はぁ!?いや、ですから……ハルハル言わないで下さいっ!」
隣で進藤さんが吹き出した音が聞こえた。
「はい?はぁ……わかりました。では失礼します」
春崎主任が電話を切ると同時に進藤さんが笑いはじめた。
「ぶ、くくくっ!ハルハル主任っ…!ハルハル、その顔でハルハル…!」
「黙れ進藤っ!」
「だってハルハルしゅに…ぶっ…あはははっかわいっ…ハルハッ…ははははっ」
晴崎主任はなおも笑い続ける進藤さんから目をそらし、雨宮さんを見てため息をつくと一言いった。
「…隣が空き部屋だ。研究なり鑑定なり鑑識なり自由に使え」
「いいんですか!?」
「そのかわり、警察官としても活動してもらうからな。覚悟しろよ」
「了解です!ハルハル主任!」
「ハルハル言うなっ!」
「もう…ハルハル主任で、いいんじゃな…い?ふっ、親しみやすいし…ぶはっ」
まだ笑いが収まらない様子の進藤さん。
案外笑い上戸なのかもしれない…
「あの…貴方のお名前を伺っても?」
呆然と進藤さんを見ている間に雨宮さんが近づいて来ていた。
「へ?あ、ああオレは安曇直弥。新しく異動してきたんだ。よろしくな。雨宮さん」
「雨宮でいいですよ〜」
「そうか?じゃよろしく、雨宮」
「よろしくお願いします」
そう言ってにこりと笑うと、雨宮はポケットから手帳を出して書きこみ始めた。
「えっと…あずみさん…安心して住むですか?」
「いや違う、安心の安と曇天の曇だ。名前は素直の直、弥生の弥だ」
「あん…どん…珍しい名字ですね」
「それはよく言われる…あと俺も安曇で」
いいぜ、そう答えようとした直後背後に何か気配を感じ、振り向いた。
……目の前に主任がいた。
しかも薄笑いを浮かべて。
「うわっ!?ちょ、いつの間に」
「……安曇刑事、今から君を“あんどん”と呼ぼう」
肩にぽんっと手を置かれ、爽やかな笑みで言われる。
ちょっと待て。
そんな丼物みたいな愛称いらねぇ。
「はぁ!?いやなぜですか!」
「今決めた。異論は認めない」
わけわからん!
くっ…こっちにも奥の手がある!
「理由になって無いです!ってかそう呼ぶなら俺も主任をハルハル主任って呼びますよ!?」
「はっ、構わん。そのかわりお前はあんどんだ」
あ、奥の手消えた…
「なんか…自棄になってませんか?」
「まさか。そんなわけないだろう」
また、進藤さんの吹き出す声が聞こえた。
「ぶ…あんど…、あんどん君…っ」
「あ、あの…」
「そいつは進藤和幸だ。進む藤に和えると幸せだ。明日には消える。しばらくほっとけ」
「は、はい!」
手帳に書き込む雨宮。
ニヤニヤしているハルハル主任。
笑いつづける進藤さん。
尻尾を降る犬一匹。
そしてそんな三人と一匹を呆然と見つめるオレ一人。
こうしてオレの異動第一日目は、なんだかよくわからないまま終わってしまったのだ。
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