「…これはまた…名前のわりにずいぶん寂れた港で」

 サンジの予想通りにメリーは島を目標として新たに舵を取られ、ルフィたっての希望で上陸準備が進む。
 見張り台から降りたウソップの代わりに船首で双眼鏡を覗いていたナミは、小さなレンズの向こうの景色にひくりと苦い笑みを浮かべた。
 桟橋は虫に食われたみたいにところどころ穴が開いていて、そこをすり抜けた雪が水面に溶けて消える。カラスが乱舞する波止場には人影が見当たらない。浮標もなければ停泊している船は一隻もない。そこから少し右に反れた場所に灯台があったことを近づいて初めて知ったが、視界の悪い天候だというのに光源を灯してもいないので、最早灯台と呼べるのかも疑わしい。
 とてもじゃないがポストカードに表記している割りに歓迎されているとは思えない有り様に、ナミの眉間の皺は深くなるばかりだ。

「どう考えてもお宝はなさそうだし…これじゃあサンタどころかまともな島民に会えるかどうかも怪しいわ」

 それなのに背後の連中は浮き足立っている。いっそ雪で滑って気絶でもしていてくれたほうが静かでいいのに、ジングル・ベルの歌声は島が近づくに連れて高らかになるばかりだ。
そのうち双眼鏡すら必要ではなくなって、裸眼で港の存在を目視出来るようになる。メリーはゆっくりと沿岸を横行して、その船体を桟橋に寄せた。
ゾロが錨を降ろし、帆を畳みにメインマストを登る。その下でサンジが縄梯子をかければ、肩を組んでクリスマスソングを口ずさんでいた三人が一目散に駆け出した。

「サンタのおっさんどこだァー!」

「おれっ、おれ新しい医学書とお菓子の詰め合わせどっちにしよう!?」

「バカ言えェ!貰えるモンは全部貰っとくのが礼儀ってもんだァ!」

「ちょっとアンタ達!先々行かないで!」

 制止も虚しく、ルフィは腕を伸ばして左舷を掴む。ゴムの反動を利用して船を飛び出し、麦わら帽子を空中で押さえつけながら桟橋をゆうに越え、白いばかりの島に一番に降り立った。
続いてウソップとチョッパーが縄梯子をつたって上陸する。軽快な足取りで古びた桟橋を渡っていくチョッパーの後を、躓きながらも慎重にウソップが追う。

「あんのバカ三人…放っておいたらすぐ見失うわ」

「私たちも早く行きましょう」

 船体から身を乗り出して、合流した三人の姿を目で捉える。ロビンに促されてナミも急ぎ足で梯子を降りれば、ウソップの後に降りて下で待っていたサンジが手を差し伸ばした。

「さァナミさん、ロビンちゃん。下は滑る。足元に気をつけて」

「ありがとサンジくん」

 ナミ、ロビンの順にサンジの手を借りて下船する。先に渡った二人のうち、一人の足跡は小さな桜の花弁のようだが、もう一人分がくっきりと後を残していたので、雪の少なくなったその足跡を辿るように桟橋を渡る。踏みつければ踏みつけるほど雪も柔らかくなるものだが、新雪が絶え間なく降るせいで溶けていくまでには至らない。
大した労力も要せず橋を辿っていると、彼女らの背後に未だ船上のゾロが呼び掛けた。

「船番はどうする」

 自分以外のクルー全員が船を降りたのを見て、さっさと梯子を回収している。
頼まれればそのまま居残りで船番を引き受けようというニュアンスを含んだ問い掛けだったが、ナミは首を横に振った。

「港の規模が大きくないから、ここからそう離れなければ大丈夫!アンタも降りてきて!お父さんが居ないと子供達がつけあがるわ!」

「だっ…!てめェいい加減そのネタやめろ!」

「ぐだぐだ言ってねェで早く降りてこいマリモ。ナミさんのご期待に添いたまえ」

「喧しいわクソコック!」

 喧しいのはお前だと、盛大なツッコミに息を切らしているゾロを見上げてサンジは思う。片手で覆いながら新たな煙草に火をつけて、自分も桟橋を渡ることにする。紫煙がみるみる雪景色の中に紛れていくのを見ながら、背後でゾロが船を飛び降りた音を聞いた。
 前方ではそう長くもない橋を渡り終えたナミに首根っこを取っ捕まれたルフィがもがいている。ピントをぼやかすように彼らを視界に入れたままアングルを引けば、寂れた集落の全体像がはっきりと見えてくる。
 家屋は煉瓦造りと石材の二種類で、なだらかな丘陵を扇形に広がって立ち並んでいる。そしてその奥には木々と木々が身を寄せ合う森林地帯だ。比率でいえば明らかに森林に割かれる土地面積のほうが大きい。家屋の連なりに奥行きがないのだ。扇形の角度が不自然に大きく広がっているのを見ると、木々を切り倒してまで居住区を拡大させようとは思っていないという意図が感じられる。上手い具合に自然との共存を果たしているようだが、それにしたってこの小さな町には生気がない。煉瓦と石材のどちらのタイプにも屋根に煙突が突出しているが、そこから立ち上る煙は近づかなければ気づかないほど細く弱々しい。日暮れ前とは言え、ますます厚くなる雪雲のせいで地表には影すら落ちぬほど空は暗いのに、窓から家庭的な明かりがもれている家屋は一軒もない。何しろ島民らしき人間がひとっこ一人も見当たらないのは如何なものか。曲がりなりにもきちんと集落が形成されている上でのこの状況は、サンタクロースの名を有する分、余計に不気味に思えてしまう。
最初は乗り気でいたウソップとチョッパーはその雰囲気を感じ取ったのだろう。急速に冷静さを取り戻し、団体行動の輪を乱すテンションを引っ込めた。あと騒いでいるのは船長だけだ。そろそろ武力行使に出ようと、ナミが右拳に息を吹きかけ温めている。
 サンジももうすぐにその場へ辿り着こうとしている。後ろのゾロもまさかこの直線で迷子になるはずもなくついてきている。橋はそう長くない。サンジはもうあと一歩でそれを渡りきろうとした時、人差し指で叩いて落とした煙草の灰を何とはなしに目で追っていたら、右の靴の紐がほどけているのに気がついた。船上でびしょ濡れになってしまったから、風呂に入ったあと、新しい靴に履き替えたのだ。けれど、どうやら締めが甘かったらしい。
 橋と島の境界を前にして屈みこむ。右膝を立てて紐を結び直している間に、後ろにいたゾロが追い越して、先に島の土地を踏みつけた。
 その時だ。
突然目を眩ませる程の強い閃光が走り、盛大なカーニバルでも始まるかのようなミュージックが響き渡る。

「!?」

 とうに橋を越えていた五人が光を辿るようにして後ろを振り返る。
まだ橋を渡り終えていなかったサンジにしてみれば目の前の出来事だ。
今まで沈黙を守っていた灯台からのスポットライトを浴びるのは、刀の柄に手を伸ばした体勢で光の先を威嚇するゾロだった。

「ようこそ、サンタ・クロース島へ!あなたが選らばれし100人目の来訪者!」

 スピーカー越しに響く歓迎の挨拶に、船長とロビンを除いた一同はぽかんと大口を開けた。
何やら面倒くさい催しに巻き込まれた感がたっぷりだ。
降る雪は重さを増し、呆けた口からはより白さの増した吐息がもれた。











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