自分がされたら嬉しいことは、きっと他人にとっても同じことだ。
理由はただ単純にそれでいいのに、それだけではどうしても、この複雑な心境に整理がつかない。
 ついに来るべき日が来てしまった。サンジは今日、太陽が東から顔を出して西の水平線に沈むまで、ほぼ一日中思い悩んでいることがある。
それは今まさに甲板で行われている宴のメニューじゃない。フルコースの準備は万全で、サンジのひとりケータリングは順調に進んでいる。今朝出航した港町は市場が盛んで、魚介類の他にも山菜やフルーツがずらりと小山を築いていた。そこで仕入れた秋の味覚は上等の物ばかりで、レパートリーの幅を広げるいい機会だと、サンジは昼過ぎから仕込みに余念がなかったのだ。
 では一体何に頭の中を支配されているのかというと、それは本日の宴の主役である剣士様のことに他ならない。

(……「おめでとう」……ほらな、頭ん中じゃあ簡単に言えんだよ)

 人間離れした胃袋を持つ船長とそれに張り合うトナカイを中心として、クルーの食の進みは目を見張るほど速い。次に出すべき、笠が手のひらほどの大きさもあるオバケキノコのホイル焼きはまだオーブンの中。出来立てのそれにかける仕上げのソースを煮込みながら、サンジは煙草の紫煙を盛大に吐き出した。
 祝いの言葉が、どうにも気恥ずかしくて口をついて出ない。他のクルーは皆、朝食の折だとか宴開始の乾杯の音頭と重ねていとも簡単に本人へと伝えていたけれど、普段ケンカばかりしていてたまに下世話なことに協力し合うような大変形容し難い関係にあるサンジにしてみれば、今さら真面目腐ったオメデトウは言いづらいものがある。

「……お、おめ、おめ………っだァァァ言えねェ!」

「何を?」

「おわっ!ロビンちゃん!」

 一人悶々とするサンジは、前触れなしに突然ラウンジに顔を出したロビンに双肩を跳ね上がらせた。
時期が時期だけに今日の予行演習を本人以外で試してみるのは変に勘づかれそうなので、ひたすら一人言のようにリハーサルを繰り返すばかりだ。だっておめでとうを言う練習をしていたなんて、ルフィやウソップにバレた日には恥ずかしくて死ねる。そういう意味では相手がロビンでよかったけれど、恥ずかしさには然程の変わりもない。

「どうしたんだいロビンちゃん。何か必要なものが?」

「いえ、コックさん一人じゃ大変だと思って。何か手伝えることはあるかしら」

「なんて心優しいんだァ!その言葉だけでぼくァ天にも昇れそうデス!」

 出したそばから一心不乱に貪りつく野郎共がいるからこそ、あれほどの大量の料理も作り甲斐があるというものだが、作ることが当たり前になっているこの習性には、時々寄せられる労いの言葉は擽ったくもある。今回は相手がロビンだからというのも大きく作用しているが、これが例え彼女以外であったとしても、こうして気遣ってくれる優しさはじんわりと身に染みて、サンジはその都度気付かれぬ様に、目元を柔らかく下げてしまうのだ。
 だがしかしそれでいて、「だけど」と繋げてしまうポリシーは健在だ。器用に体をくねらせていつものように出し惜しみなくハートを飛ばすけれど、最高のサービスを提供すべき身の視点からいえば、ゲストにはゆったりと寛いでいてほしい。

「次の料理ももう出来るし、ロビンちゃんは向こうで座って待っててくれ。ナミさんとロビンちゃんが居てこそ華のある宴ってもんだ」

「相変わらずお上手ねコックさん。それならお言葉に甘えて」

「コーヒーも持っていくよ」

「ええ、ありがとう」

 美食は作り手も食す側も笑顔にする。器用にウインクをして最後に盛大なハートを膨らませたサンジににっこりと微笑んで、ロビンはラウンジを後にしようと踵を返すが、部屋を出る刹那に思い出したように呼び掛けた。

「ねえコックさん」

「なんだい?」

「言語は人間が生み出した最大の文明利器よ。想いを言葉にして確かに伝えることができる。これって素敵なことだと思わない?」

「え…」

 笑みを更に深くしたロビンは、そう意味深に告げて甲板へと降りていった。
サンジはぽかんと口を開けてしまったものだから危うく煙草を落としそうになって、慌てて口元を引き締める。
 今のはつまり、おめでとうの一つすら満足に言えない自分に対するアドバイスということだろうか。
やはり先程のはきちんと聞かれてしまっていたようだ。注意散漫にも程がある。恥ずかしくて穴があるなら入りたい。穴がなくても掘って入りたい。…いや、穴掘ったら船が浸水するので、それは許されることではないが。

「はーあァ…ったく冗談じゃねェ。たかがマリモ一匹に振り回されるおれはついに末期か」

 溜め息に重なって、オーブンが調理終了のベルを鳴らす。ソースを暖めていたコンロの火も止めて、紫煙をもう一度深く吐き出した。
 分かっちゃいるんだ。
気持ち次第の簡単なことで、本来これ程にまで悩むべき話じゃないと。
単純に祝いだろう。自分だって祝福されることに対して嫌な思いをしたことなど、未だかつてある筈もない。
ただ躊躇うのは、相手の言葉を素直に受けとることが得意じゃないと、互いに嫌というほど実感しているからだ。ああでもない、こうでもないの言い合いは刀と蹴りが応酬する合戦へと自然発生するし、そうでしかコミュニケーションのきっかけを見出だせない。それが一つの楽しみであるのもまた事実だが、本当はもうちょっと、きちんとゾロの顔を見たい時もあるし、盛ってる最中のうわ言みたいなのではなくて、素面の素直さを尊重したい時もある。

(そうだ、ヤってん時は大体アイツもひねくれてねェし、だからおれだって……ってそうじゃねーだろ!)

 目眩く夜の密事が突然脳裏にフラッシュバックして、サンジは己の思考のメルヘン指数の高さに思わず項垂れる。
ああいう時に思わずぽっと出る言葉というのは、案外にも本心に近い。理性の箍を外して肌を重ねるから、ナニを取り繕う余裕もないわけだ。
しかしだからと言って、今日もその状況に至ってから祝福をすべきかと打算するのは間違いにも程がある。そんなもの、まるで自分をプレゼントとして捧げるみたいではないか。想像してしまったサンジはそのあまりに悪趣味な情景をオエーっと吐き出して、とりあえず完成した次の一品を甲板に運ぶことにした。冷めないうちに、人が娯楽と生きる為に奪う命は食い納めなければならない。
 片手に平たいホイル焼きを積んで、もう片手でレディ二人へのコーヒーと紅茶を。
それを運び終えたらようやく一段落がついたので、サンジは宴の全貌を改めて視界にとめる。相変わらずテンションの高い三人組は食うことと踊ることと喋ることを器用にミックスして、名目上はゾロのバースデーパーティーであるこの宴を当の本人より遥かに楽しんでいた。
 中央に空き皿が塔を築き、それを囲むようにして新たな料理とクルーの輪。
主役の剣士様は今にも崩れそうで崩れない皿のタワーの、ちょうどサンジの真向かいにいたが、彼が給仕の合間にようやく腰を下ろしたと思ったら、珍しくご機嫌のようで顔にうっすら笑みを湛えたまま、その手に焼酎瓶を持ち、彼の脇を通り越して船尾へと靴の音を鳴らした。
 主役が抜けたことへのツッコミは誰もしなかった。乾杯をしてからすでに3時間。宴の主旨というものを一貫するには、己に自由すぎる面子が揃い過ぎていた為、最早こうなってもいつも通りの光景としか言いようがない。
 しかしサンジは抜けたゾロを右目だけで追いかける。
追いかけて見えなくなって、暫く渦巻いた眉毛を眉間に寄せて何か難しく考えこんでいたようだが、おもむろに立ち上がって再びラウンジに向かう。
そんな彼をロビンは見守り、思わずふふふと笑いをこぼしてしまった。

「なぁにロビン?」

 カップに角砂糖を落としたナミが、スプーンを回しながら問い掛ける。
ロビンも一口、ブラックのコーヒーを流し込んで、今度はナミに目線を合わせて微笑んだ。

「その人の為に何かをしたいと思い悩めることは、既に心奪われているという証でもある。それに気付くか気付かないかで、世界は驚くほど変わって見えるものよ」







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