シンク下の納戸に貯蔵していた酒は半分に減ってしまった。今日のために買い溜めておいてよかったなァと、さらにその奥に隠しておいた一本の酒瓶をサンジは引っ張り出す。
ヴィンテージもののラムはまだ、開栓されていない。こういう、ラベルからして高級感の漂う酒は本来ならラックに並べて保管しておきたいところだが、とてもじゃないが広いとは言えないこのキッチンでは、シンク下が精一杯のスペースだ。サンジはそれを小脇に抱え、騒がしい甲板の裏手、船尾へと回る。
狭いわけでもないがだだっ広いわけでもない船だ。全長は大した距離もないので、騒音が若干薄れる程度。それでもいくらか波の音が存在感を増したような、そんな薄暗く狭い露天甲板で、ゾロは漆黒の海を見つめて酒をあおっている。

「黄昏てんなァクソ剣士」

 いつものようにごく当たり前に軽口が滑り出て、サンジはしまったと胸中で一人ごちた。
 おめでとうを言うんじゃなかったのかよおれ。
 相変わらず絶好調な舌にほんの少し良心が痛んで、だけど今さら後に引けないからそのままゾロの反応を待つ。

「…久しぶりに見るな、てめェのツラ」

「そりゃそうだ!おれァ今の今まで仕事中だったんだ。なんか文句あんのか」

「ねェ。今日の飯は美味かった」

 ぐびぐびとまるで風呂上がりに真水でも飲むかのように、ゾロは遠慮なく瓶を傾ける。
 いつも通りの軽口に嫌味で返してくるのかと思ったら、目と耳を疑うほど素直に褒め言葉を返されたので、サンジはぱちくりと瞬いてそれから所在なさげにくわえ煙草へと視線を落とした。

「今日“も”だ、バーカ」

 ゾロは特別な反応を示すことなく、無言でひたすら酒を相手にしている。
その大きな背中にひっそりと視線を送って、サンジは酒瓶を握る手に力を込めた。

(おめでとう、おめでとう。ホレ、たったの5文字じゃねェかよ)

 義務じゃないからここで引くことも出来る。言わなければ、という脅迫観念とはまた違う。
それならなぜこうも口を開いては閉じてを繰り返すのかというと、答えは本当にシンプルだった。ゾロが美味いと評した料理には自負がある。当たり前だ、それだけ美味いもんを食わせてやろうと丹誠込めて調理した。今日を意識せずにいることなど、どう繕ったってサンジには不可能なことだったから、たとえばこれが船長主催の宴じゃなかったとしても、同じ心意気でキッチンに立っただろう。
 凪ぐ風は穏やかだ。
きっと小声で呟いたって掻き消されることはない。
 おい、と背中に一言ぶつける。
ゾロが片眉を上げてこちらを振り返る。

「…お」

「あ?」

「おめ、」

 しかし実際に意を決して口を開けば、そう簡単にころりと出てきてくれるわけでもない。サンジが己の言葉に間を設ければ設けるほど、ゾロの眉間に皺が寄せられていくのが空気でわかる。
 首だけでこちらを振り向いていたのが、じれったそうについには体ごとこちらに向けられて、尚更サンジの額には妙な汗が浮き出た。

「お、」

「…お?」

「おめ、」

「?」

「…っ……おめェにやる酒持ってきてやっただけだァ!」

「うおっ!あっぶねェな!」

 結末はやはりというか何というか、結局サンジは残りの3文字を告げる代わりに、その手に持っていた高級酒瓶をゾロへと投げつけた。
 瞬時に反応したゾロはそれを片手でキャッチして、手の中のずっしりとした重みを怪訝な顔で確認する。

「…随分いい酒じゃねェか。お前こんなもん隠してやがったのか」

「今日ばっかりは仕方がねェからアルコール漬けのマリモんなっても生ゴミに捨てないでおいてやる」

 もう何を意識しなくたって一息でこんなにも毒舌になれるのに、我ながら本当に情けない。こんなヤロー一人に対していつまでたっても煮えきらないのはもはや恥に等しいかもしれない。
 だけどどれだけ自分を罵ったって、本人を前にすると駄目なものは駄目だ。自分とこの男が素面で素直になれる日なんか、この先10年経ったって来る気がしない。

「…は? 10年?」

「なにが」

 眉毛並に頭をぐるぐると悩ませたところで思い至る。
何が10年だ。そんなに長い間この男と一緒にいるつもりなのか。例え話の一つだとしても、無意識にそこまで容易に思いついてしまった自分の思考を蹴り飛ばしてやりたい。

「…ンな訳あるかァ!おれはナミさんとロビンちゃんと末永くラブラブダイアリーをつけるんだァ!」

「またビョーキが始まったかアホが。おら、つべこべ言ってねェで」

「!」

 この世の終わりみたいな顔をして頭を抱えたサンジに、ゾロがそれまで持っていた焼酎が投げられる。新しく受け取ったラムはちゃっかりコルクが開けられており、言うなれば互いの手にあった酒が交換された状態だ。

「んだよ」

「おれァこっち飲むからやる。おめェ今日、まだ一口も酒飲んでねーだろ」

(……よく見てやがる)

 サンジの手には一升瓶。
その中身は既に半分より少なくなっているけれど、悪い気はしない。さらりとこういう気遣いをしてくるゾロの不意打ちにはどうも慣れないが、せっかくの酒を手持ちぶさたにするのも何なので、サンジはちびりと舐めるように一口を頂く。
 しかし瓶に口をつけて思うのは、なぜに今日祝われるべき人間から酒を振る舞われているのかということだ。ちらりと横目で確認したところ、ゾロはラム酒に夢中になっているようだからまだ救われるが、自分でもよく分からない目の前の展開に煙草ほど恋しくなるものはない。
 ニコチンとアルコールを思うままに摂取して、それで何もかも忘れて眠るのもいいかもしれない。なんだか今日は一日中、気を張りすぎて疲れてしまった。
ゾロの横に並んで溜め息を吐く。すると傍らのそれを見ていたゾロが、おい、と高慢にお呼びになられた。

「言い忘れた。そいつはやるが、あんまり飲み過ぎるな」

「口煩ェヤツだな。あげたもんにまで注文つけんな」

「勃たなくなっちまうまで飲むなよ」

「ハーイハイハイ勃たなくなるまで飲………なんだって?」

「耳かっぽじっとけよグルマユ。だから、勃…」

「うるせェ聞こえてるわ!繰り返すな!」

「…おまえテンション高ェな。まさかもう酔ってんじゃねーだろうな」

 聞き間違いだと信じたくても、バッチリはっきり聞こえてしまった。いつもと全く変わらない仏頂面があっけらかんと言い放ったセクハラめいた台詞は、酒に関しちゃザルの男だ、素面そのままの呈だろう。
煙草を海に落としてしまったけれど、それを惜しむ余裕がない。そりゃあ、少しは自分だってそういう想像もしたけれど、まさか当のご本人から要望があるとは思わなんだ。

「? アホッ面が余計ひどくなってんぞ。てめェから誕生日だなんだって拘ってんだ。それならおれが欲しいもん貰って何が悪い」

 右も左もわかんねェくらい気持ちよくなったら、簡単にオメデトウも言えるかもなァ。
 意地の悪い笑みがそう告げるもんだから、サンジの頭は急速に沸騰して湯気を立てる。
この言い様からすると、朝から晩まで一人でこっそり悩んでいたことを知られていたということか。一人言のような練習もすべて、サンジの知らないところで筒抜けだったと。滑稽だ。あまりに滑稽すぎる。そんなことも気づかずに、ひたすら葛藤を繰り返して。

「っ…いっぺん死にさらせクソマリモォ!」

 恥ずかしさのあまり真っ白になった頭では言い訳すらまともなものが浮かんでこない。サンジが繰り出せたのは蹴りと暴言だけで、それを涼しい顔で受け止めるゾロはやはり機嫌がよかった。
 夜風が微弱なせいで、一度登り詰めた沸点はなかなか下がらない。それならばいっそのこと限界まで火を吹いてショートさせて、その後で我に帰る冷静な思考回路を復旧すればいいとサンジが気づくのは明け方頃か。
 再構築した暁には世界すら変わって見えて、サンジはようやく、お前はおれが欲しかったのかと、素直にゾロに尋ねることが出来るのかもしれない。











ハッピーバースデーゾロ!
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