雨垂れ石をうがつ
 

お父様が婚姻を結びました。
芹(せり)とかいう鼻持ちならない女と。

腑に落ちない。
最近、どうしても腑に落ちないことが多い気がする。
一つ、私は由緒ある橘家の姫のはずなのに今現在実家を追われお兄様達と何故か森の中で暮らしていること。
一つ、森の中は危険等というわけの分からない理由により、この小さな屋敷から私だけが外に出ることを禁止されていること。
一つ、お父様が芹とかいう鼻持ちならない女と新しく婚姻を結んだこと。
最後に関してはお父様曰く、命の恩人で、助けてもらう代わりに婚姻を結ぶ約束をしたとか言っていましたが、率直に申したい。
お父様はきっと騙されております。
善意で助けてくれるお人でしたら助けるから代わりに婚姻を結べなんて脅しめいたことはきっとなさりません。
お父様、騙しやすそうなお顔をしておりますものね。
その後、一体何があったのか、あれよあれよという間に私とお兄様方は気づけば森の中にひっそりとあるこの小さな屋敷で暮らすことが決定していました。
そしてお父様は2、3日に一度私達の様子を見に来られます。
その度に私は同じことを尋ねるのです。
ですがお父様はいつだって同じお返事ばかり。
いつまでここで暮らせばいいのかという答えさえ下さらない。
その日は私達が小さな屋敷に連れてこられて丁度百日目。
毎回繰り返される同じ会話にいい加減我慢の限界を迎えた日となりました。
「お父様はいつもそればかり!」
いつまで続くか分からないこの生活。痺れを切らして気づいたときにはそう言ってしまっていた。
お父様も大変なのです。ですから出来るだけ心配はかけないようにしようと常々我慢していました。
けれど流石に限界です。一番上のお兄様なんてもう直元服なのに。
誰も言わないならば私が言いましょう。でないと私達は一生ここに隔離されます。絶対に。
ですがどうしたことでしょう、この表情。何を言われたのか全く理解できていそうにありません。
「もうお父様なんて知らない!大嫌い!!」
己の父のあまりの態度にそう言い逃げるように去ってしまった私はきっと悪くありません。
一人不貞腐れた様に部屋の隅で蹲っているとお父様は帰ったのか屋敷全体が少し静かになっていました。
少しだけ、ほんの少しだけ言いすぎたかもしれませんが心配して様子を見に来るでもなく帰るとは。
我が父ながら冷たい気がする。お兄様達に諭されて帰った可能性が一番高いのですが。
それにしてもあんなに大声で啖呵を切っておいて、お父様が本当に帰ったのかどうか様子を見に行くのも正直躊躇われる。
誰か様子を見に来てほしい。切実に。
そんな他力本願な考えを巡らせていると大きな音が響いた。
お兄様達の声もします。それと、知らない高い声音も。
どうしてでしょう。言うなれば本能的にでした。出てはいけないと思ったのは。
今出ていけば、何か物音を立てれば絶対に後悔する気がして。でも何が起きているのか気になって。
はしたない真似だとは分かっているけど、気付けば好奇心に負けて戸を少しだけ引いて覗きこんでいた。
何が起きているのか分かりませんでした。
そんなことある訳がない。あっていいはずがない。
私は気でもふれてしまったのでしょうか。
お兄様達が、大好きなお兄様達が白い鳥に。白鳥になるなどと、そんなことありえるはずがない。
でも確かに私は見たのです。お兄様が白鳥になる様を。
それを見て満足そうに笑う狂気に歪んだ女の顔を。

あれからどれほどの時間が経ったのか分かりません。
ただ私はずっと一人蹲っていました。
音を立てないように。何も聞こえないように。これ以上何も見ないように。
気付いた時には目の前に普段からは想像できないくらい取り乱したお父様がいた。
「これは一体どういうことだ!一体何が、禾稲(かとう)達は何処に行ったのだ!」
禾稲(かとう)兄様は一番上のお兄様です。さきほどは気付きませんでしたが部屋は凄い荒れ様でした。
この状況でお兄様達が一人もいないからでしょう。さすがにこの異常さに気付いたようです。
「女の人が来て、凄い音がして、お兄様達が…」
何が起きたのか。思い出したくもありません。それほどまでにあれはおぞましい光景でした。
思わず言葉に詰まった私の背をあやす様にお父様の手がなぞる。
「女の人・・・芹か」
あれが噂の芹だったようです。
どうやら想像通りの、それ以上の女だったようです。
ですがもうこの際お父様が騙されている等どうでもいいことです。
私にとって今一番大事なことはお兄様達の安否です。
「お兄様達、一体何処にいっちゃったの・・・」
「もう此処も安全ではなくなってしまった。私と一緒に屋敷に帰ろう」
「家に?」
お兄様達の安否を尋ねた私に対する答えがこれです。
思わず怪訝な顔で尋ね返してしまった私を誰が責められましょう。
「ああ、お前だけはなんとしてでも私が守ろう」
もう駄目だこの父親。
お父様の先程の慌てようや、今も私を見つつ周りを確認している様からお兄様達の居場所について何も知らないのでしょう。
そして私を安心させようとそう言っているのかもしれませんが、実家は絶対に駄目でしょう。この状況下で。
おそらく家には件の女、芹がいるのです。お兄様達があんな目に合わされているのをこの目で見たのです。
断言します。家に行ったら私の命はありません。
「・・・今夜だけ。今夜だけ此処にいさせて。もしかしたらお兄様達が戻ってくるかもしれないわ」
「分かった、明日迎えに来よう」
しおらしく、まるでただ何も知らずお兄様達の帰りを待つ深層の姫君のごとく涙をちらつかせながら言えばあっさりと了承されました。
自分で御願いしておいてあれかもしれませんが、正直「いいんだ」と心の中で言ってしまった私は悪くありません。
そして御願いされたとはいえこの状況で娘置いて帰るんですね。お父様凄い。
もう呆れるとか超越して尊敬します。本気で。
何も疑うことなくお父様が去った後、私は必要な物を揃えました。
言わずもがな、旅に必要な物を。
明日迎えに来ると言っていたお父様には悪いのですが、このまま逃げさせてもらいます。
この森には長いこと暮らしていました。
食べてはいけない実も多少は分かります。危ない動物もいなかったはずです。きっとなんとかなるでしょう。
なんとしてもお兄様達を見つけよう。
そして一緒にお父様を怒ろう。それしかない。



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