扇を持つ娘
 



「ご足労いただきありがとうございます。さあさ、姫君はこちらへ」


屋敷へ着くと、待ちわびていたとでもいうかのように年嵩の女房が出迎える。
私の服を着た彼女は扇で青くなった顔を隠しながら牛車から降りた。


「……恐れ入ります」

「……姫君?」


あからさまに声が震えてしまって怪訝に思われたらしい。慌てて彼女と女房の間に体を滑り込ませる。


「姫様は緊張なさっておいでです。伊勢より戻って日も浅い。疲れもあるのでしょう」

「そうでございましたか。ならばすぐにお部屋でお休みくださいませ。間もなく殿も戻って参られます」

「お心遣い痛み入ります。さあ、姫様」


先導をすると言って女房は先を歩いていく。体を固くさせている彼女を支えながらそのあとに続いた。

部屋に入って二人きりになるなり、彼女は涙目でこちらを見てくる。


「も、もう無理でございます!姫様、やはり止めましょう!!」

「なにを言っているの?まだ旦那様に会っていないじゃない」

「ですから会う前に!私はもう限界ですわ!」

「限界だって思ったらそれが限界になるわよ?まだ大丈夫だってば」


大丈夫大丈夫と繰り返すと彼女は瞳を潤ませる。


「安心して。契りは先にしてもらえるように女房殿に伝えてくるわ。疲れているからあとにしてくれって」


言い残して部屋を出る。中からそういう問題ではありませんという悲鳴に似た声が聞こえてきた気がしたが、振り返りはしなかった。


「なかなか女房っていうのも面白いわね。……さて、どこにいるのかしら」


呼んでくれればすぐに参じますといった女房が見当たらなくて仕方なく屋敷の徘徊を始める。

しばらく歩いた先、先程の女房と年若い青年がこちらへ向かってくるのがわかった。
……あっとした顔をした女房の反応で彼が私の夫になる人だと察する。


「新しい女房か?」

「いえ、こちらは本日参られた姫君付の女房殿でございます。お名前は……」


ちらりと視線を向けられて、頭を下げた。


「斎と申します」

「いつき……、斎殿か。これからよろしく。それで姫君は……」

「姫様は疲れが溜まっていたようで今は眠っております。つきましては殿には契りはまた別の日ということにしていただきたくお願いに参りました」


本来は女房に言おうと思っていたことだ。いい機会だと本人に伝える。

……が、彼は胡乱な顔をした。


「……どうして女房殿が乞うことがある。姫君が言うべきことだろう」

「は?」


……おっと。
予想しなかった返しに眉が寄ってしまった。

げほんと咳払いをして彼を見る。視線はまっすぐに向けられていて、間違ったことは言っていないと言っているかのようだ。


「私の仕事は姫様のお世話。主人の体調を思えばこそこうしてお頼みしているのです」

「だから私は自分で言えばいいのにと……」

「あなたは体調が悪い人に対して自分で言いに来いと無理強いをするの?自分に置き換えて考えなさい」


言い切ってしまってからはっと気づく。驚いた様子の彼と眉を吊り上げた女房の姿が飛び込んできた。

……ついやってしまった。


「そういうわけですので今晩参られても姫様はお相手できませんのでご了承ください」


逃げれば勝ちだと判断して、すぐさま身を翻す。その拍子にかつんと音を立てて檜扇が落ちてしまった。

本当は私の身代わりになっている彼女に渡そうと思っていたものだ。女房の身分にしてはこれは随分と高級品。私が持っていては不相応のものだから、なるべく他人に見られたくはなかったというのに。


「檜扇?」

「し、失礼します!」


拾った彼の手から扇を奪い取って慌ててその場を去る。やってしまったという念ばかりが頭を占めていた。




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