春、桜が数えるほどだが咲き始め、風も日に日に暖かさを増している。
空を見あげれば、ところどころ白雲が顔を出し、その先は澄んだような青だ。
大きな池にはいくつもの中島と反り橋が掛かっていた。
日を浴びると水面が輝き、水仙や藤、白木蓮も植えられ、管理が行き届いていることが分かる。
裳儀が済んでからというもの、桜子は縁談を断り続けてきた。
その理由はひとつだけ。
十年前の約束、子どもが交わした口約束だ。
「まだ信じておられるのですか? そんな子どもの頃の約束」
蔀戸を開けている女房は、呆れたように息をついた。
信じている、というのも少し違う。
信じていたいと思う。
「――いいじゃない。夢くらい見たって」
「ですが、その夢のために縁談を断るなど……」
貴族の姫は裳儀が済むと、ほどなくしてどこかの公達へと嫁いでいる。
そのほとんどが、両親が決めた相手。
小さな頃から許婚であることも多い。
桜子は今年、十八歳。貴族の姫としては婚儀が遅れている。
薄い唇に白い肌、線が細く儚げな印象は、病からくるものだと分かる。
黒髪は長く習慣に沿って背丈を越えるほどあり、吊り目気味の瞳は年齢より大人びて見せている。
朝餉を終えた後、桜子はしばし琴を弾くことが多い。
もうすぐ別の女房が、琴を持ってきてくれるはずだ。
桜子は女房の咲へと視線を向けるも、長い睫を伏せると嘆息した。
咲は桜子の乳兄弟にあたる。
五歳年上で、今でも桜子にとっては姉のような存在だ。
だが十年前の約束の話だけは、いつ話しても折り合うことはなかった。
桜子も彼女が心配してくれているのは分かる。
それでも夢を見ていたいと、暖かな記憶にたゆたっていたいと思うのはきっと、こんな身体だからだ。
「他人は他人、私は私でしょう」
「世の中にはそれで済むことと、そうでないことがありましょう。殿がどれほど気を揉んでおられるか……」
「……――こんな私がどこかへ嫁いだって、意味ないわ。子どもも産めないのに」
婚儀が遅れている理由。
それは桜子の病も原因のひとつだ。
赤子を産むのに、母体がもたないだろうと医者から告げられている。
(こんな私を妻にしたいなんて、本気で思っているはずないもの)
*前 | 次#
作品一覧へ