響くその音に桜舞う
 



 今より十年前。
 御年八歳になる藤原氏の姫、桜子は病の静養のため訪れた吉野の山荘。
 己と同じ名前の花が咲く地で、藤原氏の山荘の敷地へ迷い込んだ少年がいた。
 生まれつき病弱な桜子は床に伏していること多い。
 そんななかで少年が聞かせてくれた邸の外の話は、眩しく輝いていた。
 脳裏に浮かぶ名前も顔も朧げだが、確か自分より年上だったと思う。
 たったひと月、とても笛が上手で、聴かせてくれた曲は今も耳に残っている。

(あの頃の私にはそれで充分だった。あの子と一緒にいる時間が楽しくて、眩しくて)

 少年が帰る日が決まったと桜子に告げた時。
 家の事情で都へ帰らなければならないと言っていた。
 それを知った時は、泣いた覚えがある。
 悲しかった、目に映る世界が色褪せてしまったようで。
 名前よりも顔よりも、頭を撫でてくれた優しい手は覚えているから。
 彼が帰ってしまう日、ひとつの約束をしてくれた。

「何があっても忘れない。いつかきっと君を迎えに来るから」

 子どもの頃、十年も前の他愛ない口約束。


 ――もう、名前も顔も思い出せないのに、その約束と笛の音色だけは信じていたいの。


 そんな桜子の元にとある縁談が持ち込まれる。
 左大臣家の姫と橘少将の縁談という明るい話題は、大内裏中に間もなくして流れた。



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