愛別の夜明け
2
 

「夜這いの相手に、何もご自分の妹を選ばなくとも良いでしょう」

 恨みがましい声で朝子が吐き捨てると、男は一瞬押し黙る。しかし懲りずに彼女の頬に手を伸ばし、ぽつりと古歌を口にした。

「うら若み…と、言ったはずですよ」
「それなら私だって、初草の、と申し上げたでしょう」
「おや、そうでしたか」
「兄上、はぐらかさないでください」
「……朝子」

 男のまとう空気が変わる。しまった、と朝子は顔を強張らせた。これではいつもと同じではないか。

「時明(ときはる)だ。そう呼びなさい」

 言うや否や、男――時明は朝子を抱き上げ帳台へ向かう。待って、と焦る彼女の言葉を無視して褥に転がすと、すぐさまその上に覆い被さった。そのまま袴の帯に手をかけようとするのを、朝子は時明の胸を押して必死で食い止める。彼はそれを見て目を眇めた。

「私は、貴女を妹と思ったことは一度もない」

 褥に広がった朝子の黒髪に指を絡ませ、彼は感情を押し殺した声で言う。その、親類に向けるものではない視線に、朝子の背筋が凍りついた。
 ――これではいけない、また流される。

「兄上、やめてください!」
「違うと言っているでしょう」
「待っ、んっ」

 言いつのろうとした朝子の唇を時明のそれがふさぐ。彼女の体が強張った一瞬の隙をついて、時明は素早く朝子の手を取り自由を奪った。朝子の目に涙が滲む。

「許されぬなら、無理にでも奪うまでだ」

 月明かりも届かぬ帳台の中で、時明の目だけがぎらりと光った。


目を覚ますと、すでに時明はいなかった。乱れた髪を撫でつけながら、朝子はほっと息をつく。もとは真面目な兄は、目的を果たしさえすれば夜が明けるまでには必ず帰るのだ。

「姫様、お目覚めですか」

降ろされた帳の向こうから、椎葉のおずおずとした声が聞こえた。朝子が入るように告げると、椎葉は帳を上げて、杯をささげ持って入ってくる。

「少将様は、本日は午後からご出仕で、そのまま御所に宿直なさるそうです」

 朝子の髪を櫛で梳きながら、椎葉は淡々とそう告げた。朝子はそっけなく「そう」とだけ答える。昨日の今日で時明のことなど聞きたくはなかったが、今夜は来ないと分かっただけましだった。
 ふと、椎葉の手が止まる。どうしたのかと朝子が振り向くと、彼女は袖で顔を押さえて泣いていた。

「椎葉、」
「申し訳ございません姫様、私が不甲斐ないばかりに……」
「そんなこと言わないで。不甲斐ないのは、お前ではなくて私のほうだもの」

 泣き崩れる女房の肩を撫でながら、朝子は今頃は自分の邸にいるであろう時明の顔を思い浮かべた。――ただただ、優しい兄上だとばかり思ってお慕いしていたものを、と。

「どうして、こんなことになってしまったのでしょうか」
「……本当にね」

 朝子は、時明が彼女のもとに通い始めた頃のことを思い出した。
**

 雪が溶けはじめた頃だったから、あれは今年の春のはずだ。月のない夜だった。
 その晩部屋に忍び込んできた男を、朝子は始め賊だと思った。ところが、彼女が死にもの狂いで助けを呼ぼうとしたとき、その男は朝子の口をふさいでこう囁いた。

「朝子。……安心しなさい、私です」

 いつも部屋に訪ねてくる時と同じ声音で、時明は言ったのだった。



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