愛別の夜明け
1
 

 私たちは、秘密の恋をしていた。


 月の高く昇る子の刻である。簀子を密やかに軋ませた足音に、朝子(ともこ)は見るともなしに眺めていた絵巻から顔を上げた。

「椎葉(しいのは)、几帳をここへ」

 女房にそう命じつつ、朝子は絵巻をくるくると巻き、それを二階厨子の棚の中へしまった。その間に、椎葉が彼女の前に几帳を置き、灯台の火を吹き消す。簀子が軋む音は止むことはなく、やがて朝子の部屋の前で止まった。簾に人が寄る気配がする。知らず、朝子は袴を握りしめた。

「――朝子、」

 自分の名を囁く低い声。聞き慣れた、優しげなその声に、朝子はため息をつきそうになるのを必死でこらえた。

「もう休んでしまいましたか」
「……起きておりましてよ、兄上」

 仕方なしに答えてやると、簾の向こうにいる男は嬉しそうに「良かった」と呟く。一方朝子は、今度こそため息をついて額を押さえる。わざわざ返事などしてやることなどないのに、そうするとこの男は空が白み始めるまでここに居座るのだ。そうなっては、彼女とてたまったものではない。
――いや、今宵こそは終わらせるのだ。そのためには、私はこの人の相手をしてさしあげなければならないのだから。
そう自分に言い聞かせ、朝子は男に声をかける。

「また、いらしたのですか」

 あまりにそっけない言葉に男は苦笑したらしい。頭でもかいたのか、小さく衣擦れの音がする。

「せっかく参上したのに、随分と冷たいお言葉ですね」
「先一昨日(さきおとつい)もいらしたではありませんか。それに、兄上がこんな夜更けにおいでになるからです」
「では、こんな夜更けまで起きていたのはどなたかな?……入りますよ」

 言うなり、男は簾を巻き上げて中に入ろうとした。几帳の前に控えていた椎葉が、素早く腰を上げて彼の前に立ちふさがる。

「少将様、今夜こそはお引き取りくださりませ、あっ!」

 男はそれにも構わず椎葉を押しのけ、そのまま朝子が隠れている几帳の中へ滑り込む。逃げようとしたが一瞬遅く、彼女は男に強く手首を掴まれ、身動きが取れなくなった。
 男が椎葉に冷たく告げる。

「椎葉、下がっていろ」
「貴方様のお傍に姫様を残して、のこのこ引き下がるとでも!」
「……良いわ。下がっていなさい」
「姫様!」

 怒りのあまり声を荒げた椎葉を制し、朝子は静かに命じた。それを聞いた男が得意げに鼻で笑う。

「いけません!危のうございます」
「良いから」
「…………分かりました」

 主人の命ならば仕方がないと思ったのだろう、憮然としつつも椎葉は退出した。彼女の足音が完全に遠退いてから、男は朝子の手を離す。

「結局あれを下がらせるなら、最初から入れてくだされば良いのに」
「そういうわけには参りませんわ」
「何故?」
「――兄上」

 頬を撫でる男の手を避けるように顔を背け、朝子は重い息を吐き出した。再び彼に向き合うと、男はちょっと微笑んだらしい。暗闇で顔は見えないが、彼女は気配でそう感じ取った。悪びれぬ態度に腹が立つ。



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