陽の下に、篝火ともし
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「もう、再来月には生まれるんでしたっけ?」
「……その予定だが」
「できるだけ、傍にいて差し上げて下さいね。経験のないわたくしに言えることではありませんけど、高辻小路のお方もさぞやご不安でしょうから」
 平然と続いたその台詞からは、特に含むものは感じられなかった。少し間を置き、ああ、と頷いておく。秀任にとっても三十過ぎにしてようやく授かった我が子だ。気にならないわけがないし、なるべく気遣ってやりたいとも思う。元々、大人しい気質の妻だから余計に。
 対照的に理子はしっかり者で、結婚して本邸に迎え入れて以来、きっちりと邸のことを取り仕切ってくれていた。秀任が留守がちでも特に不満そうな素振りは見せず、他の妻たちのように寂しがることもない。女性としての可愛げには欠けるが、家を任せる北の方としては申し分なかった。
「行ってらっしゃいませ」
 会話の少ない夫婦一緒の食事を済ませたあと、三つ指をついた丁寧な礼で送り出された。射し込む陽光に照らし出される妻の顔に、どことなく既視感を覚える。そういえば、ここしばらく朝方しか彼女とは顔を合わせていない。
 牛車に乗るとき、ふと視線を感じた。振り返ると、車宿りまで付き添ってきた下野(しもつけ)という若い女房がこちらを睨んでいる。
「……何か言いたげだな」
「殿は、北の方様に冷とうございます」
 横目で理子の姿を確認しながら、下野は恨みがましい顔を向ける。理子はまだ階のところにいたが、こちらの声は聞こえていなさそうだ。
 下野の言葉を訝ったのが伝わったらしく、彼女は更に言い募る。
「連日宿直やら仕事やらで、こちらのお邸にはちっともお帰りにならないではありませんかっ」
「忙しいんだ、仕方がないだろう」
「高辻にはよくお越しになるというのに」
「それは、出産の準備で色々と――」
「では、他の女君をお訪ねになるのはどう説明するんです? 下野は存じておりますよ」
「う……」
 上目遣いで畳みかけられ、秀任は一瞬言いよどむ。咳払いをして誤魔化すと、下野から目線を逸らしながら返した。
「それは、通わないと色々うるさいからだ。あちらの舅殿との関係もあるし」
「まあっ! 通えと言われなければ通わないんですの!? 人の顔色ばかり気にして、一体何のために北の方様を正妻に迎えられたんです!?」
 ぎゃんぎゃん騒ぐ下野を放置し、秀任は牛車に乗り込んだ。理子の生家に女童として上がり、彼女が若い頃から傍近く仕えてきた下野は、どうも秀任に対して容赦がない。身に覚えがないわけではないから強くは言わないが、こうも責め立てられるのには閉口する。
 理子の実家は清原氏の傍流で、家柄こそパッとしないが、彼女の父親が受領を歴任していたこともあって裕福な家だった。加えて理子自身は教養もあり、裁縫も上手い。秀任が彼女を娶った背景に、打算がなかったと言えば嘘になる。理子は承知しているだろうが、下野の前でそんなことを口走ったらどうなるだろうか。
 急速に眠気が襲い、咄嗟にあくびを噛み殺した。宮中に出仕するようになって以来の癖だ。仕事が立て込んでいて、昨晩もあまり寝ていない。秀任は考えにふけることをやめ、本日の職務内容に意識を移した。



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