10
小暮とテツヤの出会いは、五歳の頃だ。法事で集まった親戚の中に、テツヤはいた。
テツヤは一人っ子で、そのとき遊んだ小暮にひどくなついた。それは、テツヤの境遇にもあった。テツヤの母は、テツヤが4才の頃に他界していた。テツヤの父は母を溺愛していて、亡くなった母に似たテツヤを見るのが辛くてテツヤを家政婦に任せきりにして育児放棄をしていた。
広い家に、いつも一人。家政婦も、愛情をくれるわけではない。幼稚園で母の日や父の日、参観など皆が嬉しそうに両親に甘えるのをいつもただじっと見ていた。
法事で初めて小暮に会ったテツヤは、初めこそ警戒して何も話さなかった。
『うさぎさん、すき?』
にこにこと優しく話しかけてくる小暮にこくんと頷く。決して無理矢理ではなく、そばにいてくれる小暮にテツヤは次第に心を開いた。
法事の間中、二人で一緒にいた。法事の最後の日、離れなければならないと知ったテツヤは小さな抵抗として庭の木陰に隠れて蹲っていた。それを見つけたのは小暮で、同じようにテツヤの隣にしゃがみ込むとテツヤはくしゃりと顔を崩した。
『てつおくんとはなれたくない』
ぽつりとテツヤが呟いた言葉に、きょとんとする。
『てっちゃん』
『…ぼく、兄弟いない。兄弟だけじゃない。…おかあさんも、いない。おとうさんも、いつもいない。ぼく、ひとりぼっち…。てつおくんが、兄弟だったらよかったのになあ。てつおくんみたいなおにいちゃん、ほしかったなあ』
兎のぬいぐるみをぎゅうと抱きしめながら、わんわんとではなく声を殺すように泣くテツヤを、小暮はぎゅっと抱きしめた。
『じゃあ、お兄ちゃんになってあげる。俺が、てっちゃんのお兄ちゃんになってあげるよ。』
『ほんと?でも、ぼく達今日で離れ離れになっちゃうんだよ?』
『じゃあ、電車に乗れるくらいに大きくなったら近くに来ればいいよ!えっとね、高校生になれば一人暮らししてもいいんだって、お姉ちゃんが言ってた。だから、俺、迎えに行くよ!俺が一人暮らししたら、てっちゃんをおうちによんであげる!だから、てっちゃんは俺の弟になればいいよ!』
約束、とにっこり笑って小指を差し出す小暮の指に、何度も何度も首をこくこくと縦に振りながらテツヤは自分の小指を絡めた。
『や、やくそくだよ!絶対、絶対迎えに来てね、てつお兄ちゃん!』
『うん。やくそく!』
それから、10年。テツヤは小暮の言葉を信じて待ち続けた。だけど、いつまでたっても迎えに来ない小暮に、テツヤは次第に不安を感じた。
もしかして、忘れてるのかな。ううん、そうじゃなく、何か事故にでもあったのかな。
約束の期間から一年過ぎた時、テツヤの世話をしていた家政婦が病気を理由に引退をした。それと同時に、父がテツヤに転校の書類を突き付けた。
『遠縁の従兄弟の鉄男という子が、全寮制の学校に通っているらしい。お前もそこに行け』
家政婦がいなくなって、新しい家政婦を雇うのも面倒だとテツヤの父がテツヤに命令した。自分が転校する高校の資料を受け取ったテツヤは愕然とした。
遠縁の従兄弟の、鉄男という子が。
『てつおくん…てつお兄ちゃん』
くしゃりと手の中の資料を握りしめ、不安に揺れる自分の心を必死に押し殺した。
学園に転校して、自分のクラスに行った時。テツヤは一目で小暮を見つけた。会ったのは10年以上前のたった一度。見た目だってずいぶん違う。だけれど、いつも自分の心の支えになっていてくれた小暮を忘れるはずもなかった。
でも、小暮は自分に気が付かなかった。それどころか、クラスの子に聞けば小暮は会長である綾小路と付き合って幸せな学園生活を過ごしているらしい。
どうして。どうしてなのてつお兄ちゃん。約束したのに。迎えに来てくれるって言ったのに。弟だって言ったくせに!
そうだ。兄ちゃんから、幸せを奪ってしまおう。僕と同じ、一人ぼっちにさせてしまおう。それから、優しく話しかけて近づこう。僕だけを、傍において。そうすれば、
兄ちゃん、僕の事をまた大事な弟だって言ってくれるよね…?
焦がれていた分、テツヤは傷つき歪んでしまった。
綾小路が聞いた、『小暮が転校生に嫌がらせをしている』と言う噂は、テツヤ自身が流したものであった。そうやって、小暮のこの学園での信用を失わせようとした。
そんなある日、偶然にも放課後の誰もいない校舎での階段の踊り場で、小暮と会った。二人きりのこのシチュエーションは初めてで、テツヤは思わず小暮に話しかけた。
ほんの、ほんの少しでもいい。自分の事を思いだしてくれたなら。
『ねえ、小暮君。君に兄弟はいる?』
『…?ああ…、姉が一人だけだが…』
何を突然、と怪訝な顔をして首を傾げる小暮の答えに、テツヤの頭にかっと血が昇る。
『う、うそつき…。ほんとは、いるんでしょ?兄弟、ほ、ほら、弟、とか…』
『…俺に、弟はいない。』
いない。いない。弟なんかいない。
テツヤは、グラグラと足元が揺れるのを感じた。
『…うそつき』
背中を向けて階段を降りようとする小暮が、何かを思いついたかのようにふと一瞬足を止めた瞬間。
テツヤは衝動的に、小暮の背中を押していた。
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