魔法の言葉 一 | ナノ
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噂と言うのは広まるのは早く収まるのは遅いものだと、ソプラノは実感していた。

「ご苦労だった。持ち場に戻ってくれ」
「はいっ」

ぱたぱたと出ていく女官達は、もの言いたげな目をしていた。

(またか……どうせリュートのことだろうが)

先日の一件から「やっとか」だの「さすが王子」だのとあちこちで囁かれているのだ。そもそも顔を合わせるたびに告白されていたので噂は立っていたが、抱擁を見られてからは、より一層酷くなっていた。
執務室の扉を閉じ、修理されたばかりの鍵をかけると、ソプラノはチェアに腰掛けた。
だだっ広い室内。そのどこか陰鬱とした空気を溶かすように、

〈浮かない顔ね〉

たおやかな声が、響いた。

「陛下……」
〈やあね、二人の時は名前でいいのよ〉
「執務中ですから」

声は、先日の一件以来、デスクに置かれている水晶玉から発せられていた。
この水晶、通信用であるが、監視用でもある。
何度もああいうことがあっては規律が乱れる。そうした理由からの水晶だが、専らホルンが小話がてら通信をしてくるようになっていた。

〈ソプラノったらお固いんだから。だからどんよりしちゃうのよ〉
「どんよりなどしていません。水晶越しだからそう見えるのではないですか?」
〈あらっそんなことないわよ。だってさっきの女官私だもの!〉

えっへんと胸を張るホルンに、ソプラノはずっこけた。
……今、この国の頂点はなんと言った?

〈いつ気付くかとずっと冷や冷やしてたのよー。でもバレなかったし、私もまだまだいけるわね〉
「え?え……?」
〈ほんとなのよー?ほらっ!〉
「へ、へいか……」

バサリと一瞬で着替えたホルンの姿は、先程の女官の一人そのものであった。見事な変装っぷりである。
パチンとウインクするホルンは、王家の血もあってか確かに若々しい。
しかしこの国の頂点に――それ以前に、伯母に気付かないとは。だからあんなにこちらを見ていたのか。

〈だから、あなたの顔はばっちりこの目で見ているの。どんよりしてたわよ。どうしたの?〉
「別に、何もありません……」

珍しく言い淀むソプラノに、ホルンは少し困った風に眉根を寄せた。

〈リュートね〉
「……」
〈あの子は素直過ぎるものね……ソプラノみたいに慎重な子には刺激が強いかしら〉

リュートは物心付いた時から迫っているわけではない。
そして少なくとも迫り方に妹は関与していないとホルンは断言できた。何せフォニアムは、迫り始めたリュートの姿を見て大爆笑していたのだ。彼女が吹き込んだのならそれより前に笑いをこらえているはずである。

(やっぱり、あの時からよね)

あの交流会が終わってから、リュートはソプラノに「結婚しよう!」と言い出したのだ。
それまでも好き好きオーラは出ていたが、ぶっ飛んだ直球発言にホルンもびっくりさせられたものだ。
当然のようにソプラノは「いやだ」と一蹴したが、リュートはめげずに言い続けた。
それは、二人が年頃になった今でも変わらない。

リュートは毎日、告白する。
素直に。

不安になるくらいに、リュートは素直に育った。
才能と努力により、史上最年少で大神官となったリュートは、人々を守る正義に溢れ、己の身を顧みず魔族を討っていく。
どんな時でも笑顔を絶やさない、思いやりに溢れた、素直な……とても真っ直ぐな、自慢の息子。
悪く言えば、真っ直ぐ過ぎた。
生まれた時から強い力を持ち、戦いが運命付けられていた時点で、ある程度の怪我はホルンも覚悟していた。
けれど――真っ直ぐゆえに、リュートは心配をかけまいと、兵士らだけでなく親であるホルンやチェンバレンにまで怪我を隠す。傷が痛もうが疼こうが、平気だと笑って。
ただ一人の例外が、ソプラノだった。
心配をかけたくないけれど、心配してほしい。相反する思いを抱えて、リュートは怪我を負うたびにソプラノの元へ行く。
好きな子の傍にいたい。それが息子の数少ない願いならと、ホルンはソプラノに関するわがままを認めていた……さすがに先日のような騒ぎは対処するが。
素直なリュートとは正反対に、また極端に、ソプラノは頑固だった。
そんな二人には似た部分がある。どちらも親に甘えようとしない、親を不安にさせる危うさを持っている。
酷くバランスの悪い二人だけれど、だからこそうまく互いの足りない部分を補っていけるのではないか、支え合っていけるのではないか――知らず知らずのうちに、ホルンは妹と同じ思いを抱いていたのだ。
そして、これは単純な年頃の男女を見守る存在として、
ホルンは二人を応援していた。

〈昨日はごめんなさいね、私としたことがはしゃいでしまって。〉
「そんなっ……陛下は何も!」

咄嗟に立ち上がり、ソプラノはばつが悪そうにまた座った。

「私、は」

染み入るようなホルンの優しさが、ソプラノを揺さぶる。

「魔法も使えず、兵としての力もなく……城に留まるしかない、人間です」

揺さぶられて、ソプラノは困惑する心を必死に制した。

「そんな安全圏にいる私が、あいつと一緒になんていられません。いたくないんです。それに……」

制して制して、ホルンが引こうとする手を払うかのように低い声で、しかし明瞭に続けた。

「好きでもない人間に好きだなんて、言えませんから」

リュートにではなく、その母であるホルンへの申し訳なさからの言い方に、さすがのホルンも閉口してしまった。思いがないのなら、自分の応援はソプラノにとっての重圧になる。好きではないと断言された息子が可哀想であるが、迫り方に問題があり過ぎてフォローできなかった。
再び淀み始める室内の雰囲気にホルンが焦っていると、爽やかな声がドアの破壊音と共に届いた。
ソプラノが一瞬たじろぐ。

「ソプラノー!結婚しよーう!」
〈あらリュート、お帰りなさい〉
「母さんただいまっ。ソプラノただいマボッ!!」

自然に輪に入ろうとするリュートの顔面に、ソプラノは通信に使っていた水晶を投げつけた。

「お前はっ……いちいち鍵を壊すなぁ!何度言えば分かるんだ!」

本日はノックもなしである。
ふよふよとソプラノの元に戻った水晶の中のホルンは、先程とは異なる意味で閉口していた。
吹っ飛ばされたリュートは、鼻をさすりながらむくりと起き上がる。

「いたた……ダメだよソプラノ、家庭内暴力だよ。ドメスティックバイオレンスだよ」
「うるさい!何が家庭内暴力だ!」
「だってボクの奥さんだし」
「奥さんじゃない!」

言うなりソプラノはペン、インク瓶、文鎮と手当たり次第に近くの物を投げ始める。ホルンの前だがお構いなしである。
惨状と化していく執務室を水晶越しに眺めながら、ホルンはやっと一言、搾り出せた。

〈リュート、あまりソプラノを困らせないのよ?〉

しかしリュートは深く受け止めない。

「大丈夫だよ、ほらソプラノもこんなに喜んでフガッ!」
「怒っているんだバカ!」
「そういうところも大好きだぼふっ!」
「黙れ!」

ソプラノは反発するようにますます暴力を激化させる。
こうなったら止められない。
あーこりゃしょーがないわと、ほとぼりが冷めるまで通信を切るかと、ホルンは水晶から姿を消した。
ソプラノはしまいにはチェアまでぶん投げたが、リュートは軽やかにそれを避けた。
痴話喧嘩と言うには荒々しいそれは――やはりパーカスが来るまで、続けられるのだった。



2014.05.19
 

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