「名前さん、ダメです」
「知りたくなかった?」
「……ッ」


節電の為に照明を幾つか落とした薄暗い食堂には、私たち以外に誰もいない。
夜も最も更けた深夜2時。私の声と、荒船くんの緊迫した声が響く。


「次は油を大匙2よ」
「大さじ2…だと…?」


カップケーキ



「砂糖も大匙2入れましたよね?」
「入れたわね」
「油を入れる必要はあるんですか」
「あるわ。いいから入れて」
「……ッくそ」


牛乳と砂糖の白い海に、黄色い油がとぽとぽ落ちては割れて浮かぶ。


「後はこれを入れて混ぜるだけ」
「な、なんですかその白い粉は?」
「ふふふ」


不安になっているわね、荒船くん。分かるわよ。砂糖大匙2だけでも恐ろしいというのに、そこに砂糖と同じ量の油を入れたのだから。
気持ちはわかるけれど、とりあえず油をテーブルに置きなさい。お菓子作りは手際の良さが大事だからね。


「これはね」
「そ、それは…?」

「ホットケーキミックスよ」

「ホットケーキ、ミックスだと…?」


ぼとん。荒船くんの手から油が落ちて、鈍い音が厨房に響いた。
信じられない、ありえない。そんな顔をしている。
ただでさえ体に悪そうな砂糖と油の塊に、甘ったるいホットケーキの素をいれるなんて。そう思っているのでしょう。


「牛肉100gのkcalは幾らか知ってる?」
「牛肉ですか?確か…」
「約300kcalよ」
「へえ」
「ホットケーキミックスは100g辺り350kcal。牛肉と50kcalしか変わらないの」
「ほう」


じゃあこれを60gそこのボウルに入れてね。
ホットケーキミックスの袋を渡す。牛肉の話で荒船くんは安心したのか、いそいそとハサミで袋に切れ目を入れ始めた。
甘いわね、荒船くん。ホットケーキミックスのカロリーが牛肉とほぼ変わらない言っても、牛肉はお肉の中で最もカロリーが高いのよ。こんな子供騙しにまんまと引っかかるなんて、甘いわ、ホットケーキより甘いわよ荒船くん。


「60g入れました」
「ならダマにならにないように混ぜてね」
「っす」


真っ白のホットケーキミックスが、牛乳と油と砂糖溶けて少しづつ粘着力を増していく。
ぼたぼたと割れて浮いていた黄色い油の影が消えた事に罪悪感が薄まったのか、それとも徐々に重くなっていく生地が面白いのか、荒船くんの頬は少しずつ緩んでいった。


「結構すぐダマって無くなるんすね」
「意外とね」
「たこ焼きとか結構大変じゃないっすか」
「作るの?」
「同輩に関西出身の奴がやつがいるんで、そいつの寮部屋で何度かやりました」
「へえ、楽しそうね」


荒船くんって何歳だったっけ。確か高校生、当真くんと同い年だった気がするから18歳か。
18歳の関西出身…あぁ、生駒隊の水上くんか。生駒隊って食堂に来る度に皆凄く話しかけてくれるけど、水上くんはそんな生駒隊を止める係だからあまり話したことないのよねえ。


「多分出来ました」
「どれどれ…うん!よく混ぜれてる」
「次は?」
「このマグカップにその生地を入れて」
「こんだけでいいんすか?」
「こんだけでいいのよ」


意外とお菓子作りって手順が少ないんすね、
ぼとぼとと飲み口の広いマグカップに生地が落ちる。
名前さんの分のマグカップはないんですか?と眉間に皺を寄せて言われたので、一回り小さいマグカップを差し出すと、嬉しそうに受け取ってくれた。
まあ。随分と可愛らしい面がある事。


「これを電子レンジでチンするの」
「オーブンじゃないんすか?」
「チンでいいよ、大体1分30秒くらい」
「そんなに短くていいんですか?」
「そんなに短くていいの」


意外とお菓子ってすぐ出来るんすね…。
少しだけ疑いながら、荒船くんが2つのマグカップを電子レンジにいれる。
ラップはせずに、800wで1分30秒。コーヒーを淹れるどころか一息つく時間もない速さ。


「荒船くんはブラック?」
「あ、はい。お願いします」
「インスタントで悪いけど」


かぽ、安いプラスチックの蓋を開けると微かにコーヒーの香りが舞う。
あっという間にすぐに沸くでお馴染みの電気ケトルに浄水器の水を入れてボタンを押すと、小さくしゅぅっと鳴り始めた。多分コーヒーは間に合わない。


「因みに、俺は何を作ってたんですか?」
「カップケーキよ」
「カップケーキ…って簡単に出来るんですね」
「簡単に作っただけ。ちゃんと作ればもっと手順がいるし時間もかかるしオーブンで焼くわ」
「へえ」


ぴーぴー。電子レンジから『温め終了しましたよ』の合図。やっぱりコーヒーは間に合わなかったか。
電子レンジってチンッて鳴らないのに、どうしてチンして、って言うのかな。


「熱いから気をつけて」
「っす、うわ」
「出来てる?」
「…美味そう」


出来てます、荒船くんがマグカップを傾けて見せてくれたカップケーキは、きちんと黄色く膨らんでいた。よしよし、美味しそうに出来てる。


「まだ熱いけど食べる?」
「…コーヒー」
「食べましょうか」


荒船くんの目が電気ケトルとマグカップを行ったり来たりしている。
そわそわ、どうやら早く食べたいらしい。なんて可愛いのかしら。男子高校生でボーダー隊員。自分でお菓子を作るなんて滅多にないもんね。


「スプーン?フォーク?」
「どっちがいいですか?」
「まだ冷めてないからもちもちしてるし、スプーンの方がいいかもね」
「ならスプーンで」


職員が一休みする用のパイプ椅子とスプーンを荒船くんに渡して、私もその隣に腰かける。


「「いただきます」」


もちもち。微かに甘い。美味しい。
ふわふわポロポロのカップケーキも美味しいけれど、出来たての蒸しパンのようなカップケーキも好き。美味しいね、キラキラしてるね、荒船くん。


「やっぱり疲れた時には甘い物よね」
「…そっすね」


ぽんぽん、普段は帽子に隠れている茶色い髪を、緩く叩く。

深夜1時半。荒船くんが死にそうな顔で食堂にやってきた。目が覚めるものを下さい。そう言われて、厨房に無理矢理連れ込んだ。
噂では、荒船くんは最近狙撃手に転向したらしい。
何があったのかは知らないけれどその事で訓練場か作戦室に篭ってたのだろう。
悩んで、悩んで、疲れて、それでも続ける。


「強い子ね、荒船くんは」
「…っす」
「それ食べて今日は寝ちゃいなさい」
「そうっすね」


もちもち。ここにやってきた時の死にそうだった顔の彼はもう居ない。カップケーキ、美味しいね。荒船くん。


「荒船くん」
「なんすか?」
「ホットケーキミックスのカロリーは牛肉とほぼ同じと言ったでしょう」
「はい」
「でもね。それに油と砂糖と牛乳を入れたらどうなると思う?」
「…やめてください」
「カップケーキ、又の名を、激物」
「やめてくださいっていいましたよね!」


がたん、荒船くんが勢い良く立ち上がったせいでパイプ椅子が倒れて大きな音が厨房に響く。


「背徳感と罪悪感とカロリーにまみれた激物。最高に美味しいね、荒船くん」
「………そうすね」
「コーヒー飲む?」
「…いただきます」


すっかり存在を忘れられていたコーヒー。せっかく沸いていたお湯は少し冷めてしまっている。


「また来てもいいですか」


かちり、ケトルのボタンを押して、思わず笑う。
優等生を太らせてしまったらどうしよう。まあ大丈夫か。荒船くんはまだ、食べても動けば筋肉になる。


「いつでもおいで」


深夜2時20分。薄暗い食堂。テーブルではなく厨房で食べるカップケーキ。イケナイ事って、凄く美味しい。
マグカップケーキ(1人分)
・砂糖、油、大さじ1
・牛乳、50ml
・ホットケーキミックス、30g
を全て混ぜてレンジで1分半

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