匠がバイトを始めたきっかけは、紫郎の提案によるものだった。
 
学校でも友人を作らず、人付き合いが極端に苦手な匠を見かねた紫郎により、バイトを募集中の親戚が経営しているという小さな喫茶店で働くことを勧められたのだ。
 
始めた当初はぎこちなかった接客も、今では自然な笑顔を見せ、すっかり馴染んで常連客にも人気がある。匠目当てに訪れる客も少なくなく、喫茶店のマスターにありがたがられているほどだ。
 
マスターが私用などで忙しい時に、紫郎とシフトが一緒になる。
今日はまさにそういう日だった。
 
「紫郎―、帰ろ」
 
匠はロッカールームにひょっこりと顔を出し、帰り支度をしている紫郎に声を掛けた。
 
「おー、戸締りは?」
 
「マスターがしてくれるから、帰っていいって」
 
「りょーかい。んじゃ帰るか」
 
二人はマスターに一言挨拶を済ませると、喫茶店を後にした。

電車に揺られて二駅程で最寄り駅に着き、自転車を押す紫郎の隣を匠が歩く。
21時を回った外は真っ暗で、駅から少し歩いた住宅街に入ってからはぽつぽつと街灯や家々の明かりがあるくらいだ。
 
一人の時は心配性の凌がバイト先まで車で迎えに来てくれるのだが、紫郎とシフトが一緒の日は、何も言わなくてもこうして毎回家まで送ってくれる。
 
愛想が良い方ではないので分かりにくいが、紫郎の優しさに匠はいつも助けられているのだ。
 
「ねー、紫郎は彼女作んないの?一応モテるでしょ。私、女子にも結構聞かれるよ。紫郎と付き合ってるのかって」
 
「はぁー?なんだそれ。いいだろ、彼女なんていなくたって。面倒くせーし」
 
「高1の時は何人かいたじゃん。すぐ別れちゃったけど」
 
歩幅を合わせて歩いてくれる紫郎の方を向けば、彼は横目で匠を一瞥し、浅い溜め息を吐き出した。
 
「……俺がお前を優先すんのが、嫌なんだってよ。必ずそこで揉めて、結局面倒くさくなって別れるお決まりのパターンだな」
 
「え、そんなの初めて聞いた!私のせいじゃん!」
 
「別にお前のせいじゃねーだろ」
 
なんでもないことのようにさらりと言ってのける紫郎を見て、匠は顔を顰めた。
どう考えても、紫郎に頼りっぱなしの自分が悪いではないか。
 
「ちょっと……学校で紫郎といるのやめようかな」
 
「なんでそうなんだよ。俺が勝手にやってることだろーが。彼女作ってそっちといるより、お前といる方がいいからそうしてる。今は俺に好きな奴がいるわけでもないんだから、問題ないだろ」
 
「うーん……でもなぁ……」
 
嬉しいことを言ってくれているのは理解できるが、紫郎の幸せの邪魔をしている気がして匠は納得のいかない表情で小さく唸った。
学校内で一部の女子に疎まれている理由も、これが原因なのかもしれない。
 
「俺のことはいいから、お前はどーすんだよ。凌さんのこと」
 
凌の名前が出たことで匠はハッとすると、困ったように眉を垂れ下げた。
 
「そうだ〜、本当にどうしよう。このまま一生妹ポジションで、ある日しのくんに言われるんだ……『結婚することになったから、出てってくれ』って!」
 
「……飛躍しすぎだろ。いきなり結婚はさすがに……あ〜、いや、待てよ。凌さんなら有り得るのか?何もお前に彼女がいること報告する必要ないもんな。実は前から付き合ってる人がいて……とか?」
 
考えながらそう言った紫郎を心底嫌そうな顔で匠は睨み付けると、ぶんぶんと首を横に振った。
 
「ない!ないない!しのくんは今は彼女なんていないの!」
 
「なんだよ、聞いたのか?」
 
「聞いてないけど……いつも真っ直ぐ帰って来るし、休みの日も仕事がない限り私と一緒にいるもん」
 
「へぇ〜、社内恋愛でもしてんのかな。イケメンなうえに優しいんだから、女がほっとかないだろ」
 
自転車を押しながら何の気なしに呟いた紫郎の言葉に、匠は思わず立ち止まった。
 
凌は確かに、匠と二人で暮らすあの家に女性を連れて来ることはないだろう。
それは要するに、女性と会う時は匠の知らないところで、ということになる。
 
学生である自分には到底分かる筈のない、凌の世界が存在するのだ。
 
 
「しのくんは、私に内緒で彼女なんて……作らないもん……」
 

 
09

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