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「そ、そういえば、律はいないの?」
手持ち無沙汰で落ち着かない様子の澄は、クッションを引き寄せ抱き締めた。
柔らかいそれからは僅かに礼のいい匂いがするような気がする。
「ああ、アイツはバイト。部活やってないから週五ぐらいで行ってるよ」
「えっ、そんなに行ってるの?」
「暇なんだろ。昨日は平日唯一のバイト休みの日だったんだよ。二ヶ所ぐらい掛け持ちしてる」
「へぇ〜意外。頑張ってるんだね。高校では剣道部入らなかったもんね」
「…まぁ、そこまでの熱量じゃなかったんだろうな。俺も人のこと言えないけど」
「…礼は今弓道部だもんね。どうして剣道やめて弓道にしたの?」
不思議そうに首を傾げる澄を見て、礼は口許を緩めた。
兄弟揃って中学生の頃は剣道部に所属していた二人だが、今はお互いに別の事をしている。
「…なんとなく、かな。違うこともしてみたかったっていうのもあるよ」
「そうなんだ…、楽しい?」
「楽しいよ。やってる時は他のことも考えないで集中できるし。澄こそ、高校では陸上部入らなかったんだな」
礼の言葉に澄の心臓はドキリと跳ねた。
中学の頃は陸上部で短距離を走っていた。走ることが好きだった。
「うん…、高校ではもういいかなって思って…」
「…澄の走ってるところ、好きだったよ」
俯いていた澄は、礼の言葉に顔を上げた。
優しい笑顔を前にすると、何もかも忘れて甘えたくなる。
誰にも話さずにいたはずのことを、全部打ち明けてしまいたくなるのはどうしてだろうか。
「……私、走れなくなったの…急に」
ぎゅっとクッションを抱きかかえ、顔を埋める。
「礼たちと話せなくなってから、急に走れなくなった。あんなに楽しかったのに、楽しいと思えなくなった。走っても走っても、タイムもどんどん落ちていって…走るのも怖くなった。引退まで続けてみたけど、結局最後までだめだった」
「そりゃそうだよね、私…礼の走ってる姿に憧れて陸上始めたんだもん。昔から礼は足速かったもんね」
初めて人に打ち明けたことに対する気恥ずかしさを誤魔化すように澄は笑った。
黙って澄の話を聞いていた礼は穏やかに微笑むと、自身が座るベッドの横をぽんぽんと叩いた。
「澄、こっちおいで」
礼の指定する場所がベッドの上であることに、澄の心臓は今度は別の意味でドキリと跳ね上がった。
いつの間にこんなに意識してしまっていたのだろうかと、恥ずかしくなる。
僅かに逡巡したのち、澄は遠慮がちに礼の隣に座った。
隣に感じる体温に緊張感が高まり、抱き締める為のクッションを持って来なかったことを後悔した。