Episode.1



ブラックコーヒーの酸味と苦みは
隠し続けた貴方の心のようで
わたしが知るにはまだ早すぎたのかもしれない。





冬の寒さの残る三月下旬。
淡い光を放ち始めた窓からの景色は、光に靄がかかってまだ薄暗い。

ふかふかのベッドで躰を丸めて寝息を立てる少女は、その安らかな眠りを脅かす影が近付いていることに気付いてはいない。

キシっとベッドを静かに軋ませ腰掛ける人物が、枕に沈んだふんわりとした栗色の髪を優しく撫でた。


「―…雛さま、起きてください。朝ですよ」

どこか色気を含んだ低く艶やかな声が彼女の頭上で響く。
「ん…」と小さな唸りを上げて躰を丸めるが、髪を梳く心地良い手の感触にすぐにまた寝息を立てた。

「雛さま」

穏やかな声音が再び鼓膜を揺らすと、声の主である長身の男はベッドに手を付き、眠る彼女に顔を近付けた。
真っ白なカバーに包まれた羽毛布団の中へと手を忍ばせ、縮まる少女の滑らかな太腿に指先を滑らせる。

「起きないようでしたら、このまま着替えさせて差し上げます」

もこもことした温かい素材のワンピースを太腿にそってゆっくりと捲り上げ、這い上がる手が少女の下着に触れた瞬間、ぱちっと大きな瞳が開かれた。

「葵…っ」

たった今目が覚めたというのに、意識ははっきりとしている。
開かれた瞳が自分の顔を覗き込む男へと向けられ、わなわなと唇を震わせた。

「おや、起きてしまったんですか」

「…起きた。起きたから…、その手を早くどけて」

「遠慮なさらず。毎回起きれないのですから、寝ている間に私が着替えを済ませて差し上げれば時間短縮になります。さ、脱いでしまいましょう」

「ご、ごめんってば…!起きる、すぐに起きるから!もう離れて…!」

頬を真っ赤に染め掛布団を顔半分まで手繰り寄せると、満足気に微笑む男へと恥ずかしそうに視線を向けた。
長身の男は言われた通り隙のない動きでベッドから離れ、口許に笑みを浮かべたまま少女を見つめた。

「おはようございます、雛さま。そろそろご自分で起きる習慣を身に着けてください。そうでなくては、今後はお着替えのお手伝いもしなくてはいけなくなりそうです」

単調なリズムで吐き出された言葉は、とても受け入れられるものではなかった。
まるで何でもない事のようにそう言う男をベッドから恨めし気にじとりと睨むと、少女、西園寺雛(サイオンジ ヒナ)は赤く染まった頬を大きく膨らませた。

「葵、貴方って本当に嫌味ったらしいんだから…!」

三月三日に十七歳の誕生日を迎えたばかりの彼女は、今年から高校三年生となる。

西園寺財閥のご令嬢。
長女であり、たった一人のお嬢様。





  
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