Episode.10


黒羽の口からお嬢様という言葉が出たことに雛はどきりと心臓を跳ねさせると、自分を見つめる強い瞳を見返した。
この状況が誤魔化すとかの問題ではないことは、黒羽の顔を見てすぐに分かった。
正体がバレたのではなく、知っていたのだ。多分、最初から。

「黒羽さん……知っていたんですか……?私のこと……」

「んー?なんだ、柏木から何も聞いてないの?冷たい奴だな、アイツは」

不快そうに眉を寄せて脚を組むと、黒羽は考える素振りで顎を摩った。

「さて、アイツが言わなかったことを俺の口から言っていいものか」

「お願いします、教えてください!」

「そうだよな……気になるよな。まぁ、別に大した話じゃないよ。素性を隠してうちで少しの間働きたいって、二ヶ月くらい前に柏木から相談があった。俺は最初から貴女が西園寺のお嬢様だと知っていて雇ってる」

「……最初から、ですか」

「もちろん。素性の分からない相手を屋敷で雇うことはないし、こちらできちんと調べてから雇っているからね。誰も知らないと思った?」

「はい……。確かに少し考えれば分かることでした、恥ずかしいです……」

頬を赤くして俯いた雛へと好感を持った眼差しを向けた黒羽は、優秀な執事である葵の冷めた表情を思い浮かべ、恐らくあとで嫌味を言われるであろうことを覚悟した。
雛に何も話さずにいた理由を、彼女を見てなんとなく察したからだ。

「柏木に何も聞かされてなかったんじゃ仕方ないよ。いきなり西園寺の執事とお嬢様を雇う訳にもいかないから、最初に柏木が信用の置ける人間なのか確かめる為に、貴女より一ヶ月先にうちで働いてもらった」

「あ……、それで一ヶ月前から葵はここにいたんですね……」

「そう、驚いたよ。西園寺の当主のお気に入りだとは噂で聞いていたけど、まさかあんなに使える男だとは。アイツがしっかりうちで役に立ってくれたんで、貴女を雇うことも了承した。当然貴女のお世話もアイツにすべて任せてたってわけ」

「そう、だったんですね……」

消え入りそうな声で呟き、伏せた視線をテーブルの上に置かれたレモネードで止める。
黄色いレモンと緑色のペパーミントの色合いの美しさに見惚れていた数分前が、嘘のようだ。
今は何もかもが濁って見える。

「あれ、気に障ること言った?」

「いえ……。結局私は、いつだって葵に負担ばかり掛けてしまっていたんだなって……」

「そこ、気にするとこ?アイツは貴女の役に立てることなら、喜んでなんでもするでしょう。本望ですよ、執事として」

「そうですかね……」

「はぁ〜、謙虚だなぁ。どんな我儘お嬢様なのかと思っていたけど、柏木がなんでも言うこと聞きたくなるのも分かる気がするよ。陽坊にはちょっともったいないかもなぁ」

聞き慣れない単語が黒羽の口から飛び出したことに雛は顔を上げると、小さく首を傾げた。

「陽、坊……?」

「ええ、うちの問題児の陽介坊ちゃん。陽坊のことはこーんな小さい時から知ってるんだよ。俺の祖父が元々ここの執事長をやっていてね。ガキの頃からこの屋敷には出入りしていたから」

親指と人差し指で小さい豆粒くらいのサイズを作る黒羽を見て雛は目を瞬くと、いくらなんでも小さすぎるその表現に思わず笑みがこぼれた。

「……ふふ、そんなに小さいの、変ですよ」

「お、笑った。そっちの方がいいよ。柏木は貴女の笑顔を守りたくて頑張ってるんだから」

精悍な顔立ちの黒羽がそう言って穏やかに笑う姿に、まるで保護者のような安心感を覚えた。
蒼井邸で働き始めて耳にしていた執事長の評判はどれもいいものだったことを思い出し、話してみて納得がいく。
西園寺のお嬢様だと分かっていても普通に接してくれるところも有難かった。

「あの……陽介くんは、私のことを知っているんですか?」

「いや?貴女や柏木が西園寺の人だということは俺以外には誰も知らないよ。旦那様にも奥様にもわざわざ報告していない。使用人のことは全部任されているからね。俺が信頼されているのもあるし、俺が貴女達を信用しているってのもある」

「……ありがとうございます。私の我儘を聞いて頂いて」

「まぁ、最初は何考えてるんだと呆れたが、確かに陽坊の人となりを知りたいなら悪くない発想だったかもね。旦那様に反発心を抱いてる陽坊は、婚約にも否定的だから」

「そうみたいですね。私の顔を見ても、婚約者だって分からないみたいですし」

「いやほんと失礼で申し訳ない。婚約の話が出た時、貴女の写真にはほとんど目もくれていなかったんでね」

「ほんと、失礼ですね」

顔を見合わせて笑い合ったあと、黒羽は腕時計を確認して立ち上がった。

「ではそろそろ俺は仕事に戻るんで。北村さんは休憩が終わるまでゆっくりして行ってください」

「はい、ありがとうございます」

「あ、大事なことを聞き忘れてました。仕事の方はどうですか?何か困ったこととかありますか?」

「いえ、大丈夫です。皆さん良くしてくださるので、仕事も楽しいです」

「そう、それはよかった。何か困ったことがあったら遠慮なく言ってください。では、お先に失礼します」

緩んでいたネクタイを締め直して応接室から出て行く黒羽を雛は立ち上がって見送ると、ほっと安堵の息を吐き出した。
再びソファに腰を下ろして水滴が付いたコップを手にする。
レモネードを一口飲み込めば、すっきりとしたレモンの味わいが口内に広がった。

「ほんとに、美味しい……」

まだまだ子供の自分は、いろんな人に守られているのだと思い知る。

葵はいつだって一歩先で、私の進む道を見守ってくれているのだ。
それなのに私は、自分のことばかり。
こうしている今でさえ、何も話してもらえなかったことや、葵の部屋に女性がいたということが気になって仕方がない。

本当に私は、自分勝手な子供のまま。




  
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