▼ Episode.6
自分がとんでもないことを口にしてしまったことに気が付いた雛は、ぐるぐると回る思考を整理しようと真っ赤な顔を俯かせた。
恋愛経験のない自分が、好きな人の前で服を脱ぐということのハードルの高さを思い知った。
今日の下着は、どんなものを身に付けていただろうか。
葵に見られても恥ずかしくないものだっただろうか。
そもそも、服を脱ぐとはどこまで脱げばいいのだろうか。
まさか……裸に……?
考えれば考えるほどに、雛の頭は混乱した。
しかしここで脱がなければ、葵とはまた今まで通り、何も変わらないお嬢様と執事のままだ。
裸でも見せたら、葵も少しは自分を女として意識してくれるかもしれない。
雛は意を決して首元のリボンへと恐る恐る手を掛けると、目の前でその様子を黙って見ていた葵がふっと笑う気配がして、思わず顔をあげた。
「な、なに……」
「いえ、何やらいろいろ考えていらっしゃるようでしたので」
「考えちゃ……悪い?」
「いいえ。ですがそんなに悩むぐらいでしたら、やめればいいのに……、とは思っています」
「なによぉ……また私のこと、子供扱いしてるでしょ」
不貞腐れたように葵を上目で見つめ、首元のリボンを握り締める。
何もかも見透かしたような漆黒の瞳を向けられ、どうしようもない程の恥ずかしさが込み上げてきた。
きっと葵は、最初から分かっていたのだ。自分で服を脱ぐなんて、そんなこと雛にできるはずがないと。
「雛さま」
情けなさと恥ずかしさで再び顔を伏せた雛は、穏やかな声音で葵に名前を呼ばれ、ぴくりと肩を震わせた。
「急がなくていいんですよ。こういうことは、急ぐことでも無理をすることでもありません」
優しく子供に言い聞かせるような葵の言葉に、雛は俯いたまま唇をきゅっと噛み締め、詰めていた息を静かに吐き出した。
悔しいけれど、まだなんの覚悟もできていなかった。
「……葵は、何歳ぐらいの時にいろいろ知ったの?私より早かったんでしょ?」
なんの曇りのない純粋な瞳が葵を捉えると、無表情だった彼の顔には数秒の間を置いて爽やかな笑みが浮かび上がった。
他人が見れば見惚れる程の笑みも、彼をよく知る雛からすれば、その笑みは真実を覆い隠す時に使われるひとつの仮面であるということが分かる。
要するに、胡散臭いのだ。
「いろいろというものが何を指すのか分かりませんが、なんであれ雛さまよりは早かったと思います。ごく一般的な時期に自然と学んでいくものですから」
今の今まで何も知らなかった雛にとって耳が痛くなるようなことをしれっと言ってのけると、葵は徐にベッドから下りて立ち上がった。
どうやら完全にいつもの執事に戻ったようで、ベッドの下に落ちているスーツの上着を拾い上げ、隙のない動作で袖を通している。
その様子を目で追いながら雛はじとりと不満気な視線を送るが、なんの効果もなく葵は涼しい顔だ。
「ねぇ……じゃあ、気持ちいいことって、葵もなの?葵も気持ちよくなるの?私もきちんと勉強したら、葵を気持ちよくしてあげられる?」
瞳に好奇心の色を宿してずいっとベッドから前のめりに葵へと顔を向ければ、先程まで涼しい顔をしていた彼の眉間に深い皺が寄った。
「雛さま……私はただの執事です。そのようなことを考える必要はありません」
「そうやってまた私を突き放すこと言う!」
「そういう問題ではなく、発言が……」
眉を寄せたまま途中で言い淀むと、葵は手の甲を口許に当て雛から視線を逸らした。
その些細な仕草が表すいつもの彼との違いを雛は敏感に感じ取り、不思議そうに目を丸くする。
「え、なになに?葵、もしかして照れてる?」
「照れてなどいません」
「え〜、ほんとに?」
「そんなことはいいですから。もう遅いですし、私はこれで失礼します。雛さまも早くおやすみになってください」
険しい表情でそう言って足早にドアの方へ向かった葵は、ドアノブを手に小さく溜め息を吐き出し、ベッドの上できょとんとしている雛へと振り返った。
「雛さま、意味も分からず先程のような発言をするのはお控えください。少し勉強をしてみるというは、いいかもしれません」
「私……そんなに変なこと言った……?」
「ご自分でお考えください。それでは、失礼いたします。おやすみなさいませ、雛さま」
生真面目な口調でそう言って一礼すると、葵は静かに部屋から去って行った。
その様子をただ呆然と見つめていた雛は、眉間に皺を刻んで首を傾げる。
なに、今の。
「葵……逃げたなぁ……」
これでは葵との距離が縮まったのかそうでないのか、まったく分からないままではないか。
もやもやとした感情を抱きながらも、今まで見たことのなかった葵の表情をいくつか思い出し、雛はほんのりと頬が熱くなるのを感じていた。
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