Episode.7



『婚約者はいる』

その婚約者が今まさに目の前にいる人物であるという事に、彼は気付いているのだろうか。
雛はどきどきと心臓の鼓動が速まっていくのを感じながら、動揺を悟られないよう平静を装った。

「婚約者…ですか、すごいですね…。どんな方なんですか?」

なんて白々しい質問だろうか。
自分の言葉に嫌な気持ちになるとは、心が沈んでいく。

「さぁ、知らないな。直接会ったことはないし。相手もかなりのお嬢様だから、どっかのパーティーで顔ぐらい合わせてたかもしれないけどな」

陽介は雛の心情など知る由もなく、ソファの背もたれに躰を預けて興味なさそうにそう答えた。

「…婚約者なのに、会ったことないんですか?」

「ああ、去年いきなり決まったことだからな。俺は最初から婚約なんて反対してるっつーのに」

「えっ…、反対なんですか…?」

「そりゃそうだろ。お前、会ったこともない奴といきなり結婚の約束なんてさせられたら嫌じゃないのか?今時政略結婚なんてどうかしてるぞ」

不機嫌そうに眉根を寄せてそう言う陽介を見て、雛は目を瞬いた。
てっきり陽介自身も了承したから成立した婚約だと思っていたのだ。

「俺の親父が勝手に持ってきた話だ。相手とのパイプが欲しいんだろうが、振り回されるこっちは最悪だ。相手のお嬢様も一体何を考えてんのか知らないが、俺は迷惑してるんだよ」

婚約が決まった日の事でも思い出しているのか、陽介は苦々しく顔を歪めた。

完全に婚約者である雛に対してもまるで良い印象がないという事が分かり、雛は居たたまれない気持ちになった。
既に最悪な印象だと言うのに、自分を偽ってこの場にいる事がバレたらと思うと背筋が凍る。

どうしよう…。

「おい、なんでお前がそんな顔してんだよ。変な話して悪かったよ、北村が気にすることじゃない」

不安そうに顔を伏せる雛の様子に気付いた陽介は穏やかな声音でそう言って紅茶を啜ると、その場の空気を変えるようにパッと表情を明るくした。

「お前、男と付き合ったことないって言ったけど、好きな奴はいないのか?」

「え…、好きな人…ですか」

唐突な質問に雛は目を丸くしたが、好きな相手を聞かれただけで葵の顔がすぐさま浮かんでくるのだから重症だ。
葵のことを思い浮かべるだけで、胸がきゅうっと苦しくなる。

「その顔はいるのか。うまくいきそうか?」

「い、いえ、まさか!私の片想いです…」

「へぇ、そりゃまた、俺と同じだな」

「……陽介様も片想いしてらっしゃるのですか?」

「完全な一方通行だ。余計なことしなければよかったと少し後悔してる」

「余計なこと…してしまったんですか…?」

「…そうだな、あれは御膳立てしたようなもんだった。好きな女が他の男とヤリに行くのを見送るのはさすがに応えた」

どうやら自分の婚約者である陽介は、片想いしている相手がいるらしい。
今日という日の情報量の多さに、雛はぱちくりと大きな瞳を瞬いた。
気になることが多すぎる。

「あのぉ…、」

「なんだよ」

「なにをやりに行ったのですか…?」

「はぁ?」

不思議そうに首を傾ける雛へと陽介はしかめっ面を向けると、何も分かっていないかのような純粋な瞳と視線を合わせた。
困ったように眉を下げている雛の顔をまじまじと見つめ、愕然とする。

「……まじか」





  
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