◎あの日の先生#2
(一時限目:16、17話参照)
社会科準備室で椅子の背もたれに深く躰を預けながら、宮藤は煙草の煙をゆっくりと吐き出した。
最早校内禁煙だなんて事はどうでもよかった。
今は吸わずにいられないのだから、どうしようもない。
ついさっきまで、この場所には生徒である浅見蓮がいた。
「すきだすきだ」と毎日のようにうるさいものだから、とうとう本気で突き放す事にした。
宮藤にとって彼女の存在は、その他の生徒となんら変わり無い。
誰かを特別扱いした事もなければ、特定の生徒を可愛がるようなまねもしない。
そういう風にずっと教師としてやってきたし、これからもそのつもりだった。
それなのに、何故か。彼女の泣き顔が頭から離れない。
何度あしらってもしつこく寄って来ていたというのに。
「ちゃんと普通の生徒に戻ります」とかなんとか聞き分けの良い事を言って、不器用に笑ったあの顔が焼き付いて消えない。
「…喜ぶとこだろ、普通」
天井を仰いで、揺蕩う煙をぼんやりと眺めた。
やっと、解放されたのだ。喜んで然るべきだ。
思えば彼女が宮藤の周りをうろつくようになったのは、今年の春頃からだった。
日本史を担当する二年のクラスの中に、蓮の姿があった。
それまでは正直名前も知らない生徒であったが、積極的に授業の事を聞いてきたりするものだから、かなり早い段階で名前を覚えた。
「先生!私、先生のことがすきです…!」
ある日廊下で、突然そんなことを言い出した。
真っ直ぐに宮藤の事を見つめながら、言った瞬間はにかんで笑った。
「…告白したのは、先生が初めてです」
頬をほんのりと赤く染めながら恥ずかしそうにもじもじしている蓮の姿に、宮藤は眉間に皺を寄せた。
「……お前、見る目ないな」
そのたった一言で済ませた。
しかしそれからはどんなに冷たくあしらっても、無邪気に笑いながら事あるごとに「すき」だと言ってくるようになった。
いつしか会話をしない日が物足りなく感じるくらいには、彼女の存在が当然のようになっていた。
純粋に真っ直ぐ自分を想ってくる。
その上規格外の行動までされては、気にするなという方が無理があるのではないか。
この感情の正体は。
「…ほんとアイツ、見る目ねーな」
生徒にこんな感情を抱くような教師を好きになるなんて、どうかしている。
振った手前、どうするつもりもない。
この先彼女が他の誰かと付き合おうがなんだろうが、何をするつもりもない。
ただひとつ。
彼女の気持ちが卒業まで持続していたその時は。
人知れず社会科準備室で自分の気持ちと向き合った宮藤の決意も、この数日後には強制的に揺るがされる事になるのだが、この時はまだ知る由もない。