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「わぁ〜、先生ほんとに着付けできるんだねぇ〜」
羽織っているだけの状態になっていた浴衣を宮藤に着付けてもらい、蓮は嬉しそうに顔を綻ばせた。
できる処か宮藤は予想以上に慣れた手付きであっという間に帯まで結んでしまったのだ。
蓮が友人の秋歌に手伝ってもらいながら自分自身で着た時以上に綺麗に浴衣を着付けてもらえたので、嬉しいやら悔しいやら少々複雑な気持ちもある。
「帯の結びは少し変えておいたぞ」
「えっ!あとで写真撮らなくちゃ!」
「悪いが髪は無理だからな、自分でなんとかしてくれ」
ソファに横になったことですっかり乱れた髪の毛は、今ではいつも通り肩まで下ろして癖毛がちょこちょこ跳ね上がっている。
宮藤はワイシャツの胸ポケットにしまい込んでいた簪を蓮に差し出すと、腕時計で時刻を確認した。
「もう戻るぞ。思ったより遅くなった」
「はぁい。…ねぇ、せんせ?」
「なに」
「似合う?」
本日二度目の質問に、宮藤は眉間に深い皺を寄せた。
悪戯な笑みを浮かべて期待に満ちた瞳を向ける蓮の姿を数秒見つめたあと、視線を逸らして面倒くさそうに溜め息を吐き出す。
「まぁ……似合ってるんじゃねーの。馬子にも衣装って感じで」
「えぇ〜!似合ってる!だけでいいのにー!」
「うるさい奴だな。早くしろ」
「あ、待って!」
ふて腐れたように唇を尖らせていた蓮は、今にも準備室のドアを閉めようとしている宮藤の方へと慌てて駆け寄った。
◇◇◇◇
宮藤と別れて教室へと向かう渡り廊下をかこかこと下駄を鳴らして歩いていた蓮は、前方からこちらに向かってくる人物を見て「あ」と声をあげた。
「…どこうろついてたんだ、浅見」
蓮の姿を認めるなり不機嫌そうな声を発したのは、浴衣姿の蒼井だ。
同じく午前中にクラスの接客を担当していたので、午後は予定が空いているのだろうが、宮藤に会って気分が最高潮の時に会いたい相手ではない。
「自分だってうろついてるんじゃないの」
「お前を探してたんだろーが」
蒼井の言葉に蓮は目を瞬くと、訳も分からず首を傾げた。
「なにか用?」
「……あのなぁ、お前が買って来いって言ったんだろ。忘れてんのか」
言うなりずいっとビニール袋を差し出され、蓮は袋と蒼井の顔を交互に見返し、そっと袋を受け取った。
中を確認すると使い捨てのプラスチック容器からはみ出るくらいまで盛られた焼きそばが、食欲をそそる香りを放っている。
「焼きそば……そっか、買ってきてくれたんだ。ありがとう」
三年のクラスでやっている屋台の焼きそばを買ってくるように言ったことを思い出した。
『買って来なかったら、もう口きいてあげないから』とまで言っておいた訳だが、律儀に本当に自分で買いに行ってきたらしい。
「プリンは別の日に買ってくる」
「うん…」
コンビニのプリンも所望していたのだった。
蓮は袋に入った焼きそばを見つめ、社会科準備室から出る前に宮藤に言われたことを思い出した。
『ムカつくから蒼井に仕返ししてやったらどうだ。いい方法があるぞ』
『わぁ〜教師とは思えない発言!』
『アイツのしたことに比べれば可愛いもんだろ』
『え〜…なにするの?』
『お前が一言言ってやればいい』
『…なんて?』
宮藤に教えてもらった仕返しの言葉は、蓮にとっては本当に効果があるのかまったく見当も付かないものだった。
…本当にこんなこと言うだけで、仕返しになるのかな。
疑問を抱いたまま廊下を行き交う楽しそうな生徒達を横目に、蓮は目の前の蒼井にだけ聞こえるよう声を落として静かに口を開いた。
「そういえば…、先生に話したよ。蒼井に噛まれたって」
「あー…、結局言ったのか」
「言ったというか…言う前にバレちゃったんだけど」
苦笑いで蓮がそう口にすれば、今となってはどうでもいいとでも言う顔をしていた蒼井がぴくりと反応を示した。
「…それで?俺が期待するようなことはあったのか?」
「期待?」
「だから、少しはアイツの余裕ぶった顔を崩せたのかって」
「ああ…うーんと…」
そう言われるとどうだっただろうか。
多少苛立った素振りは見せていたが、宮藤は相変わらず冷静だった。
…先生が余裕をなくすところなんて、私の方が見てみたいのだけど。
とは言え今回は、真実を蒼井に話す気はない。
なぜなら宮藤に言われた蒼井への仕返しとやらが、まさにこの質問の返事だからだ。
「えっと…、先生…思ったより怒っちゃって……」
もじもじと指先を絡め、意識せずとも頬がほんのり熱を帯びた。
「その……、学校なのに…いつもより、は、激しくて……」
“なにが”とは言うまい。
口にするのも恥ずかしい言葉をなんとか絞り出し、こんな嘘をついて意味があるのだろうかと熱くなる頬を両手で覆った。
そうして蒼井の様子をちらりと上目で確認すると、心底嫌そうに眉を寄せて顔を険しくしている姿が目に映った。
……あれ?
「蒼井……?」
「それで午前より浴衣が整ってるのに、髪は乱れてるってわけだ」
「えっ」
「あの淫行教師……、くっそ腹立つ…」
「あの…」
「もういい。余計なこと言うな。約束は守ったからな」
苛立った様子で念を押すように低くそう呟くなり、蒼井は踵を返して元来た道をさっさと歩いて行ってしまった。
約束の焼きそばを片手に蓮は呆然と立ち尽くすと、宮藤の楽しそうな言葉がふと頭を過った。
『自分が原因で寧ろ燃え上がったなんて知ったら、当分手出してくる気失せるだろ』
…先生、効果は絶大だったようです。