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高校教師である宮藤猛(クドウ タケル)は悩んでいた。
普段から悩みなど皆無に等しい彼が、珍しく顔を顰めて考え事をしている。
社会科の準備室にある自身の教員用の席に座り、腕を組みながら机をじっと睨むように見つめている。
そこにあるのは、一箱の煙草だった。
学校全体が禁煙となり、煙草を自由に吸えなくなったことは愛煙家でありヘビースモーカーの宮藤にとってはある意味死活問題だ。
このストレス社会で唯一の発散方法と言ってもいい。
これを機に煙草の量を減らし、とうとう電子タバコとやらに手を付けなければいけないのだろうか。
屋外にある細やかな分煙スペースで細々と吸い続けるしかないのか。
教頭には何故か宮藤だけが釘をさすように校内禁煙をきつく言いつけられた。
当然のことながら、一番違反しそうだからである。
「ちっ、一本ぐらい仕方ねーか」
悩みに悩んだ挙句、目の前の煙草の箱を手に取りさっさとライターで火を付けた。
煙を肺にたっぷりと吸い込み、天井目掛けてゆっくりと吐き出す。
「…やめらんねーな、これは」
煙草のうまさに浸っていると、唐突にガラッと勢いよく社会科準備室のドアが開いた。
「やべっ」と宮藤は慌てて携帯灰皿へと煙草を押し付ける。
「…先生、また煙草吸ってたでしょ」
焦る宮藤を責めるような高い声が室内に響くと、ドアの前には一人の女子生徒が佇んでいた。
「……んだよ、浅見か。お前ノックぐらいしろよ」
女子生徒の存在を一瞥するなり、宮藤は深い溜め息を溢した。
「先生の抜き打ちチェックだよ。煙草吸ってるの臭いですぐ分かるんだから、慌てて隠してもだめだよ」
お前は教頭か姑か何かか。
そう言ってやりたい気持ちを抑えて、宮藤は放課後の準備室に突然現れた女子生徒を煩わしそうに見つめた。
「…わざわざ放課後になんの用だよ。早く帰れよ」
「先生に会いに来たんだよ!」
そう言って彼女はにっこりと笑った。
浅見蓮(アサミ レン)
宮藤が社会科を担当するクラスの高校二年の生徒だ。
肩より少し長い栗色の細く滑らかな髪は癖毛なのか所々外側に跳ね上がっていて、天真爛漫な彼女の性格を表しているようだ。
美人とは言えない一般的な顔立ちだか、愛嬌のある表情はどこか男心を擽る。
宮藤はこの女子生徒が苦手だった。
真っ直ぐに教師である自分に好意を向けてくる彼女が、素直すぎて恐ろしい。
歪んだ自分と比べると、何か別の生物でも見ているような気にすらなってくる。
「先生、今日は帰ったら何するの?」
にこにことしながら宮藤の元まで駆け寄ると、蓮は近くにある椅子を引き寄せて座った。
宮藤の机に頬杖を付いて、満面の笑みを向ける。
完全に帰る気がないようだ。
「…お前に言う必要ねーだろ。帰れっつってんのに」
「だって、放課後しか先生とゆっくり話す機会ないんだもん」
「俺は放課後もお前と話すことはないけどな」
「ひどーい!毎日来てあげてるのに!」
「…だから、よくまぁ飽きもせずに毎日来るよなお前は」
「うん、先生のこと好きだからね」
…そしてよくもまぁ飽きもせず「好き好き」言えるな。
すぐ横で嬉しそうに笑っている蓮の姿に、宮藤は諦めたように溜め息を吐き出した。