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鬼島(きしま)
ナツ





 鬼島さんは、キスをする前にいつもおれの頭をゆっくりなでる。
 その手は頭のてっぺんから毛先へ、耳へ、頬、唇、顎とたどる。それから額がくっつき、高い鼻を擦りつけてきてから唇を食む。順番があるのだ。いつも大体同じなのだけれど、されると恥ずかしくてどきどきして、気持ちよさにふわふわする。
 キスをしている間、手はずっと、おれの手をぎゅうと握る。


「どうしたの、そんな目、して。眠い?」


 口角を持ち上げておれの目を覗きこみ、とんちんかんなことを聞いてくる。
 綺麗に切れあがった目尻、二重の下にある濃い黒の目。鬼島さんの目は普段黒縁眼鏡の下にあり、穏やかそうな雰囲気に隠されている部分だ。見つめられるとそれだけで、火を点けられたみたいに頬が熱くなる。でもそれを隠すのは許されなくて、穏やかに、けれどしっかりと手を握ったまま、とても近くから見つめてきた。


「ナツくん」


 いつもの呼び方なのにどうしてだろう、ぞくぞくする。普通にご飯を食べているときも、ただ眠るときも、いつだって同じ呼び方なのに。


「最近忙しくて、全然構えなかったじゃない? 死ぬかと思った」
「おれは……」
「大丈夫だった、なんて悲しいこと言わないよね?」
「う、はい」
「そう。なら安心した。会えなかった間に他の誰かに触らせてない? こういうこと」


 ちゅっちゅっと軽い音をたてて離れる唇。思わず目で追うと、もう一度ちゅっとされた。


「こういうこと、してないよね? 他の人と」
「してない、です。だって鬼島さんが、他の人としちゃだめって、言うから」
「そうだよ。ナツくんといちばんなかよしの鬼島さんしか、こういうことしちゃいけないんだよ」


 他の人なんかとしたらおしおきだよ、と耳朶を噛まれて吹きこまれる。
 そのままベッドへ連れて行かれて、服を脱がされてからだじゅうを撫でまわされた。触られたところがとても熱くて困って泣くおれに、鬼島さんは優しく言い続ける。


「おともだちは鬼島さんだけだよ。ナツくんはいいこだからわかるよね?」
「好きだよ、ナツくん。かわいい」


 低くてよく響く声は頭の中をどろどろと溶かして、いっぱいになる。
 とうとう両腕を伸ばして首元にしがみつく。引き寄せてきちんとボタンをかけられたまま、乱れていないシャツの襟元、そこから覗く首に鼻を擦り寄せると喉が震えた。笑っている。


「ナツくん、どうしたの」
「鬼島さん」
「うん」
「きしまさん……」
「何?」


 落ち着いた声。優しく撫でられて、でもそれは今は好きじゃない。もっと別の触り方をしてほしい。そんな風に思うのも恥ずかしく、いっぱいいっぱいになって、言葉の代わりに溢れるのは涙。


「うええっ……」
「ああ、ごめんね。もう辛いね」


 そう言って鬼島さんはなにもかもをぐっちゃぐちゃにする。わけがわからなくなって抱きつくしかできない。中も外も、鬼島さんでいっぱいで、そのときにはなんだか苦しいような、悲しいような、嬉しいような、いろいろな気持ちが寄せては返して、やがて意識を攫って行ってしまうのだ。自分が何を口走ったのか、どのようなことをしたのか、定かではなくなってしまう。

 気付いたらもう朝で、夢のように鬼島さんの姿は消えている。脱がされたはずの制服は丁寧にハンガーに掛けられて、壁に吊るされていた。からだも綺麗だ。おれのからだにあの人の痕跡は何もない。ただ、部屋にうっすら残る煙草の匂いが、おとなの男の人がいたことを知らせるだけ。

 時間を気にしながらもたもたと制服を着て、もたもたご飯を食べて、家を出る。狭いアパートにわざわざ泥棒なんて来ないだろうけど鍵を掛けて、高校の最寄り駅へ向かう。

 鬼島さんは夜しか来ない。しかも来るときは突然で、いつも触られてどろどろにされて終わりだ。朝になれば跡形もなく消えている。

 電車の窓の外を流れて行く風景を見ながら鬼島さんを思い返す。癖のある黒髪、黒縁眼鏡、すらりとした大きな背、全体的に白と黒。抱きしめられるといい匂いがして、その匂いがするともうわからなくなる。
 鬼島さんとの出会いは何だったのか、いつから来るようになったのか曖昧で思い出せない。高校に入った辺りからのはずで、それはいたって最近のはずなのだけれど。

 ポケットの中で二つ折りの携帯電話が震える。「次会うときまでいい子にしててね」アドレスはいつも違う。電話は、一度もかかってきたことはない。鬼島さん以外の人と連絡してはいけないと言われて、電話帳は空っぽのまま。メールだけが溜まってゆく。

 鬼島さんって何なのだろう。どうしてこんなにおれを放さないんだろう。
 それはきっと――おれも鬼島さんが好きだから、だろう。
 よくわからないのに鬼島さんを好きだと思う。好きだというきもちはふわふわしていて、考えただけで頬があったかくなった。

 駅でたくさんの人と一緒に降りる。改札口が近付いて、ポケットの中の定期を取り出そうとしたら紙が触った。機械にタッチして抜け、紙を開く。


「ぼーっとしてると危ないよ。誰のこと、考えてたのかな。鬼島さんのこと?」


 小さな紙に書かれたきれいな字。辺りを見回してもあの白黒はない。
 不思議な人、奇妙な人。でもおれは惹かれてやまないのだ。






 アパートを出たところから高校の敷地内に入るまでの映像が手元のタブレットへ送られてきた。それが途切れ、画面が暗くなる。俺もタブレットの電源を落とし、執務机の上に放り出した。固い音。
 ナツくんは、何も覚えていない。俺と出会ったのはついこの間のことなのだけれど、きっとぼやっとしていてよく思い出せないだろう。たまたま、を装って、図書館で勉強していたところに声を掛けた。ナツくんとすれ違うふりをして盗った校章を差し出して。
 何もわからないままでいい。
 ただナツくんに優しくしたいだけ。幸せに浸ってほしいだけだ。悲しい思いはさせたくない。

 起動したまま放置していたパソコンで銀行のインターネットバンキングを開き、ナツくんの口座にお金を移す。今日はその日。あの人がいなくなった日で、今のナツくんには生活費が入る日となっている。ナツくんに渡すお金は俺のお金でもなんでもなくて、あの人が日々働いて稼いだお金の全てだ。まるで自分がそうなることを予感していたように、ナツくんの名前でまた別に貯金してあって、そちらは恐らく大学以降の費用になるだろう。ナツくんはいいこで頭も優秀だから、高校は奨学生、授業料など一切が無料。無駄遣いもしない。

 無事に振り込まれたことを確認し、取引画面を閉じる。
 ナツくんには学校からの生活奨励費、という名目で渡されているお金。ナツくんが大好きだったあの人を思わせる要素は何もない。それが、きっと、幸せだから。


「談、今日の夜、予定何もなかったっけ?」
「はい」
「じゃあナツくんのところ行くね。談も早く帰ってゆっくり休んで」
「はい」


 金髪の、甘ったるい顔をしたイケメンが机の向こうで笑う。
 さて、と呟いて、手元に送られてきた書類を広げた。


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