お友だち(偽) | ナノ

その後の社くん 1


 
織戸 社(おだ やしろ)
幕間 到(まくあい いたる)



***



 執行猶予つき判決が出た社は、田舎に帰ることにした。
 保護司の許可も裁判所の許可も出たので、特に未練もないその街を出て、電車にがたごと揺られて一時間程度の田舎へ。幼いころはずいぶん遠く思えたような気がするが、今となっては一瞬だ。快速に乗ればきっともっと早い。あえて鈍行を選び、各駅で停車するもあまり人が乗ってこない電車を満喫した。
 そして荷物はボストンバッグひとつだけという少なさだった。
 上弦の家に住んでいるときの荷物はほとんど処分され、釈放されてから必要に迫られて買ったものくらいしか、今の自分にはない。新しい服や靴はなんとも慣れない、自分にしてはシンプルなものばかりだ。派手な服を着ていると目立つ。絡まれた末に執行猶予取り消し、などとなっては笑えない。存在感を消すことが精一杯できることである。

 終点のみっつ前の駅で降りる。
 ここから先が栄えている中心地になるのだが、その手前が社の故郷で、何にもない。駅前に、妙に立派な図書館があり蔵書が豊富なことで有名であるが、それ以外はワインと牛肉が有名なだけで、本当に何にもない。ぶどう棚、田んぼ、森。自然豊かなその街に降りると、なんだか息がしやすい気がした。
 保護司が紹介してくれた不動産屋に行く前に、図書館へ寄った。
 子どもの頃より立派になっていた内装、本棚が記憶の数よりずっと多い。こんなにあったろうか、と、自分の背より高い本棚を見て思っていた。子ども用の棚は低いが、大人向けの棚は高い。一番上は踏み台がないと届かないな、と見上げつつ思う。

 平日昼間の図書館は静かだった。カウンターにいる司書数人のほかに人の気配はあまりない。
 閲覧用テーブルのひとつに座り、ぼんやり日差しを浴びる。高い場所の窓から二階席には日の光が届くように設計されているようだった。こんなぼんやりした時間を過ごすのは久しぶりだな、と思いながらバッグを傍らに置く。

 上弦の家は、水若が来てから変わった。水若の意見ばかりを優先する虎谷家が徐々に憎くなっていったのはどういうわけだか、今もよくわからない。自分を見てほしかったのは本当だし、生まれて初めてついていきたいと思った人間にないがしろにされたのが苦痛だったのだろうか。
 一生かけて答えを見つけられれば幸運だ、と保護司は言った。確かにそう思う。
 ぽかぽかとした日差しを浴びて、眠たくなってきた。うとうとしていた社の前に、ふっと誰かが立った気配。

「社……?」

 うとうとが一気に吹き飛んだ。涼やかな低い音に、誰だ、と見上げると、記憶の片隅にあるようなないような、しかし見ているうちに脳内と現実の輪郭がぼんやり結ばれる。

「ああ、えっと、まくま」
「まくあい。幕間だけん……」
「失礼。幕間到だったっけな」
「そー。よく覚えとったね」

 にこ! と嬉しそうに笑う。その顔には高校時代にはなかった眼鏡と、わずかに年齢を重ねた気配。けれど背の高さで目立っていたし、爽やかでかっこいいともてはやされていたことをおぼろげに思い出す。自分とは全く違う種類の人間だと思っていた。
 今でも確かに整った顔をしているが、佐々木、上弦、水若の次の次くらいと言える。本物の美形を見てしまった後だと人並だなと思うが、きらきらした目の輝きはその誰もが持っていなかったもの。

「まぶし……」
「ああ、この席確かにまぶしいよねえ」

 お前がだよ、と言いたかったが、席を譲って隣に座ると顔を見なくて済むのでいくらか楽になった。図書館なので、ひそひそ話をする。誰もいないせいか、とがめられることはない。

「社、こんなところで何してるだえ?」

 柔らかな低音が紡ぐ、やや訛った言葉。他の人が話すと少し乱暴に聞こえるその訛りも、幕間の声ではとても落ち着いて聞こえる。

「見ての通りぼーっとしてた」

 そういえば自分はいつからか訛りが抜けたな、と思った。お国言葉はよろしくないよ、と上弦に言われたことがあったせいだろうか。

「ぼーっと……仕事は?」
「してねぇ。今から探す。住む場所も」
「ほーか」

 ほうほう、と頷いた幕間。それから嬉しそうな顔になり、じゃあさ、と言う。

「家に来ね」
「は? 幕間んち?」

 そうそう、と頷く。

「うち広いし、社には仕事がたくさんあると思うだよー汚いし」
「汚いのかよ……掃除しろってことか」
「そ。家事一切やってくりょー。俺、本当に苦手でだめなんだ」

 見た目は清潔大好きそうなのに汚いとはギャップもいいところだ。たかが知れているだろうと考えた社は、上弦の家の一切を取り仕切っていた経験から「いいぞ」と答えてしまった。

「その代わり金は出せ。雇用契約結んでもらう」
「はーい喜んでー」
「おう」

 社は図書館のカードを作ったのち、幕間に連れられて歩いて家へ向かった。
 途中、高校の前を通り「お前んち高校の近くだったのか」と社が言ったところ「隣です」と返された。何にも知らないな、と思う。

「隣かー」
「その代わり中学までは遠かったけんど」

 立派な日本家屋の前、どうぞ、と玄関を開け、電気がつけられた瞬間めまいを感じた。くらくらと来る、とはこういうことを言うのだろう。
 玄関にテレビが横に通せんぼしている。その背後にはうずたかく積まれたゴミ袋、合間にきれいな獣道がわずかに見え、部屋という部屋に続いているようだった。衣服が散らかってゴミ袋の隙間に挟まっているのも圧巻だ。

「きったね……」

 心の底からもれました、という社の声に、幕間が恥ずかしそうに縮こまる。

「ご覧の通り、掃除も苦手で」
「今までどうやって生きてたんだよ……料理は?」
「コンビニ。あ、生ごみは出してたし!」
「胸張るな。生ごみ出すなら普通のごみも一緒に出せや……」

 とりあえず玄関からやるぞ、と息を吐きながら言う社に「はい!」と妙にいい返事。

「いやお前はやらせねぇよ。足手まといになるからどっかいってろ」

 どっか行ってろ、と言われたのに幕間は嬉しそう。どうした、と聞けば「足手まといになるって初めて聞いたー」と感動している様子。そこかよ、と思う。

「じゃあ仕事してるから、終わったら呼んで」
「おう」

 するすると玄関脇の部屋へ入っていく。その背中を覗き見ると、あまり広くない小部屋は本棚に囲まれていた。積み上げられた本、散らばった付箋。
 ここはまたあとでだな、と思いながら、ぽいぽいとごみを分け、かきわけ、選別する。一応服はとっておいて後でたずねればいいだろう、と考えつつ、引っ張り出して廊下の端へまとめる。ごみ袋は押してなるべく玄関側へ寄せた。
 山ほど出てくる服。こりゃ脱ぐたびに違う服を買ってんな、と思うくらいには同じような服が出てきた。今日会ったときと同じような、明るい色のシャツと暗い色のデニム。下着が出てこないのが不思議なくらいだ。それはちゃんと脱衣所にあるのかと思いながらがさごそ。服が出るわ出るわ、その陰から虫の死骸や残骸も出てきてうわっと少し嫌な気持ちになる。
 やがて埃をかぶった掃除機を発見したときは、宝物を見つけたような気持ちになった。
 コンセントを探していると廊下の突き当りにあった。お風呂場の手前に。

「風呂場は地獄か……?」

 絶望的な気持ちになりながら一応確認だけしに行く。意外と風呂場はきれいで驚いた。カビも生えていないし、浴槽も洗い場もきれいだ。同時に鼻歌を歌いながら風呂に入りつつ掃除をしている幕間のご機嫌な姿が浮かび、ありえるな、と思ってしまう。

「他もこのくらいの勢いで掃除してくれりゃな……いいのに」

 洗濯機は見事にタオルに埋もれていたので、タオルは捨てて新しいのを買わせようと思う。衛生上、よろしくない。と思っていたら向かいの部屋から新品のバスタオルが山ほど出てきた。買う判断力があるのに洗濯する判断力はないのかよ、と心の中で毒づいてしまう。
 ようやく片づけが終わったのは夜。途中、トイレに出てきた幕間に「金寄越せ」と言って「え、カツアゲ?」と言われ、社は少し呆れながら「お前にえさをくれてやるんだよ」と返した。

「わーいご飯」

 とのんびり喜ぶ。ひどい言われようなのにいらいらする様子もなく、ふにゃふにゃと笑い嬉しそう。とりあえず買い物に出て、昔の記憶をたどり、スーパーへ。食材を買い込んで戻る。車があったら便利なのにな、と思ったけれどそこまでの距離は案外なかった。行って帰ってみるとすぐだったのだ。玄関の明りがぽつんとついた高校の隣の家。

「ただいま」
「おかえりー。お腹空いたけ待ってたしー!」

 おかえり、と言われるのは何年ぶりだろうか。足を玄関に踏み入れながら不慣れな「ただいま」を返す。

「夕飯何? 何食べる? 同居初日だで」
「関係あるか?」

 適当に買ってきた、と言いながら袋をテーブルの上に置いた。
 冷蔵庫の中はきれいなものだったので、食材を詰め込んで料理を作る。

「カレーだ。カレー大好きよ!」
「カレー好きか」
「好き!」

 にこにこと、子どものように笑うものだからつられて笑ってしまう。幕間がはっとしたような顔をして、それからますます嬉しそうに笑った。

「そういや家ん中きれーにしてくれてありがとな。めちゃくちゃきれーになっとって嬉しい」
「よくこんな家で過ごしてた、って思うくらいにはきったなかったぜ。次のごみの日いつだ」
「明日! のはず! 朝九時までに出さないと持って行ってくれんよー」
「んだら明日の朝、全部捨てるから手伝え」
「はーい」

 うまいとカレーを食べつつ、雇用契約書作った! と意気揚々と差し出してくる。それを差し戻すこと二回、細かいと言いつつ幕間が直すこと二回。当事者同士のものではあるが、一応の形としては契約を結んだ。寝る場所は幕間の寝室の隣、布団は日中に干しておいた、と言うと「えらいなあ」と褒められた。やって当たり前のことをやったまでなので、褒められるとくすぐったく感じる。

「社、なんで帰ってきたで? こっちによ」
「んー、なんか適当に生きてたらそういうことになって」
「適当? 社が?」
「高校卒業して、あっちにふらふらこっちにふらふらしてた」

 ふーんと意外そうに幕間が首を傾げる。その姿がなんとなく昔と重なって見えた。授業中の幕間は、わからないことがあるとひとりで首を傾げていたように思う。それが可愛いと評判になったことがあった。全く話したことはなかったけれど、幕間は目立っていたし、楽しそうだった。
 社は地味な方、というか誰とも深くは関わらない三年間だったように感じる。誰かと一緒に過ごしたいということもなく、誰かに興味を持つこともなく。『何か』をいつも探していたように思う。
『何か』が虎谷上弦だと思ったのに。

「……社?」
「ん? 悪い、聞いてなかった」
「や、高校卒業してからずいぶん経つけんど、社変わってねーな、って言ったんだわ」
「変わってねぇ? そうか?」
「相変わらずかっこいいな、って思ったもん。図書館でさっき見かけたときの第一印象」

 かっこいい、にぴんと来なくて、そうかとしか返せない。いつも本当にかっこいい人が傍にいたし、本物の美を知ってしまうと自分も一般人並みだな、と思ってしまう。更にふうんと流すと、幕間がむっとしたような顔をした。

「本当に思ってんだで」
「はいはい、ありがとうございますー」

 さっさと食えよ。片づけるぞ、と言う。しかし幕間は大事そうに食べながら「幸せの味をかみしめています」と笑った。

 確か、事故で亡くなったんだっけか。
 夜、ひとりになった寝室で社は布団にごろごろしながら思い出す。
 お皿洗いくらいできるよ! とふんふんした幕間の鼻歌を聞きながら、あの案外きれいだった風呂にのんびり浸かったあとである。寝間着は一応バッグの中にあったので、それを着た。

「おやすみ、社」

 と言われたのも、のんびり風呂に入るのも、寝るのも久しぶりだ。
 はあ。と息を吐いて急に思い出したのは、昼間片づけをしていて見つけた仏間。そこの一角だけごみがなかった。一応。埃は分厚くかぶっていたが、きれいに拭き取ってきれいにしながら見た位牌の裏書きは、確か高校生の時期と一緒だったように思う。

「事故で亡くなったんだって」
「急だったらしいよ」

 同級生がそう話していたのを、どこかで耳にした。学校の廊下だったか、どこだったか。
 興味が全くなかったし、親が突然死んだりいなくなるなど当たり前だろうと思ったから、聞き流していて何年生の時だったかも思い出せない。裏書きと真剣に突き合わせてみればわかるだろうが、さほどの興味が今もない。

 親が突然死ぬのも悲しいんだろうな、ということには思い至った。
 親が突然消えるのとどっちが寂しいか、悲しいか、ということはわからなかった。
 突然死んだ幕間の親と、突然消えた自分の親と。

 ありふれた環境だというのは、嫌というほど出会った人間たちの中で知った。この狭い故郷ではさも可哀想なことのように扱われていたが、そんなことを気にする人は、あの広い場所の広い家では誰もいなかった。
 掃除が終わり、スーパーへ行く道すがら保護司に連絡を取った。すると「良かったですね。いいお家が見つかって」と言われた。いいお家かどうかはわからないが「はい」と答えておいて、電話を切った。色々突っ込まれるのも面倒だったが、そういう根掘り葉掘りタイプの保護司ではなかったことが幸いだ。根掘り葉掘りされるほど、罪が重くなかったのもあるのだろう。

 明日の朝は早めに起きてごみ出しだな、と思いながら、うとうと眠りに入った。


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