お友だち(偽) | ナノ

47 有澤譲一朗狙撃事件


 

澤本 松弥(さわもと まつや)

有澤譲一朗についてはほかの『お友だち(偽)』のお話でしたり、『有澤さんと高牧くん』などをご覧くださいませ。


***
 

 その日の朝はいつもと変わらなかった。

「行ってきます」

 と満和に声を掛け、満和も「行ってらっしゃい」といつもの見送り。ただ、北山がその後ろにいて、気を付けてくださいね、と珍しく声を出したのを思い出す。普段は何も言わずにただ見送るだけなのに。

 何か知ってやがったな。
 と気付いたのは、腹に強烈な熱さを覚えてからだった。有澤の腹に仕込まれた『らぶらぶ満和くんマル秘ノート(幼少期編)』を貫通して届いた、熱。

 誰のものかわからない、通行人だろう悲鳴がこだまする。
 道路に膝をつく。腹を押さえるとあたたかな液体が流れ出るのを感じた。会社前の道につけられた車から降りた短い間に、狙撃されたのだとわかった。熱さの次は痛みが襲ってくるものだと思っていたが、いつまでもそれはなく、ただひたすらに熱いと思えてならなかった。

 有澤が考えたのは、満和のことだ。
 さすがの満和くんも悲しんでくれるだろうか、そんなこと。意識はずっとはっきりしていて、けれど身体が動かないという不思議な体験をした。そして次に浮かんだのはにやにや笑いながら「あーりんのまぬけ」とぷすすと笑う先輩の顔。絶対笑う。なので誰も教えないでほしい、そう強く思った。

 有澤譲一朗が狙撃された。犯人はいまだ逃走中――有澤の願いむなしくそんな知らせが鬼島優志朗の耳に届いたのは発生からわずか十分後のこと。

「ぷすす、間違えて猟師に撃たれたんじゃない?」

 やはり鬼島はにやにや笑って、その知らせをもたらした使い走りに金を渡す。

「これであーりんの欲しいもの買ってあげてよ。後で行くから」

 動揺している様子は一切見られなかった。知っていたのか、と一瞬訝しんだが、あの鬼島優志朗が相手では詰め寄ることもできない。ぺこりと頭を下げ、すごすごと有澤がいる病院に戻るしかなかった。

 社長室、にしては簡素な部屋で、鬼島が天井を見上げる。

「あーりんが狙撃ねえ……物騒な世の中になったもんだわ」
「鬼島社長、お見舞いに行かれるようでしたら調整しますが」

 有能な秘書の篠原が話しかけてくる。

「んー? ん、いいよしなくて。仕事の後にお見舞い行くからさ。どうせ手術でしょ」
「そうでしょうが……有澤さんの一大事に駆けつけなくてよろしいのですか」
「いいのいいの。しかめ面するだけなのが見えてるから」

 仕事終わりに行って思いっきり笑ってやろ。
 鬼島が寄りかかった立派な背もたれが、わずかにきしりと音をたてた。



 有澤が目を覚ますと、何度か見たことのある天井がそこにあった。いつもは誰かの見舞いに来ているだけだったので、まさか自分がここに寝ることになろうとは。不名誉極まりない、と思いながら身体を起こそうとしたところ、激烈な痛みが腹を襲う。
 なんだ手術した後のほうが痛いのか。
 思わず呻くと、そのうなり声に気付いたのか、やはり見覚えのある白衣の男が姿を見せた。

「動かないでくださいねー」
「澤本先生、いつ退院できます?」

 穏やかな顔に困った色が浮かぶ。

「みなさんすぐそう聞かれますけど、俺から言わせれば気が早すぎます」
「早く退院しないと困るんです」
「困るのはこちらです。しばらくは絶対安静ですよ」

 優しく、しかしびしりと言われてしまった。医者に逆らうわけにはいかないのでしょぼりとベッドに沈む。痛みがある程度落ち着くと、さて満和くんに何と言い訳しようか、ということで頭がいっぱいになった。

 撃たれた、などと聞けばショックを受けるかもしれないし、よしここはひとつ急な出張になった、ということにしよう。

 そう決めて、北山に連絡する。満和の耳には入れないように、ということ。出張という体にしてほしいこと。北山からは相変わらず既読がつくものの返事がない。見ているだけよしとする。
 それが終わると気が緩んだのか、少しの眠気が襲ってきた。
 早く回復するためにはよく寝ることだろう。そう考えて目を閉じる。





 面会時間も終わった夜七時。
 入院施設のある澤本医院の裏口のドアがとんとんと叩かれた。

「はいはい」

 顔を出す、澤本松弥医師。

「動くな」

 裏口には明りがない。暗がりで腰の辺りに押し付けられたものは物騒なものだろうか、と思いながらため息をつく。

「鬼島さん。こんなときに悪趣味ですよ」
「あらぁばれた」
「ばれます」

 もう! と言う松弥医師。顔が可愛らしいので迫力はないが、どうやら怒っているようだ。
 古くから東道会御用達の澤本医院。銃創刺創、挫滅創などやくざやさんにありがちな負傷ならばなんでもござれな頼もしい病院である。そこの三代目、澤本松弥医師は細腕と言っても過言ではないし、鬼島よりずっと小柄だ。しかし腕はやはり一流である。見下ろして、あーりんは、と尋ねる。

「有澤さん? 寝てます」
「のんきねえ」
「痛み止めの副作用ですから、有澤さんが寝たくて寝ているわけではないです」

 こちらへどうぞ、と促されて病室へ向かった。何も書いていない入口から入り、カーテンを開ける。有澤が眉間に皺を寄せて眠っていた。

「できたら起こさないでください。休んでいるほうが本人も楽なので」

 有澤の眉間をぐりぐりし始めた鬼島に向かい、注意を込めて声をかける。それをやめ、顔を上げて松弥を見た。いつもの無表情だった。前髪の隙間からひんやりとした目が見つめてくる。眼鏡レンズがなかったらもっとひんやりしていただろう、と思わせる目つきだ。

「どんな銃創だった?」
「左側のこの辺りに、盲管銃創として存在していました。有澤さんは身体が厚いので、皮下筋肉と脂肪とがクッションになって幸い臓器の多損傷は避けられた形です。取り出した弾は先程までM855かなあと思いながら見てたんですけど、もしあれなら持って帰って調べてください」
「はいよ。ありがと。警察は?」
「意識不明、としてあるのですが、気付いてそのうち来るでしょう。東道会、有澤さん絡みということで多分磯村さんが出張ってくると思います。当面、鬼島さんはここに近付かないことをおすすめしますよ」
「そっちのほうが面倒くさくなさそうだからそうする。談ちゃんを派遣するわ」
「ええ。お茶でも飲んでいかれます?」
「そうしよっかな」

 当直室、と書いてあるところへ案内される。ここが今や松弥の自室だ。裏に立派な家があるにも関わらず、風呂以外はあまり使っていないと以前、何かの折に聞いたことがあった。
 中は意外と広くて、畳の部屋だ。天井まで届く大きな棚、医学書が詰められたそれのあちこちに異国の人形らしき小さなものが置いてある。お土産でいただいたんです、と松弥は言っていた。

「まつぴの部屋、なんかまたお人形増えてない?」

 そうですか? と松弥本人は知らぬ顔だが、明らかに増殖している。以前は何もなかった場所に冷蔵庫やオーブンも増えているし。さては、と鬼島の勘が働いた。
 まつぴ、恋人ができたな。それも料理好きの。
 もともと料理が得意ではないと言い張り、調理器具がほとんどなかったこの宿直室。キッチンがあるのに、使われた形跡もなかった。今はそこに適度な使用感があり、器具も揃っているようだ。

「鬼島さん? 何をにやにやしているんですか」
「いや別に?」

 まつぴが幸せになって……と何目線かわからない感想を抱きながら、あ、これと冷蔵庫の中から出されたものを受け取る。

「弾丸です」
「どうも……冷蔵庫保管なの?」
「ええ」

 そんな無造作に……と思うが、松弥はこう見えてぽわぽわと何を考えているかわからないところがある。もしかしたらこの建物の中で一番微物が少なかったのかも、と思い直し、シャーレごとスーツのポケットに収めた。からんと音を立てたような気がする。

「お茶です」
「どうも」

 同じテンションで差し出されたお茶を受け取り、座布団に座る。松弥も向かいに腰を下ろした。

「鬼島さんにはもうわかってるんですか、今回の犯人」
「え? あんまり興味ないなあ。だから警察のお手並み拝見、ってことで」
「そうなんですね」
「うん。やること奪ったら嫌われちゃうじゃん」

 もう十分嫌われていると思いますが、とは言わずにおいた。
 嫌われていることを知っても鬼島はどうとも思わないだろうし、それによってまた変に絡まれても少し面倒くさい。
 穏やかにお茶を飲み、鬼島が帰って行った。

「……鬼島先輩、来てただろ」
「もう少し寝ていてください」
「どうせまた笑われるかと思ったけど、笑わなかったな」
「笑うの、忘れたんじゃないですか」

 鬼島先輩がいやがらせを忘れるわけない。そう言いつつうとうとしていた有澤は再び眠りに落ちた。松弥はその横顔を見て点滴を見上げ、確かに鬼島には緊迫感や焦燥感のようなものが見えなかった、と思った。
 以前、佐々木さんを運んできたときは些か焦りが見えたが。
 有澤さんの顔見たら安心したのかな。
 そのように頭の中で片づけ、有澤に「なんかあったらボタンで呼んでくださいね」と声をかけた。聞こえているかいないか、わからないけれど。



「譲一朗に注意を促しておくべきだったな」

 バルコニーで波の音を聞きながら、峰太が呟いた。その背中を秋が撫でる。いささかしょんぼりして見える、広い背中。

「まさか東道会内で秘匿されてたなんて誰も思わないって」
「連続狙撃事件があった、って伝えればよかった……くそ……」
「譲一朗くまは無事だから。ね、ほーた。大丈夫だよ」

 波音の合間に、秋の慰める声がむなしく聞こえた。


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