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きみが、好きです


 目を覚ますと、もう隣にエレオスの姿はなかった。
 毎朝のことだ。代わりにふわふわと朝ご飯の香りが漂う。キッチンにいる証拠。イェスタは腕の中の羊を抱き直す。仕事が休みの朝は、いつまでもごろごろしていたい。
 再び目を閉じまどろんでいると、ゆらゆらとベッドが揺れる。

「イェスタ、朝」

 指先が頬に触れた。びく、としてしまうので起きていることはすぐに知られてしまう。笑い声が聞こえた気がして目を薄く開けると、やはりエレオスの微笑が見える。褐色の瞳が柔らかくなごんで、腹のあたりというか胸のあたりというか、なんとも言えないあたりがもじょもじょ、もぞもぞ、形容しがたい感覚に襲われる。羊に顔を埋めて隠すと「あれ」と小さな声。

「可愛い顔、もっと見せてほしいんだけどなー」

 いたずらに耳の下や首の皮膚を撫で、こめかみに唇が触れる。羊の柔らかさの中で、ううう、と唸った。甘やかされていることはわかるが、いかんせん糖度が急に上がりすぎてついていけない。
 確かに、よく家に遊びに来ていたギリシャ系のカップルや家族も四六時中触れ合っていちゃいちゃしていたことを覚えているのだが、まさかエレオスもそういうタイプだとは思わなかった。が、考えてみればこれまでも甘やかされ放題していたので、その萌芽はあったのかもしれない。

 イェスタには恋だとか愛だとか、そういうことは一切わからない。しかしエレオスのことは好きだと思う。そして、エレオスもイェスタを好きだと言う。
 気持ちがとりあえずの一致を見てから、まず接触が増えた。それから好きだ愛していると囁かれ、頬や首や髪にキスを何回もしてくる。
 何年もかけて少しずつ距離を近づけてきていたはずなのに、と変化にイェスタは混乱したものの、あまりにたくさんの愛情を注がれすぎて却って慣れてきた。アレルギー反応だったらとっくに死んでいるが、愛情というやつに対してはどうも、アナフィラキシーショックは起きないらしい。

 ちゅちゅ、と頬にもキスをしたあと、露骨な愛情表現に真っ赤になっているイェスタを羊ごと抱き上げた。隣の部屋へ場所を移し、ソファに座らせる。朝食を運んでくると、肘掛けの辺りまで遠ざかっていた。普段の定位置からはだいぶ奥に行っている。羊を抱きしめ、両膝を立てて一生懸命隠れているらしかった。

 数年ぶり、いや二十年ぶりくらいに明らかな愛情を見せられ、あわあわしてしまうイェスタの反応が三十倍増しくらいに可愛らしく見える。
 一応の気持ちの一致を見たので、エレオスは急激にアクセルを踏み込んだ。暴走車両並みの甘やかしぶりだという自覚はある。変化を恐れる小ガモちゃんが本格的に怯えて心を閉ざしてしまうのではないかという危惧ももちろんあった。けれど結局暴走車両のままでいたのは、イェスタの目がこちらをきちんと見上げてくるからだ。
 急に示される愛情に驚きながら、怯えてはいない。
 それはエレオスにとって幸いでしかない。

「いーちゃん、朝ご飯食べよう」

 いつも通り、空いた座面にトレイを置く。この家にはテーブルというものが存在せず、イェスタに置いてもいいかと尋ねると眉間に皺を寄せた。なにやら嫌な思い出でもあるようで、必ずなくてはならないというわけではないから置くのは諦めた。もう五年以上前の話だ。

「いーちゃーん、俺のこね……いや、可愛い小ガモちゃん?」
「ううう」

 唸り声が聞こえる。エレオスの頬が緩んだ。背もたれに右肘を置き、ゆるゆるした顔で隠れているイェスタを眺める。細い足を包む緩い灰色のスウェットも大きいサイズの赤いパーカーも、そこから見える細い指も、可愛い。やはり羊が邪魔だが、それを無理矢理取っては可哀想なので出てきてくれるのを待つしかない。

「イェスター」

 身を乗り出して左手を伸ばし、下から掬い上げるように細い指をくすぐる。びくっとして指がぷるぷるしたあと、所在なさげにうろうろして、きゅっとエレオスの指を掴んだ。

「ああ……んん……」

 可愛い。どうしたものかと思うくらいに可愛い。頭からばりばり食べたいくらいに可愛い。今度はエレオスが唸る番になってしまった。ああううと悶えていると、羊からちらとイェスタが覗いた。心配そうだ。それがまた可愛くて、右手で左胸を掴む。

「巨乳だね……」
「ありがとう……触る?」
「いや、まだいい」
「まだ……」

 これから先に触る予定があるのか。そう思うと待ち遠しいような気もした。

「さて、ご飯にしようか」
「うん」

 羊を傍らに置き、もそもそ近付いてくる。トレイのすぐ向こう、定位置についてじっと今朝のご飯を見ている。最近、朝はスープか味噌汁だったが、昨晩朝食べたいものをイェスタに尋ねると、珍しく「固形物」と答えた。寝そうな小ガモちゃんに聞き取りをするのは少し大変だったが、とりあえずパンよりご飯で固形物と言う割にお粥か卵雑炊希望だということがわかった。葱は好きではないので、細かく裂いて刻んだ鳥と煮込んだ卵雑炊にした。だし汁多めにして、あまり触らないようにしたのでさらさらしている。

「こっちがイェスタの」

 エレオスの片手に乗ってしまうような小ささの容器に取り分けた雑炊。よく冷ましてある。手に渡してやると、なんだか大きく見える。

「気を付けてな」
「うん」

 いただきます、と小さな声で言って食べ始めた。ちゅんちゅんと小鳥ちゃんの食べ方だ。にやにやしている間に、イェスタがこちらを見た。

「食べない、の」

 そうだった、と器を手に取る。
 最近、イェスタと一緒に食事をするようになった。朝も晩も、こうして同じソファで一緒に食べる。容器の大きさは全然違うのに、いつもエレオスのほうが食べるのが早い。今朝も早々に食べ終わり、イェスタの横顔を眺めている。
 つやつやの黒髪、完璧な曲線を描く横顔、上向きの長いまつげ、つるつるの肌。穏やかで頑張りやさんな性格で、こんな小さくて可愛くていい子をいじめた昔の輩を片っ端から地面に埋めてやりたい気持ちになる。
 まあ、今や誰も生きていなくて冷たい地面の底にいるので何をする必要もないのだが。
 不謹慎か、と思い直して、目の前の可愛い子を愛しく思うことに専念する。

「ごちそうさまでした」

 精一杯です、という顔で器を置いた。

「おいしかった」

 ちゃんと一言添えるので、うん、と頷いて頬を撫でた。

「偉いな、しっかり食べて。いい子いい子」

 何回かに一回、撫でられた時に、すり、と頬を寄せるようになった。

「んぐっ」

 そのたびに心臓がたまらないことになるのだが、嬉しい。ようやくイェスタが愛情というものに慣れ始めたような気がして。

「いーちゃん、好きだよ」
「うん……」

 ちら、とエレオスを見る。

「一緒に、いて、ね」
「もちろん」

 青いガラスのカップに淹れた緑茶を渡して飲むよう促した。
 お世話は楽しい。相手が自分に好意を寄せてくれるようになればなおさら。



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