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(5)

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《12月19日/時刻21:49──》
「これ、落し物です──」
23区、公園通り沿いにあるくたびれた交番だ。
室内天井の明かりと街灯の光に照らされて、入り口に女が立っていた。
開け放したままの引き戸から冷たい外気が流れ込む。
「ん?──ぁ、ああ、落し物?」
「携帯電話を拾ったんですが…」
机に肘を立てて、ほんの少しばかりうとうとと船を漕いでいた巡査が慌てる。
女は苦笑混じりの笑みを浮かべた。
唇が弧を描いて、コートの裾が揺れる。
夜に紛れてしまいそうな黒いコートだ。
「──あれ、お姉さん。そのコート、タグが付いたままだよ」
照れ隠しのような、仕返しのような巡査の発見に、女は小さく、あ、と声を漏らした。
「寒くて………さっき、慌てて買ったので…」
巡査が引き出しから鋏を取り出してタグを切ってやると、ありがとうございます、と礼を言う。
裾を持ち上げた桜貝のような爪が離れる。
「さっき?いくらスーツでも、12月に上着なしじゃあ寒いだろう」
「前に着ていたコートは…置いてきたんです」
もう、必要がないので。
鋏を引き出しに仕舞った巡査が顔を上げたとき、女の姿は消えていた。
入り口の引き戸は開け放されたままで、室内の温度は外と変わらなくなってしまった。
机の端に携帯電話が置いてある。
画面には地図が映っていたようにも見えたが、巡査が手に取ると同時に消灯した。


《12月19日/時刻22:08──》
警報は止んだが、依然、警戒態勢は解かれていない。
それもそうだ。
「オイ府河、いつまで待つ気だッ…!外に出られたとはいえ、ここだってまだ安全じゃねェんだぞ…!」
まだ自分を逃がしたあの男が出てきていない。
コクリア敷地内の片隅の、汚水と、それ以外のモノを流し出すための廃水路を見渡せる場所に、数人の喰種が立ち尽くしていた。
府河は仲間を一瞥すると、廃水路に視線を戻した。
「…」
「なあ──!」
「………先に行け」
「は…?」
確かに、未だにここに留まっているなど愚かだ。
しかし元々、コクリアに捕らえられた時点で自身の命は廃棄場のプレス機が終着点だった。
「俺はあの男を待つ。…プレス機を生きて抜けることなど考えもしなかった」
少し後で死んだとて、大層な変わりなどない。
言葉に詰まる仲間のずっと背後では、収容施設外に配備された"白鳩"と、喰種集団の別働隊が戦っている。
少数だが、脱走した喰種で加勢する者もいるようだ。
混乱の元凶となった喰種集団、彼らが侵入に使った建物上部のセキュリティーゲートは閉ざされたらしい。
内部の喰種が脱出するには、自分たちと同じルートを使うだろう。
今はまだ食い止められているが、外警備の"白鳩"がここへ到達すれば内部の喰種は挟まれる。
「解放された借りがある。隻眼の…あの男が出てくるまで、俺はここで待つ」
「──その話、詳しく聞かせてもらえませんか?」
唐突な、それは黒いコートを羽織った女の声だった。
スーツに身を包んだ小柄な女だ。
「…誰だ、貴様……」
背後に現れたということは、周囲で行われる戦いの中を抜けてきたということになる。
しかしこれだけの接近を許しても、気配を微塵も感じなかった。
府河の背に汗が伝う。
敵か、味方か。捜査官なのか、喰種なのか。
「…。敵ではない、と思いますよ」
「…味方でもない」
赫子を顕して警戒する府河らに対して、女は唇に指を当てて思案する。
ゆっくりと瞬きをした。
「元・捜査官の君塚といいます」
開くと、女の右眼は赤黒く染まっていた。
「中で何が起こっているのか、教えてください──」


《12月12日/時刻──》
本当にやるんですか、と、丈は有馬に訊ねた。
冗談だったらいいなという希望と、本気だったんですかという呆れと、本当に…やるんですねという溜め息の混ざった、これは最終確認だった。
丈の静かな苦悩に、有馬は極めて短く肯定を示した。
ああ。と。
書類を捌きながら。
「琥珀は納得しないだろうな」
「…。恐らく…」
いや、絶対に納得しないだろう。
丈の視線が隣室に移動する。
半分ほど開いたドアの向こうに、台車と段ボール箱が畳まれた状態で立て掛けられている。
そこそこの大きさの荷物を運んできたか、…そうでなければ、ここから何処かへ何かを運ぶ準備。
「士皇を呼んで入らせたから、大きさに問題はない」
「……。」
やり方に多少の難はありそうだが、琥珀を逃がせるというのなら丈に異論はない。
琥珀の捜査官という身分も、有馬がいてこそ保たれる不安定な立場だ。
このまま局にいても消耗されて使い棄てられる未来しかない。
局が悪いと口にするつもりはない。
ただ、喰種という存在が生きることを許されない、そういう世ということだ。
そして有馬の行おうとする計画は──…。
裏を返せば、これより"計画が行われる"ために、琥珀を逃がさなければならない。"そういう"状況になる、ということだ。
「………」
捜査官という仕事は死と隣り合わせだ。
丈もこの仕事を選んだ時点で、自分が命を落とす危険があると覚悟をしている。
しかし"死ぬかもしれない"と覚悟することと、"死を前提としている"では全く違う。
有馬は最強の捜査官として一度の敗北も赦さず、徹底して喰種を駆逐してきた。
"死神"に相応しい、揺るぎ無いイメージを有馬は築き上げた。
…そのイメージを築くと決めたその時から、同じように決めていたのだろう。
自身を殺す者を見つけると。
「タケ。お前は、俺が死んだら泣くか?」
「…。そう仰る有馬さんは、俺が泣く様子を想像できますか」
「………。──どうだろう」
「無理に思い浮かべなくて構いませんよ」
目を通してもらった書類を受け取った丈は一礼をして踵を返した。
扉に手をかけた時、有馬が、タケ、と呼び止めた。
「怒られる役はお前に譲る」
有馬の視線はすでに手元に戻っており、書類を捌くペースに乱れはなかった。
「………失礼します」
この世の大半の、多くの生きる者は「死にたい」などとは考えないだろう。
有馬が裡に抱えていた感情は、丈には想像もつかないほどの複雑な境遇から生まれた感情だ。
それは絶望かもしれないし、諦念かもしれない。
そこに希望が絡まって、最後に選び、その手に掬い上げた結論が、肥大化させた"死神"という偶像を壊させ、壊した者に王冠をいだかせるという結論だったのだろう。
何年もの長い時間、潰える命を育ててきた。
その有馬が、怒られる役を"譲る"と言った。
それが"終い"を目指して生きてきた有馬の、生への未練だと願いたかった。


《12月19日/時刻21:42──》
「王の座に…座すも壊すもお前次第だ」
辿り着いた廃棄場は、機能を停止して静寂に包まれている。
時折掠れる濁った呼吸に気づいたカネキが、その喰種を見つけた。
エト。高槻泉。あるいは梟と呼ばれた喰種。
有馬貴将が同じものを望んだ喰種。
アオギリの樹を大樹に育てた喰種。
有馬が喰種を屠ってきたように、エトの育てた樹も人間を喰らって枝葉を拡げた。
カネキの歩んだ道にも、その根が絡まり、その棘が傷をつけたはずだ。
「…それを、する理由は…?」
カネキはただ、エトを見下ろす。
「僕は…逃げるかもしれないですよ。仲間の命を救ったら、どこか遠くへ、ひとりで」
エトは瀕死の身体で、呼吸ひとつでも痛みを伴うだろうに笑った。
「…エンディングとしては、無くもないがな。それじゃあ物語の締めには弱い」
「先生自らのアドバイスですか…」
「…そうだ。なんたって気鋭の高槻泉だからな。有り難がってくれていいぞ──…」
ほんの一瞬、遠くを見るように瞳を瞬かせた。
「まぁ…君に、生きる道を覆すような言葉を放つには…時間も信頼関係も足りていない…」
身体を覆う布地の染みが広がりつつある。
「それになぁ…青年…」
エトは呼吸の合間に激しくむせ、濃い色の血を吐いた。
咄嗟にカネキは手を伸ばしてエトの身体に添える。
「…私も有馬貴将も…とっくの昔に、君に賭け終わっているんだよ……」
エトの吐き出した血が喉に戻らないように首と頭をゆっくりと支えた。
「……私は死ぬと、言っただろうに」
「…。そうですね」
「…まったくだ。…そういう半端なところに、賭けたんだ、私たちは──…」
痛みに歪んでいたエトの表情がほどけていく。
「お前に"理由"はない。…あるのは"喰種"の方だ──」
塊を吐いて落ち着いたのか、自力で身体を起こす。
しかし言葉は次第に途切れる間隔が長くなり、声も掠れていった。
「…やるか、やらないか。選べ──」
ゆっくりと息を吐き、視線がぼんやりとカネキの後ろを彷徨う。
0番隊の面々を追った後に丈を見た。
「……アイツの後輩か………。だが、……れは…いないな…」
肉体の再生は行われているのだろうか。
小柄な身体からの呼吸は弱い。
「私の後輩に………えなくて…残念だ」
エトは静かに微笑んだ。


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