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《12月19日/時刻21:19──》
その人は、少しばかり疲れたような、しかしどこか安堵したような表情で眠りについた。
抱えていた想いの大きさも、重みも、最後まで誰も知ることは出来なかった。いや、
「(…人の心の中など他の誰にもわからない)」
どれほど賢い人間でも、平凡な人間でも、完全に理解することも、されることも有り得ない。
言葉を交わし、想いを推し量り、似通った部分を辛うじて確認しあう程度。
残された者は、ただ願うしかない。
託した者の想いに、添えているように。
その者が描いた姿に少しでも近づけるように。
"最強の捜査官"と謳われたその人は、傷を負うこともなく、唯一、首筋を赤く染めて息を引き取った。
死の間際、痛みも苦しみもあっただろう。
だが目蓋を閉じた表情が映すのは、辛さではないような気がした。
これも自身の情緒の問題で、見る人間によってそれぞれ違って映るのかもしれない。
しかし、少なくとも、もう…
「(…"死神"である必要も、なくなりましたね)」
草花が揺らぐ音がして、別れを伝えていた0番隊の者たちと入れ換わるように、カネキが彼の傍に膝を着く。
淀みのない声が響き、不思議な心地のする聞き慣れない口上を述べて、こうべを垂れる。
安らかに眠る…彼の骸に。
これから、自分が付き従う背中は無く、目の前に在る彼は記憶だけの存在になる。
別れの言葉は先に済ませた。
黙礼のみをする。
有馬貴将という人は──。
そうなりたいという憧れを抱くには、余りに自分と違いすぎた。
完璧という言葉が当てはまり、追い掛けるには遠く、いつも離れた場所にあるその背を見ていた。
彼が放って寄越す課題に、それこそ満足な結果を返せたことなど一度も無い。
せめて少しでも理想の結果に近づけるようにと、失敗ではない結果を一つでも重ねた。
彼は、自分がなりたい形でも、なれる形でもなかった。
しかし間違いなく、自分は──
「(有馬さん、貴方の傍で戦えたことは俺にとって──)」
──。
衣擦れの音を耳が拾う。
顔を上げると、カネキが立ち上がっていた。
こちらを向いた視線が別れを終えたことを告げる。
「平子さん…」
「行けるか」
「…はい」
佐々木琲世であった青年が頷く。
姿が同じでも纏う雰囲気には芯の通った落着きが宿り、別の人物のようだ。
「…カネキケン、お前の行動はすでに作戦本部に伝わっている。0番隊の離反はまだ知られていないが」
十数分前、通信で"SSレート喰種・エト"による廃棄場への襲撃が伝えられた。
同時に各階層での収容喰種の脱走が。それを最後に音声は途絶えた。
管制室も落とされたのだろう。
元同僚らの劣勢を喜ぶつもりはないが、今の自分たちには好機とさせてもらう──。
「極力注意して捜査官との接触は避けて進む。…だが遭遇したら、躊躇わず先手を取れ」
班員たちの白いフードが僅かに頷き、カネキが眉を寄せた。
「仲間を…先に排出口を目指した喰種たちを追います。でも……」
「なんだ」
「本当に、0番隊は僕と一緒に?…この先には特等二人がいる」
「知っている。コクリア防衛の捜査官配置は、有馬特等を含めた三人が決定した」
「それに……平子さん、0番隊がここにいるのなら琥珀さんは今どこに──」
「…今、その確認は必要か」
やや早口で問い返す。
「………」
「手は打ってある。今ここで考える問題ではない」
カネキは、答えに納得したわけではないようだが口を噤んだ。
ここにいない琥珀の身を案じたところで、何もできないことは分かっている。
ここは喰種を逃さない為の場所だ。生半可な覚悟では通り抜けられない。
琥珀を想って足を止めればその途端、琥珀を永遠に失う恐怖が滲む。
「有馬特等はお前を生かす為にここへ来た。…俺たち0番隊はその遺志を継ぐためにここにいる。──行くぞ」
カネキを逃がすことができなければ、つまり0番隊の帰還もない。
この手で琥珀に触れることも同様に。だが。
俺がカネキ、と名を呼ぶとカネキは浮かない表情のまま、こちらを見た。
「あれは…お前が思っているほど大人しいやつじゃない」


《12月─日/時刻──》
暗闇の中、壁に頬を寄せて耳を澄ませる。
暖かくも冷たくもない、段ボールらしき壁。そして床。
折り畳んだ足を伸ばすこともできない狭いこの場所で、どれくらい時間が過ぎたのだろう。
手のひらを結んで、開いて、琥珀は力を確かめると、揺れる壁から頭を離した。
低い天井に、しゅるりと髪が擦れる。
「(私、段ボール箱に…入れられてるのね…)」
琥珀を入れた箱の、その外側から低いエンジン音が伝わってくる。
「(車での移動……というか搬送かも…)」
振動もほぼ一定、ブレーキをかけるような緩急も、今のところほとんどない。
「(高速道路…?まさか県外…なんて言わないでね…)」
もし眠っている間にそんな遠くまで運ばれたのでは、戻った時には──あらゆることが変わってしまう。
「(有馬さん…)」
有馬にどのような真意があるのか、琥珀には結局、何一つわからないままだ。
「(さようならって、なんですか──…)」
カネキケンが必要だと、有馬は言った。そして、
──丈にも仕事を任せた──
甦る声に目蓋を閉じた。
震えそうになる膝を、琥珀はぎゅっと強く抱えた。
開いているかも閉じているかもわからない暗闇の中。
すぅ──…
呼吸を整える。
──バンッ!
天井を軽く、人間であれば目一杯になるくらいの力を籠めて叩く。
拳は簡単に窮屈な天井を破った。
剥がれたガムテープの匂いを鼻腔に感じ、より大きくなったエンジン音に包まれる。
立ち上がっても外はやはり暗闇で、天井も壁も近くにはなかった。
「(…大型トラック──?)」
そのとき突然、ブレーキがかけられたのか背中を引かれるように身体がふらつく。
入っていた段ボール箱を倒しながら、琥珀も床に倒れる。
「…っ………、?」
指に当たる、箱ではない、布の手触り。
身動きが取れず気がつかなかったが、琥珀はずっと、これを掛けられていたらしい。
覚えのある匂いがした。たぶん…これは──
立ち上がろうとすると眩暈を起こす。
「(…抑制剤…、……眩暈…、……そんなもの………)」
床に手をついたまま、車の緩急が収まるのを待つ。
外でバタンと扉の閉まる音がした。
どこかに到着したようだ。誰かの話し声が聞こえる。
「(…終わったらって……なんですか──)」
有馬は終わったら迎えが来ると言った。けれど。
「(…有馬さんの考えてることも…丈兄の任務も……、私には全然わかりません──)」
ひとりだけ、自分だけ遠くにやられて、何も教えられず、何も知らされないで、帰りを待っていろと言う。
ずっと戦ってきた。戦うことが必要だったから。戦わなければ丈の傍にいられなかった。自分は生きられなかった。
傍にいるために、命を守るために、殺して、殺して、殺して、いつか自分が殺されることを想像していた。
「(殺すことも…殺されることも…今更………)」
泣きたいのか、笑いたいのか、琥珀は自分でもわからなかった。
ただ哀しくて、歯痒い気持ちでいっぱいだ。
有馬は何をするつもりだろう。
それに追従している丈は。
自分はそんなに信用が無いのだろうか。
自分はそんなに弱いのだろうか。
「(…違う──)」
もう戦わなくていいと、琥珀を逃がしてくれたのだ。
そして有馬はこうも言った。
遠くへやったところで、お前はどうせ丈を探しに来てしまうのだろうけど、と。
溜め息を吐くように。
どこか困ったように。
少し、期待をするように。
「…そうですよ──…」
後部扉を探り当てて、琥珀は冷たい扉に額をつける。
もう一度、深く、深く息を吸って、一歩下がった。
鋭く──蹴りを放つ。
弾け飛ぶ金属音。
鍵が破壊し、ひしゃげた扉がいびつな額縁のように車外を縁取った。
流れ込む冬の空気が肌を刺す。
「私が丈兄のことしか頭にないのは、二人がいちばん知ってるでしょう……?」
外は薄暗い。
けれど暗闇より明るい。
広い駐車場には電光時計とライトが灯る。
パーキングエリアだろうか。トラックが数台並んでいる。
《12月19日/時刻17:08──》
西の空が残り火のように黒く燃え、夜を迎える東の空に、最初の星が光る。


170519
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