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「#エロ」のBL小説を読む
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《12月─日/時刻──》
暗い──…。
狭い何かのなかに閉じ込められて、ゆれている。
目蓋が開いているのか閉じているのかさえもわからない暗闇だ。
「(…なにも…みえない──)」
肩と背中が痛み、身動ぎをしようとすると、折り曲げた膝が壁に当たる。
一定の間隔でゆれる身体と狭い空間。
重くてだるい腕をあげて壁に触れる。
指先はしゅるりと乾いた音を立てた。
「(…段ボール………?)」
指先の伝える、暖かくもなく冷たくもない感触。
次第に戻りゆく意識の底から、最後に聞いた声を、壊れて欠けてしまわないように掬いあげる。
──一度………ら、こう………かった──
ガタンッ──、
大きく空間が揺れて身体が壁に押しつけられた。
「…っ──、」
噛み締めた拍子に、口の中に奔る微かな痛み。
闇の中、再生される記憶は明るい室内。
窓の外は暗くて、室内の二人を映していた。
ぐらり、と。
切り替わって部屋の天井と照明。
頬を押さえた指先は少し荒れていて、ささくれがちくりと当たった。
指先が去ったあと、頬に触れた眼鏡のフレームがひやりと冷たかった。
「(有馬、さん…どうして──…)」
白く、色の抜けてしまった柔らかい髪。
咥内に打たれた薬の影響で、神経はみるみる安定を欠いていった。
袖を掴む指が滑り落ちる。
視界がとても眩く、ちらちらと明滅した。
目に映るものすべてが光になるような感覚。
眩しいのは見上げている自分の方のはずなのに。
見下ろす有馬もまた、眩しそうに目を細めていた。
長い睫毛。
色素の薄い瞳。
度の入っていない眼鏡。
色白の頬が少しだけ緩んだ。
「(ああ、わたし──)」
──有馬さんに、さようならって言われたんだ──


《12月17日/時刻22:43──》
ル島上陸部隊が島での攻撃を開始して4日目。
琥珀は、コクリア防衛に出向いていた有馬からの呼び出しを受けた。
しかし訪れたのはコクリアではない。
「(…こんな時間に、執務室に呼び出しなんて…)」
用事があるのならコクリアへ呼べば済むことだろうに。
静かな廊下に、一定間隔の靴音が響く。
琥珀の心に影が落ちる。
ル島上陸作戦が始まる前、琥珀は0番隊からは一人だけ外され、支局への配備を言い渡されていた。
即座にコクリアへの配備を強く訴えた。
しかし覆ることはなかった。
やっぱり。と。
何処か諦めた思いで拝命した。
琥珀がコクリアを訪れたことは過去に数回程度。
上層部が、喰種である琥珀をコクリアへ近づけたがらなかったためだ。
…万が一、喰種へ肩入れするような事態があってはと危惧していたのかもしれない。
けれどそれは私じゃなかった、と琥珀は瞳を伏せる。
「(…琲世君、もう動いてるのかな…)」
喰種の排斥を目的とする組織の中で容認された半喰種。
CCGの中で、その"異質である"という部分に於いて琥珀と琲世は同じだった。
同じであり、ゆえに気を掛けた後輩だった。
「(20区の大規模作戦の後…コクリアに収監されていた半喰種が、琲世君。でも…"琲世君"が彼の全てじゃない)」
"佐々木琲世"として出会った青年は、いつからだろうか、"琲世"よりも過去を取り戻していた。
しかし。
手を組まないかと、琥珀を誘った言葉を覚えている。
対等な言葉と共に、真っ直ぐに見つめた真摯な瞳も。
そして少しだけ泣きそうな顔をして、助けたかったと、自分に言ってくれた。
「(…過去を思い出してもやっぱり、君は君だったよ)」
"彼"は、昔の仲間を助けに行くのだと言う。
その仲間に"彼"は、"お兄ちゃん"と呼ばれていたのだと言っていた。
「(お兄ちゃん──…)」
琥珀にも兄と呼ぶ人がいる。
自分の命よりも大切な人。
今もきっとコクリアにいる。
「(彼が動けば必ず…丈兄も戦うことになる…)」
夜半に近づき、本部には必要最低の局員と、特別警戒により本部待機となった捜査官たちが残っている。
普段より人数はいるだろうが、それでも上層フロアの出入りはない。
静まり返った廊下には琥珀一人。琥珀の瞳が眼前の扉を見つめる。
自分も共にコクリアへ行きたかった。
琲世の事を伝えるつもりはない。
ただ丈を守るために。戦いの時に…傍に居たい。
「(彼と…戦うことに……なったとしても──…)」
もう一度、有馬に頼んでみようかと頭を掠める。
「(…でも……)」
扉を叩こうとする手が止まった。
大規模作戦中に有馬が戻ってきた理由は一体なんだろう…?
思考が巡り、元の場所へと戻ってくる。
自分への用事だろうか?こんな作戦時に?
自分は何か失敗しただろうか。支部への支援も問題はないはず。ならばそれ以前?
琲世の件は…いや、最近彼の名前を出した記憶はない。訊ねられた記憶も。
他には──数ヵ月前、旧多にナキを逃がしたと指摘された事くらい。まさか今頃…。
大量廃棄。
そんな言葉が琥珀の頭に浮かぶ。
自分だって喰種なのだ。
戦力としての価値を見出だされてここにいる。
不要とされれば棄てられる。
「(最近は0番隊として戦ってない……外されてばかり…)」
思い当たりのない呼び出しは、いつも──…不安だ。
琥珀は静かに息を吸った。


《12月17日/時刻22:40──》
日に数回。ル島近海の沖合いに停泊している作戦本部から定期連絡が入る。
本日最後の連絡は数時間前、それまでの内容と殆ど同様だった。
死傷者の人数。対する補充。
作戦が順調であるとの報告。
島の占拠率の上昇指数。
味方を鼓舞するためにも、内容は多少なり聞こえ良く伝えられる傾向もあるが、順調、という言葉は真実だろう。
作戦予定の最短日数は一週間と見積もっていた。
しかし作戦開始から数日で、既に島の占拠率は60%を越えた。
これが島の面積や敵戦力を簡単に数値に置き換えただけの大まかな数字に過ぎず、残りの数字こそが、アオギリの主戦力だとしても。
指標にはなる。
…あれが動く気配はまだ伝えられていないが、こちらが動く指標に──。
有馬は、執務机に置いた医療器具を簡易包装から取り出して、包みを塵箱に落とした。
医療器具、といっても治療の為のものではない。
Rc抑制剤を満たしたこの注射器は、数年前から持たされていた。
琥珀を手元に置くと、提案を通した時からだ。
琥珀が暴走した際の対処として、Rc抑制剤を使用し無力化した後コクリアへ収監、それが不可能な場合は、速やかに駆逐処分を行うこと。
そう取り決められていた。
結局、どちらも行使することは無かった。
有馬が琥珀にRc抑制剤を使用するのはこれが初めてで、最後だ。
「………」
執務室の扉の外に気配を感じて有馬は顔を上げた。
ほぼ何も映すことのない右眼と、酷く視力の低下した左眼だったが、まだ全ては失われていない。
聴覚や、あまり不便は感じなかったが、恐らく味覚も鈍くなっているのだろう。
元々が人並み以上の身体機能であるために、周囲で気がついた者は少ないはずだ。
日常生活にも支障はない。
現に今も──。
「──入らないのか、琥珀」
椅子から立ち上がった有馬が先んじて扉を開くと、大きな瞳を更に大きく見開いた琥珀がいた。
ほっそりとした手が軽く握られたまま浮いている。
「今、ノックをしようと…」
思ったんですが、と。
やや緊張していた表情に、驚いたような、決まりの悪そうな様子が混ざり合う。
喰種である琥珀ならば、人間より、自分よりも、音を聴き、気配を感じ取ることができるはずだ。
しかし琥珀はそれに注意を払うことをしない。
それを必要としない環境で育ったためだ。
自分とはまるで違うと有馬の頭を掠める。
有馬が出会った琥珀はただの高校生だった。
戦いに関しても、多少動けるという程度の素人だった。
飢餓状態にも関わらず、抵抗もせずに赫子を解き、意識を失った。
その姿を目の当たりにして有馬は拍子抜けした。
同時に、思いもよらないほどに、自身が安堵していることに気がついた。
憎しみを抱かない相手を、殺さないで済むことに。
憎んで当然の自分を、憎まないまま倒れた琥珀に。
攻撃する理由を失えたことに、有馬は大きく安堵したのだ。
その時に何故そう感じたのかは解らない。
ずっと解らなかった。
「(──解るまで、何年か掛かったな)」
部屋に招き入れられた琥珀は、居心地の悪さを引きずっているのか、まだ微妙な顔をしている。
その様子は捜査官としても喰種としても無防備だ。
もしも今、琥珀を手に掛けようと思えば、呆気ないほど簡単に成し遂げられるだろう。
または有馬が"要らない"と手を離せば、簡単に"駆逐対象"となる存在。
簡単に摘み取れる命だった。
しかしそれを行わなかった。
"半喰種"の"君塚琥珀"という存在、
有馬にとってそれは──…。
殺伐とした日々の中で生かされながら、いつまで経っても戦いの空気に染まらない琥珀。
戦うことが日常ではない。
殺すことが当然ではない。
自分も半分は人間である筈なのに。
気がついた時にはもう戦いの経験を重ね、実績と成果を積み上げていた。
その途中でだろうか。それとも、最初からか。
損った欠陥品の自分には持ち得ない、穏やかであたたかなものに満たされた琥珀。
命も心も欠けていた自分。
「(時間切れだ)」
琥珀、と有馬が呼ぶ。
緊張を取り戻した琥珀は「はい」と答えた。
「現時刻を以て、俺は、お前の所有権を破棄する」
「──…、ぇ…」
所有権の破棄。
たった今、琥珀から"捜査官"という肩書きが消えた。
「お前はもう、ただの喰種だ」
琥珀の身体から力が抜け落ちる。
へたりと床に崩れ、大きな双眸が瞬きも忘れて有馬を見上げた。


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