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世界の中心

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「琥珀、琥珀。ああ、また泣いていたのかな──」
お祖父ちゃんが困った顔をした。
しゃがんで、優しい声で、どうして泣いているのか教えておくれ、と。
ハンカチで私の頬を伝う涙を拭いてくれた。
「っ、うっ、…おとうさんもっ…おかあさんもっ…、きづいて、くれないの…っ、ぅっ、よんで、るの、に…っ、ずっとっ、よんでるのにっ──」
私は夢を見た。
楽しそうに笑い合うお父さんとお母さんが、私の声に気づかないで遠くへ行ってしまう夢。

──いかないで──

私が幼い頃に父が亡くなり、母と共に祖父の元に身を寄せた。
やがて母も亡くなった。
祖父と二人で暮らすようになり、たまに訪ねて来る叔父とが、私の家族になった。
祖父も叔父も優しかった。
私が喰種だと知っていたけれど、普通の子どもの相手をするように接してくれた。
でも、私はまだ寂しくて。
父と母がいなくなったことが、ひとりで家に置かれることが寂しくて。
泣いては二人を困らせた。
祖父が仕事で家を離れている間、広い家に私はひとりぼっち。

──だれか──

ある時、祖父がお客さまを連れてきた。
近所に住んでいる男の子で、医者である祖父が診察したこともあるという、男の子。名前は…
「…ふぇ…っ、ぅ…っ…」
「ほら琥珀、泣いていてはご挨拶ができないだろう。…丈君、すまないね。朝から、ずっとこの様子でね」
「………いえ、」
「琥珀、また寂しくなってしまったのかな」
涙を零す私を前にして驚いたんじゃないかな。
少しの間、面倒を見てほしいと引き合わされて、最初がこれじゃあ。
「お手伝いを雇おうと思うのだが、琥珀は少し人見知りでね。決まるまでの間、丈君に見ていてほしいんだが」
「………。」

──ひとりはいやなの──

祖父が出掛けてしまった後、"丈君"と呼ばれたお客さまは無表情に私を見下ろした。
しばらくなにも言わないで、それから突然、「台所は…」と聞いてきた。
私が指をさすと、ふいっとそちらへ行ってしまう。
「…ぁ……、」
だめ、れいぞうこには──。
台所には私の"食事"の入った冷蔵庫もあった。
とめないと、いっちゃだめ、と頭の中が一杯になった。
けれど、はじめて会った年上の男の子が相手で、私の身体は竦んでしまって動かなかった。
しばらくして、布巾を手にした彼が帰ってきた。
「………」
「…っく、…ぅぇ………ひっ…」
「………そんなに泣いたら目がはれる……」
床に膝をついて恐る恐るという手つきで、私の目蓋に水で濡らした布巾を当てる。
布巾は少し冷たくて、肩が揺れた。
びくりとする私を安心させるように、彼の反対の手が私の手を握った。
「…泣いてばかりで、ひからびるぞ…」
「……ひっ、…ひからび、ない…っ、もん……」
「…喉は…。…ジュースとか、飲むか…?」
「………おみずで、いい…っ」
しばらくそうした後で、ぬるくなってしまった布巾を外すと彼は私の手を引いた。
「うちに行こう。先生──琥珀の、お祖父さんが戻るまで」
俺も、祖父と祖母もいるから、と。

──そばにいて──


はじめて連れていってもらった丈兄の家。
畳の匂いを覚えてる。
「…、ん………」
しっとりとした、懐かしい、い草の匂いを感じながら私は目を開いた。
畳と…胡座をかいた脚が視界いっぱいに入る。
もぞもぞと動くと、身体に掛けられた濃い色のスーツが下の唇に触れた。
琥珀、と低い声がして頭をそちらへ動かす。
「…寝言を言っていたぞ」
「あ…れ……、寝てた………?」
いつ…仕事から帰ってきたんだろう。
「畳の跡が付いている」
「ん……」
私は丈兄の実家に先に帰ってきてて。
でもお爺ちゃんもお婆ちゃんもお留守の日だから…一人ぼっちで…眠っちゃって…?
「手を繋いでからもよく眠っていた」
「手…?」
私の手と繋がれた丈兄の手。
「あれ…?…寝言、も……わたし……?」
「夢でも見ていたか?」
「ゆめ………」
一人ぼっちだったわたし。
丈兄がわたしを連れ出してくれた。
夢と現実が融け合うような心許ないその手触り。
確かにしてくれるのは繋がる手。とても暖かな指先。
私は手を握り直しながら身体を動かした。
丈兄に寄り添って膝に頭を乗せる。
「……見たの。ずっと…小さいときの夢…」
「傍にいてと言われた」
「だから手を…繋いでくれたの?」
「お前は寂しがりだからな」
「…うん。……あらためて言われると…恥ずかしい…」
頭の上で少し笑う気配がした。
私の頭をゆっくりと撫でてくれる大きな手のひら。
夢の輪郭はすぐに滲んでしまって、追いかけたけど煙のように薄れてしまった。
夢の中で丈兄と何を話したのかも、もう思い出せない。
でも…今ならすこし、甘えても良いような気がして…、
「丈兄…?」
「なんだ」
「…あのね………、」
もう少し違う言葉が出てくれば良かったのだけど。
「あ…あまえても……いい…?」
寝起きの頭では上手くオブラートに包むことができなくて、そのまま口から滑り出た。
私の頭を撫でていた丈兄の手が止まり、唇に触れた。
私は身を起こして丈兄にキスをする。
少し乾いた下の唇をゆっくりと押して、舐める。
薄く開いたそこへ舌を入れた。
丈兄の呼吸も私へと入ってきて満たしてゆく、そんな気持ちが高まってくる。
私の頬から耳の下を丈兄の手が包む。
膝の上に乗って身を預ければ、しっかりと抱き締めてくれた。
混ざり合う温もりは私を優しくほぐして甘くとろかす。
全部を委ねてしまいたいと、私の中で囁く声。
世界でいちばん安らげる場所。
次第にはっきりとしてきた頭が、私にやっと思い出させる。そうだ、今日は…
「…わたし、丈兄にもらってばっかりね」
私は丈兄の唇の端に、頬に、首筋にキスを繋げていく。
「そうか…?」
丈兄は私の背中を抱きながら、もう一方の手で私の髪を耳に掛ける。
「うん。またもらっちゃった…」
私は鼻先も擦りながら首に軽く歯を立てた。
丈兄の味がする。
「きょうは…今日は丈兄の誕生日なのに」
眠気が晴れて、あたたかく甘く疼く頭の芯に、ぽっと思い起こされたプレゼントの存在。
「居眠りしちゃったし」
きれいに包まれて、まだバッグに入ったまま。
「甘えちゃったし」
丈兄が帰ってきたら、おかえりなさいと出迎えて。
「…畳の跡だって、私のほっぺたにまだついてるんでしょ…?」
冷蔵庫に入れておいたケーキと一緒に渡したかった。
表情は変わらないけれど、丈兄が指を添わせたそこが、きっと照れくさい跡がついている場所。
「お帰りなさい、ハッピーバースデー丈兄。って。渡したかったの」
タイミングも外して、格好も悪くなっちゃったけど、ちゃんとお祝いをしたい。
私はプレゼントを取りにいくために身体を離す。
すると、腰に回された腕に力が籠もった。もう一度、抱擁を促すように。
「俺はもう、貰った気分だが」
「…私、何かした…?」
丈兄は答えない。
代わりに私の頬をなぞる指が、顎へ、首筋へと移っていき、ブラウスのリボンタイを掬う。
男の人の指が柔らかな布地を弄る。
とても不思議な気分。
「お前自身がプレゼントのようだ」
伏し目がちなその瞳が。
呟きのように洩れた声が。
どうしようもなく艶めいて。
「……どうした、琥珀?」
熱に浮かされたように見つめてしまい、私は呼ばれてからもぼんやりしていた。
はっとして。
途端に頬に熱が昇る。
こんな時に丈兄は絶対に気がついてない。
眩暈のように、私の頭の芯をくらりと揺らしたことを。
心を掴まえて、きゅうと締めつける言葉を放ったことを。
どうしようもなく気持ちが溢れて、火照ってしまって。
もういっそ、
「私がプレゼント…って言ったら…貰ってくれる?」
目を合わせられないまま訊ねる。
リボンを弄る指先が止まる。
どうかその指を離さないで。
そばにいて、と。頭の隅で幼い子供の声がした。
そばにいたい、と。焦がれて願う私の声がする。
しゅるりと軽く引っ張られて。
呆気なくリボンは解けた。
耳許で甘く低く声が響く。
願ってもない贈り物だと。


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