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灰と虹

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ル島上陸作戦・同日時、重要防衛点強化について
本局、及びコクリアへ特別配備となる捜査官は追って通達。
尚、本作戦に非召集の捜査官も作戦時は上官の指示に従い、通常任務と平行して重要防衛点の強化に努めること──

涼しいというにはやや肌寒い風が吹き抜けた。
背後で閉まるガラスドアの音を聞きながら、足早に通路を通り抜ける。
手袋をするにはまだ早い季節。
それにも関わらず冷えて温まらない指先。
僕自身の心がそのまま形を成したようだ。
「あ……琲世君」
「……琥珀さん」
廊下で視線を合わせた僕達は、僕達の真ん中で出会った。
顔をほころばせる琥珀さん。
僕とは正反対に、温かさを形にしたような、やわらかな微笑を浮かべる。
けれど──
「久し振りだね」
「お久し振り、です」
「あんまり会わないね…私たち。一応は同じ所属なのに」
「琥珀さんは他班への出張が多いですから」
「琲世君こそ。最近ずいぶん頑張ってるでしょう。噂を…よく聞くわ」
「黒い死神、ってやつですか」
乾いた笑いが零れた。
やや下を向いた拍子に、つられて揺れる黒いコートの裾が視界に入る。
黒いスーツ。黒いスラックス。黒い靴。両手に填めた黒い手袋──。
真っ黒だ。
琥珀さんは僅かに瞳を伏せた。
伏せられる前に視線が捉えたのは、僕の頭。
黒く染まった髪は、ぱさついて少し傷んでいる。
セットはしたつもりだから…そこまで酷くは見えないはず。
目許の隈は黒渕の眼鏡で隠している。
周囲の視線が眼鏡に印象付けられて誤魔化せれば、それで良い。
「琲世君、疲れた顔してる」
「そうですか?」
「眼鏡は…」
「眼鏡で、顔色は隠してるつもりなんですが」
「してない方が、私は好きだよ」
「…疲れて、酷い顔をしててもですか?」
「うん。…疲れて酷い顔をしてても、眼鏡をしてない琲世君の方が好き」
「………」
「………」
「今の一瞬、眼鏡を割ろうかと思いました」
「思っただけで、眼鏡は外してくれないの?」
「そんな言い方をして、後輩を困らせないでください」
「ふふっ、ごめんなさい。嘘。眼鏡してる琲世君も嫌いじゃないわ」
「それは──…嬉しいな。琥珀さんに似合ってるって言われたら、凄く自信になります」
「あれ?似合ってるなんてベタ褒めはしてないけれど」
「えっ、そうなんですか…」
「ふふふ。うん。……でもね、一番は…今みたいな柔らかい顔、かな」
「………。琥珀さんも…」
「うん…?」
「琥珀さんも。疲れた顔、してますよ」
琥珀さんは微笑みを浮かべている。
けれど、よく見ればその目の縁はやや充血している。
肌の血色も…どこか青白い。
じっと見つめていると、あんまり見られると困っちゃうなぁ、と琥珀さんが俯いた。
「…お休みはもらってるんだけど…。最近、夢見が悪くて…寝不足みたい」
「琥珀さんがですか?待機中とかでも、デスクでお昼寝してましたよね」
「えっと、…まぁ…してた、かも」
「ハイルに寝顔を撮られたり、宇井さんに膝掛け掛けられたり、有馬さんにタオル丸めた枕を頭に敷かれたりしても、ぐっすり熟睡してましたよね」
「………そんなことまで…思い出さないで」
「あんなによく寝てた琥珀さんなのに」
「私だって、寝すぎてた自覚はあるのよ…?」
ハイルの名前に一瞬表情を強張らせた琥珀さんだったけど、口許を結んだ。
苦笑を浮かべている。
寂しそうな微笑みだ。
本人は…きっと気づいていないだろうけれど。
「…。それなら」
「うん?」
「眠れないのなら、僕が夜、一緒に寝てあげますよ」
「……え…?」
「今は僕、シャトーではなくて別に部屋を借りてるんです。同居人が居ない分、気は使わなくて済みますし。琥珀さんは、ずっと局に居るんですよね?」
「……。えぇ…そうね…」
「平子さん、有馬さんと組んでるなら、仕事の空き時間を合わせるのだって大変でしょう?この間も0番隊のメンバーと任務に向かう姿を見ましたけど──」
「…」
「有馬さんが居なくても指揮にあたることもあるんですね。何年も離れてたのに信頼されてて…凄いですね平子さんは。だから──、琥珀さん」
「………」
「忙しい平子さんよりも僕の方が、たぶん、いえ、ずっとたくさん、傍に居てあげられますよ」
微笑む琥珀さんの表情に、うっすらと困惑が重なって形の良い眉が寄せられる。
「…琲世君が……私の傍に…?」
「琥珀さんの傍に」
「…それは…本気?」
「勿論本気です」
畳み掛けるように選択を迫る。
押しに弱い琥珀さんだから、もしも…なんて、1%にも満たない期待も、頭の隅にあったのかもしれない。
「…。そんな言い方して…琲世君ってば。……あんまり先輩を困らせないで」
「……」
「………」
「やっぱり、だめですか」
「勿論、ダメ。…琲世君って、こういうひとだった?」
「前からこんな感じですよ。僕は」
「──まったく…、もう。そうだったの。…じゃあ、これから気をつけなきゃね」
「肉食系っぽかったですか?」
「立派に、肉食系」
溜め息を吐く琥珀さんに、僕は紳士のようなポーズで「失礼しました」と会釈をしてみせる。
琥珀さんは口許に手をあてて、くすくすと声を零した。
「紳士的なお辞儀ね。役者さんみたい」
「前に…気取った誰かがやってるのを見たんですよ。その真似です」
「そうなの。えっと………こう?」
「そうやって、腰はそのままで。右手はこのくらい上げて──うん、できてますよ」
「本当?……私ね、昔から演技とかも全然下手で…。意識すると動けなくなっちゃう」
まさか、そうですね、とは言えずに僕は笑いを返す。
琥珀さんは、嘘が下手で、隠し事も下手で、すぐに顔に出てしまうひとだ。
嬉しいことも、悲しいことも。
右手を胸に、右足を後ろへ引いて交差させていた琥珀さんが態勢を戻す。
その拍子にふらりと揺れた肩と手に、手を添えて支える。
「大丈夫。……綺麗です」
触れた手は暖かかった。
僕の手が冷たくても琥珀さんは何も言わずに、代わりに礼を言いながら目蓋を擦った。
本人が言った通り、睡眠が足りていないのだろう。
眠気を宿した瞳で僕を見る。
「ありがとう、琲世君。楽しかったわ。…気分転換にもなったし…」
「前に…言いましたよね。僕の思うようにすればいい、って」
手を離さないで半歩、僕は距離を縮めた。
恋人と表すには遠く、同僚にしては近すぎる距離。
僕達を目にした誰かが勘違いをするかもしれないと思いながら、ただ、伝えておかなければと思った。
「コクリアにいる彼女を助けます」
「……」
「コクリアの喰種の…大量廃棄については、聞いていますよね」
「………予定日も決まったんでしょう」
「はい。彼女を──ヒナミちゃんを助けようとコクリアに侵入しようとする喰種の動きがあります。それに合わせます」
「彼女を、その喰種たちに任せるっていう選択は…?」
「僕も彼女を大切に思う一人だから…。何もしないことは、できません」
「…そう」
近すぎる距離で琥珀さんが微笑んだ。
いつか見たときのように。
琥珀さんが微笑むと、僕はいつも嬉しい気持ちになる。
木漏れ日に優しく暖めてもらうような、背中にそっと手を添えてもらうような。
迷うことも、怯えることも、彼女は否定しない。
それは彼女が、どちらをも知っているひとだから。
「コクリアを破ることは容易くはありません。前回はタタラや…エト達、アオギリ幹部がいてのSS層到達」
「しかも外からこじ開けて。あの人たち、強引よね」
「ええ、とても」
そのエトも間もなくコクリアSS層に収監される。
「そこで…琥珀さんに提案があります」
僕は息を整える。
「僕と、手を組みませんか?」
長い睫毛に縁取られた瞳は静かなまま。
「襲撃に合わせて、僕がセキュリティを解除します。その後に僕と一緒に侵攻した喰種の支援を。力を貸してもらう代わりに、コクリアを出れば琥珀さんも……」
「私も…自由の身に…?」
「…戦力が多くて困ることはありません。僕としても、勝手に向こうの計画に便乗しようとしているだけなので。僕個人の味方を得られれば有り難い」
「…。本気で…言っているの?」
「…勿論、本気です」
「……演技が苦手だって、さっき言ったのに…」
こんな大切な話を私にするなんて、と溜め息をこぼす。
「琥珀さんが平子さんの傍にいるために戦っていることはわかっています。…でも、いつまでも戦い続けられるわけじゃない。いつかは…」
「………」
「…終わるときが──」
彼女に強く聞かせなければいけない言葉なのに。
僕自身のどこかが拒絶しているように言葉が途切れた。
彼女の終わるとき。
それは殉死だろうか。
きっと最も近い可能性。
或いは衰えだろうか。
誰にも訪れる未来のかたち。
けれど、戦えなくなって"もう要らない"と選択されて、喰種である彼女に振り下ろされる最後の瞬間は、決して安らかでも、穏やかでもない。
それなのに──
琥珀さんは首を振った。
凪のような、穏やかな眼差しをして。
やっぱり答えは…決まっていた。
「私の答えは、ずっと前から決まっているの」
僕が聞く前から、いや、僕が出会うずっと前から、琥珀さんは決めている。
知っていた。
知っていました。でも。
「僕は──」
目の奥が少しだけ痛んだ。
「…僕は、貴女も助けたかったんです」
「ありがとう。君は…やっぱり、優しい人ね」
死神なんかじゃないわ、と。
僕の指先を温めていた手が離れて、そっと、頬に添えられた。


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