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黒い手

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S3班合同会議室には長机が並べられ、集まった捜査官の大半が既に着席していた。
一つ一つは大きくもない声が、低く交わされ、空気となって室内に籠っている。
並ぶスーツの後ろ姿を眺める。
その視線が、自身の席よりも先に丈の姿を探したのは、もはや無意識だった。
室内を見渡していた琥珀の腰に、手袋を嵌めた手が添えられ、身体がぴくりと震えた。
「琥珀サンの席はあっちですよ」
「……。ご親切に」
琥珀の背後に立った旧多が柔和な笑みを浮かべている。
「珍しいですネ、琥珀サンが時間ギリギリなんて。有馬特等を急かしてる姿なら、よく見てますが」
「………」
「会いたくない人でもいました?」
ニコニコと琥珀を見下ろす旧多の声は、高くもなく低くもなく、室内のざわめきに溶け込む。
旧多に視線をやり、琥珀は席に向かう。
会議室正面の、こちら側を向いた長机にはマイクが用意され、班長と副班長、並びに上役の到着を待っている。
もう一つ離れて置かれた長机には記録を任された者達が着席している。琲世の姿もあるようだ。
前から三列目のやや端寄りに、資料が置かれた二つの空席を見つけて琥珀は椅子を引いた。
資料には"君塚"と名が振られて席順の代わりとなっている。隣のもうひとつは──、
「奇遇だなァ」
着席した旧多が資料を掲げる。
「性悪………」
「その厭そうな顔、いいですねぇ。今、僕と組んでる佐々木准特、最近ポーカーフェイスの練習してるみたいで。琥珀サンはどうしたって顔に出るタイプですよネ。いやぁ楽しい。次は琥珀サンと組みたいなぁ」
「………」
「あ。無視られちゃいました?」
大きすぎない声も、何気無い耳打ちのような仕種も計算済みなのだろう。
間もなく班長の有馬らがやって来て定刻通りに捜査会議が始められた。
静まった室内にマイク越しの声が響き、S3班全体の方針と今後の流れが粛々と説明される。
時折、室内には捜査官らが資料を捲る音が重なった。
その途中、用紙をスムーズに捲れずに眉をひそめた琥珀の指に、旧多の指が絡まる。
イテッ──
静まり返った中、響いた異音に何人かが頭を上げ、資料を読み上げる副班長の視線が室内を滑った。
一瞬の不自然な空白ののち、何事もなかったかのように説明が再開し、その一時間後に会議は終わった。
椅子を引く音。立ち上がり退室する靴音。捜査官らの話し声。同じ班の所属なのだろう、席に留まる者たちも何人かいた。その中には丈の姿も──…
「平子上等はキッズに囲まれてますねぇ。あれじゃあ話し掛けづらい」
立ち上がった琥珀も、資料を手に椅子を戻す。
「最近多くないですかー?有馬特等と平子上等。&キッズな組合わせ。で、琥珀サンは蚊帳の外ってパターン。特等、琥珀サンに飽きちゃったんですかね?」
「…。」
「あ。また無視られちゃいました?」
早くも人影の疎らになりはじめた会議室内に、目的無く留まる者はいない。
本当なら琥珀も丈に話しかけたかった。
仕事の話があったわけではない。ただ、滅入る気分を晴らしたかった。…最近ことあるごとに声をかけ、要らぬちょっかいをかけてくる、この男のせいで滅入る気分を。
「さっきの指、痛かったですよー」
「………」
「関節が一つ増えたかと思いましたよ。こうポキッと」
「……どうしてついてくるの」
「あ。しゃべった」
「私は他班のサポート。あなたは佐々木准特等に同行するんでしょう」
「へ?ああー。はいはい、そんな気がしますね」
「…。」
「わあ。睨んでも可愛いらしいお顔で。いやね、佐々木准特は今、有馬特等とお話をしてるみたいですしぃ──」
旧多の言う通り、言葉を交わす二人が見える。
「今のうちにお花を摘みに行こうかな〜と。あ、お花を摘みに行くっていう意味、琥珀サン知ってます?」
「さようなら」
厭そうにしかめた顔を琥珀は戻さない。戻す気もなかった。
旧多に以前されたことを忘れてなどいない。
あのあと琥珀は、己への嫌悪にまた泣いて、耳の奥でこだまする言葉にまた震えた。どこまでも沈んだ心のまま、ずっと膝を抱えて閉じ籠っていたかった。
しかし現実はそうはいかない。
あのまま留まっていればいずれ誰かが部屋に来ただろうし、琥珀とてぼろぼろに泣き腫らした顔を人に見られたくもなかった。
人目を避けて、ずるずると重たい身体を引き摺って部屋に戻った。
眠り、朝を迎え、仕事の時間がこうして毎日訪れている。
旧多に言われたことは記憶から消えないだろう。琥珀自身が、後ろめたく思っていた暗い部分。
暴かれた心の底は淀んで濁り、今も悪夢となって現れる。決して、忘れられない。
「(忘れるつもりだって、ない──)」
けれど歩みを止めるわけにはいかない。
「小耳に挟んだんですが──」
旧多が自然な動作で琥珀に身を寄せた。
「コクリア、近々"お掃除"されるみたいですよ?アオギリの樹の弱体化に比例して、情報源の喰種も"整理"する段階に来たそうで」
端から見れば自分達は険悪には見えないだろう。
さりげなく逃がさないように腕を掴む違和感のない動きに、琥珀は嫌々ながら感心した。
この男の本性を知っている人間は局内にどれほどいるのだろう…。
「まだ噂、ではありますけど。そういう流れになるんでしょうね。大掃除といったら年末ですかねー。でもまあ、有馬特等のクインケたる琥珀サンならこれくらい知ってますよね?」
「………。手を離して」
「今日はエーンってならないんですか」
「手を、離して」
「琥珀サンの泣き顔のファンなんですよー。実は僕」
「………」
「失礼」
琥珀が旧多の手に指を添わせてみしっと軋ませて、ようやく旧多が離れた。

会議を終えて有馬を待つ間、会議室入り口に向かう琥珀の姿が視界の端に映る。
表情は見えなかったが、隣に追い付いた男の手が琥珀の背中に回されるのが見えた。
自然と温度が下がったような感覚を覚えた。
「あれ、旧多だ」
士皇が気づくと、つられるように理界と夕乍の声が連なる。
「旧多、琥珀とあんなに仲良かった…?」
「…知らない。…けど馴れ馴れしい」
「ねー。あっ、嫉妬してる?平子さん??」
つい今まで、今日の予定についてああだのこうだのと口にしていたのだが。会議の堅苦しい様子に飽々していた年若い彼らは見つけた息抜きに飛び乗った。
丈は、手を乗せるのに丁度良い位置にある士皇の頭を見下ろして、それから口を開いた。
「旧多ではなく、旧多上等、だろう」
えぇー、と一斉に上がる声を聞き流す。
丈から望みの答えを聞き出すべく盛り上がりはじめる班員たち。その声を割って有馬がやってきた。
「タケ、今日の予定は」
「…有馬さんまでそれを聞きますか」
丈の僅かな雰囲気の変化に気づいた有馬は入り口の二人を一瞥すると、気にする様子もなく手元の資料を捲った。
「旧多の相手なら琲世に任せてある。放っておけ」
覗き込む小さな頭たちにもう一度、会議の内容をまとめて伝える。
「…。」
丈もまた、頭には入ってはいたが有馬の説明に意識を向けた。
その際、もう一度入り口に目を向けた丈の目には立ち去る琥珀と、偶然、こちらに気がついたように会釈をする旧多が映った。


その日の業務を終えて有馬の執務室を出た丈の頭にはやはり、"偶然"という言葉が浮かんでいた。
「これは平子上等」
こんばんは。と。
笑う旧多が上階からやってきたエレベーターの中から声をかける。
別段嬉しくもない出会いに、丈がそのまま無反応でいるとドアが閉まりかけ、旧多が素早い反応で"開"を押した。
「やだなぁ平子上等。意外とおちゃめな方なんですね。閉まっちゃいますよ、ドア」
「そうなったら次を待つ」
「ご冗談を。一回逃すと長いですよ。何階です?」
「2階を」
「2階っと。まだお仕事で?」
「いや」
「お帰りですか。僕もちょうど今、終わったところでして」
敢えてなのかそれとも忘れているのか。
ボタンの前に立つ旧多が"閉"を押さなかったために、やや間を置いてからドアが閉まりはじめる。
職場で同僚とエレベーターに乗り合わせることなど珍しいことでもない。
昼間に姿を見かけた同僚と、それこそ──、
「こんな遅い時間に、偶然ですネ」
乗り合わせることもあるだろう。
「………」
「さっきもお会いしましたよね?君塚さん、ずっと平子上等とお話ししたそうにしてましたよ。でも上等もお忙しそうたったので」
旧多の言葉とて、言葉以上の意味を持たされる心当たりなど丈にはないが。引っ掛かる。
「可愛いですよねぇ、彼女。最近よくお話する機会があるんですけど。つい構いたくなっちゃうんですよね。何でですかね?」
「…さあ」
「さあってことはないでしょう?お二人のこと、聞いてますよ。いやぁ、同じ人間じゃないのが残念。とか。平子上等は思いません?」
「…。」
「彼女、普段どんな風に上等に甘えるんです?興味あるなー。いっつも背筋伸ばして、背伸びして。健気ですよねー、といっても喰種だし、僕なんかより全然強いんですけど琥珀サン。あ、失礼、君塚さんは」
「…。好きに呼んだらいい。本人が知っているのなら」
「幼馴染みなら大概のことはわかるって感じですか。それも羨ましいなぁ。僕もちっちゃい時に仲良しの女の子がいたんですけど、今は僕のコト覚えてるかどーか。琥珀サンとはいつから仲良しなんです?」
「…。気がついたらいた」
「は?それってなんか自然発生的に聞こえますケド」
「印象が違うな」
「へ?」
「良く喋る」
「あー…。あは、こっちが地なんですケドね。大人しい方が楽…いやいや、良い印象与えられるかなーなんて」
思って、と。
丈の質問に旧多が悪びれもせず肩を竦めると、丁度間切れを告げるようにエレベーターの電子音が響く。
旧多は「あれ、着くの早くないですかー」などと表示を見上げる。
丈にとっては遅く感じた程だったが、その時間も終わる。ドアが開くと同時にエレベーターから降りた。
「琥珀サンの泣き顔ってそそりますよね」
立ち止まり振り返る丈の目に、"開"を押して微笑む旧多が映った。
「偶然、目にする機会がありまして。あんな顔されたら、捕まえて閉じ込めて、自分しか見られないようにしたくなっちゃいますよねぇ。蒐集品か、それとも標本的な仕上がりでも。ガラス越しに、いつまでも見てられそうだなぁ」
「…悪趣味だな」
「そうですか?愛しい人への独占欲っていうのは少なからずそこに通じてそうじゃあないですか。平子上等は心当たりありません?」
「………。」
「では。お疲れ様です」
低い稼動音と共にドアが閉じ、階層表示の灯りが地下へと流れていく。
視界から消えても侵された空気が残り、漂っている…そんな感覚が過った。
旧多は以前、キジマ式に付き従っていた。稀薄な煙のように。そのキジマが殉職した今は琲世の影となって働いている。
次第に輪郭を得て、これから更に、旧多はその存在を濃くしていくのだろう。
「………」
今ですら、吐き出した言葉は十分に毒であったというのに。
表面に表せずとも丈の心の裡は酷くざわついている。
旧多の姿が消えた今でもだ。
「(…明日にでも──…)」
一言でもいい。僅かな時間でいい。琥珀と話す機会はないだろうか。
本当ならば今すぐにでも会いに行きたい。しかし…。
琥珀と最後に話したのは何日前だった、と丈は携帯を手に思い出そうとする。
あの琥珀が、少し寝不足なのだと困った風に笑っていた。
いつでも、どこでも寝られるのが密かな特技だったのにね、と、冗談めいた口振りで丈に同意を求めた。
あれは。あの男は琥珀に何を言った。何をした。会議室で見た琥珀の後ろ姿は旧多の背中で隠された。耳打ちをする。琥珀の、泣き顔とは何だ。
手の中で音がした。
琥珀にちょっかいを掛けていることを、旧多は公言してみせた。
丈に出来ることは何もないと知っていて。
吹き抜けの廊下はやはり無人で、深──…と静まり返っている。
丈は明日の予定を思い浮かべ、携帯を見下ろした。
手の中で光る割れた画面の時刻表示は夜半に近い。


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