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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -



愛の寓意

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「──じゃあ。今は喰種の能力が働かない状態なんですね、君塚さんは」
荷運びを手伝ってほしいと、デスクで旧多に呼び止められた琥珀は、申し訳ないですと答えた。
「…すみません。…薬がきいているうちは…お役にたてないかと思います」
この日、午前中から昼過ぎにかけて琥珀は検査を受けており、そのことを有馬に伝えた今、自室へ戻るところだった。
検査とは、人間でいうなら健康診断にも似ていたが、日によっては研究に協力してほしいと頼まれて提供することもある。身体の中の、一部分を。
薬の影響から来るもやのかかったような思考も、だるさや痛みの残る身体も、琥珀には重たくて仕方がなかった。
「(ふるた…確か…なまえ、…旧多二福──…?)」
琥珀は旧多に関する少ない記憶を引っ張り出す。
喰種捜査官の仕事は人員の入れ替わりや移動が多い。
覚えても、すぐ必要がなくなってしまうこともある。
「(変わった…名前……)」
最近になって本局で見かけることが何度かあった。
けれどそういえば、いつから捜査官として働いているのか、経歴などの話は聞いた記憶はあまりない。
「…普段ならお手伝いできるのですが……すみません」
「いえいえ全然。考えてみれば女性に荷物運びを手伝えっていう男もアレですし」
お気になさらずに。
旧多の柔和な笑みに、琥珀もつられて緊張を緩める。
琥珀は局内でも避けられることが多いため、慣れた同僚でない限りは態度も言葉遣いにも気を付けていた。
しかし旧多のこの様子ならば緊張を解いても大丈夫だろうかと安心する。
「抑制剤を打つと、他にも何か症状が出たりするんですか?」
「ほかに……?」
「ええ、他に」
首を傾げる琥珀に、旧多が先を促す。
「……からだのだるさは…ありますね。…能力が落ちているせいもありますけど」
「ほうほう」
「…私の場合は効果が残りやすいみたいで…頭も、すこしぼんやりして……。そんな感じでしょうか…」
「へぇ〜、それは大変だぁ」
少なくとも今見た限りでは、悪い人とは思えない──。
「健康診断なんて人間でも楽しいものじゃないですけど。喰種も色々あるんですねぇ」
「あの…私、そろそろ──」
「あっ!そうそう君塚さん、もう一つだけっ。お願いしたいことがあるんですけど。少しだけお時間良いですか?」
すぐに済みますからっ、と。
旧多は両手を合わせて懇願する。
倦怠感が大きく、琥珀は自室へ帰りたい気持ちが大きかった。けれどこの症状は怪我でも病気でもないのだ。
…皆が働く中、無下に断るのも申し訳ない気がした。
「…。こんな状態でお役にたてるかわかりませんが…」
「とんでもない!一人ではできないことなので。琥珀サンには是非来てほしいんですよ」
「…私に、お手伝いできることなら…」
「良かった。では、こちらへ──」
何かが引っかかったような、落ち着かない感覚が琥珀の中を通り過ぎた。
しかしそれよりも素早く旧多が手を引く。
ただ──
これまでに琥珀が局内で見た旧多は、こんなにも気安い性格の人物だっただろうか──…?

旧多二福…一等捜査官……
・(2/29生) 男性・Blood type:AB ・Size:175cm/66kg
Qulnque:ツナギ〈custom〉(尾赫―Rate/C)
…キジマ式、准特等捜査官の、パートナーを務めていた──。けれどロゼヴァルト殲滅作戦にて…キジマ准特等捜査官が死亡、同行していたハ…伊丙上等を含む部隊も全てが、死亡。…彼は唯一の、帰還者──…

「あ、れ──…?」
「どうかしましたか?琥珀サン」
「私…さっきまで、デスク、に──…?」
「やだなぁ、覚えてないんですか?」
責めるようなやや強めの旧多の口調に、琥珀は「ごめんなさい…記憶がはっきりしなくて…」と額を押さえる。
ふぅん、と片目を細くし、何かを思案するように人差し指を顎に当てた旧多は、
「ちょっと失礼」
琥珀が何かを言う前に手を取る。
いつの間に手の中に存在させたのだろうか、開いた安全ピンの針をぷつりと琥珀の指に刺した。
「あ…っ」
「ふぅん、やっぱり。そうなんですかぁー。ホントに再生してませんねぇ。コレ」
「な、にを…するの──…っ」
熱を孕んだ指先に眉をしかめる琥珀に、旧多はしかし、「いやぁ、ちょっと試してみたかったんですよ」と笑う。
手は握ったまま…というよりも、琥珀の指に、手袋を嵌めた指を絡ませるようにして、赤くぷっくりと膨らんだ血を眺める。
琥珀は身を引こうとするものの、思いのほか掴む力が強く、ぴくりとも動かない。
「(どう、して──)」
違和感が、じわりと滲んで琥珀の心に広がる。
二人の間に束の間の沈黙が降る。この部屋にいるのは旧多と琥珀だけだ。
それ以前に、ここは、どこだ。
「ねぇ。琥珀サン」
動かない手ばかりに集中していた琥珀が視線を上げると、すぐ間近に旧多の黒瞳があった。
笑っているはずなのに笑っていない。
底の見えない黒色だ。
「琥珀サンは、僕のこと。どう思います?」
一言ひと言をわざわざ区切って、琥珀の耳に刻み込むように発する。
琥珀は身体だけでも遠ざかろうと背後へ下がるが、その背は、カシャン、と棚にぶつかった。
「実は僕、ちょ〜っと長めの片想い中でして。気になるヒトがいるんですけど──」
知らぬ間に逃げ場を失って俯く琥珀の耳許に、旧多の声が響く。
「女性の意見というものを伺ってみたくて。あと、アナタとも?一度じっくり、お話をしてみたかったことですし」
じっくり、の部分を強調した言葉が絡み付く。
「そもそも喰種で捜査官、なんて異例中の異例でしょ。いやぁ、琥珀サンが捕まったとことか、どんな交渉が行われたかとか」
掴まれた手の、血が膨らんだ指先だけが異様に熱い。
「琥珀サンでも、有馬さん相手にヤりあったんじゃ、満身創痍で血だらけでした?それとも、血じゃないモノも流しましたかねぇ?」
琥珀の逃れたい気持ちを表すように、自由の利く方の手が後ろの棚に触れ、冷たく滑った。
その様子を見下ろした旧多は何もせず眺めている。
琥珀の気ばかりが静かに、そして酷く焦る。
「あーあー。ダンマリなんて傷つくなぁ。琥珀捜査官っていったら局内でも優しいお嬢さんで有名じゃないですかぁ。僕はお話しようって言ってるだけなんですけど。あ、それともアイスコーヒーでもご用意しないと気が乗りません?」
まあアナタの好みなんてどうでもイイんですけど。
旧多は棘を含んだ物言いで喋り続ける。
「ホラ、何とか言ってくださいよ。男馴れしてないわけじゃないでしょう?平子上等とお付き合いしてるんですから」
僅かに苛立ちを滲ませた声が降ってきて、琥珀はびくりと身を竦ませた。
喰種として、喰種の能力に頼りきっていたことを思い知らされた。
掴まれた手は相変わらずぴくりとも動かせず、逃げられない今の状況でどう振る舞ったら正解なのか。
琥珀には見当もつかなかった。
「………あな、たは──…、」
絞り出すようにようやく言葉を吐き出すと、旧多は喜色を浮かべた。
「はいはい、何です???」
「…なにが…したいの……」
「…。だからぁ、さっきから言ってるじゃないですか」
お話が、したい、だけですよ──。
唇が触れそうなくらい顔を近づけて、言い含める。
掴んだ手を口許に寄せ舌の腹から先までをかけて、ゆっくりと、琥珀の血を舐め上げた。
触られてもいない琥珀の背筋に、ぞわりと何かが這い回るような感覚が広がる。
「あ、でも余計な心配はしなくて良いですから。だって僕はアナタに女を求めているワケじゃないんで」
旧多は空いた手で琥珀を棚に押し付けるようにして胸を押す。膨らみを掴み掌で強く揉んだ。
琥珀の噛み締めた唇から悲鳴が空気となって漏れた。
「…ひっ、──う…、っ…」
強張る身体を琥珀は不器用に捩る。その脚の間に旧多は膝を押し込んだ。
二人の身体はより密着し、旧多が嗤う気配を、琥珀は耳許で感じた。
通りすがりの、ただの同僚なんかではなかった。
根底にあるのは憎悪か、はたまた嗜虐心か。
害意を隠そうともしない、この男は、いったい──…、
「…あなた、は………なに──…」
「……。せめて、誰?と。ヒト扱いをしてほしいものですねえ…?」
「………?」
どうしたらこのような悪意の感情を持てるのかと、琥珀は旧多に問いたかった。
しかし旧多の答えは噛み合わない。
理由は?目的は?話の選択のチャンスはあったかもしれない。
しかし旧多の雰囲気に琥珀は完全に呑まれていた。
身体は恐怖で強張っている。興味がないと言っておきながら内腿をわざと擦るように動く男の脚が怖かった。呼吸はより浅くなり酸素も回らない。思考は空回りし続けている。気持ちが悪い。気持ちが悪い。怖い──、
「(視界が…ぼやけて──…)」
琥珀は思った。
けれど、ぼやけているのは涙のせいだった。
気がついたときには頬を濡らしてぱたりと落ちた。こんなことで泣きたくないのにと顔を俯かせる。
おや、泣いちゃいました?と降る声が、また嗤う。
「涙も違う味します?」
「…いや──…、やめて………」
「そうやって縮こまっていたら時間が過ぎるとでも?問題が、解決するって思ってます?」
「っ……」
「知ってますよ」
「………?」
「ナキ、逃がしたでしょう?この間の任務で」
「………ぁ…、」
「ナキと、その手下と。親密にお話しをする琥珀サンの姿。見てましたよ、僕」
「な………で、…そんな、わたし…、」
「いやー、知らなかったなぁ。琥珀サンがナキと親しかったなんて。──でも、」
軽快な声色で言葉を突き刺す。
逃がすのは駄目でしょう。と。
「人間を守るためにCCGは喰種を殺してるんじゃないですか。
それなのにまったく。
これまで彼らは何人の捜査官を殺しましたかねぇ。
これからまた、どれだけ捜査官を殺しますかねぇ。
仕留めていれば今後の犠牲者、確実に減りました。
あーあ。
アナタが逃がさなければ。
少なくとも白スーツは弱体化したでしょうに」
あーあ。
「アナタが殺さなかったせいでまた誰かが死ぬんです。 優しかった先輩?懐いていた後輩?このあいだ何人か、死んじゃいましたね」
あと何人残ってます?
大きな身振りで指を折り数えてみせる。
ぱたぱたと涙を落とす琥珀の頬を、旧多は両手で優しく包んで上を向かせた。
「アナタは"半分喰種"の捜査官として局にいるんでしょ?
だったらちゃんと役に立たないと。
ちゃんと殺して成果を出さないと。
ああ、でも検査は素直に受けてるんですよね?そこはエライ!褒めてあげます」
ころころと転がすように変化する言葉の緩急。
琥珀は付いていけずに茫然とするばかりだった。
ただ解るのは、旧多の言葉が停滞する琥珀の心を確実に深く抉って潰していくこと。
「でも最近、頻度が増えた気がしません?なんでだろーなー?まあ琥珀さんも局に来て長いですもんね。ともあれ、これからもケンキューのために色々と提供してくださいね。だってどうせ、」
人間と愛し合ったところで、
喰種のアナタはなんにも産めない──。
全身の力がくたりと抜けて、琥珀は床にへたり込む。
旧多も同様にしゃがみこんだ。
上手く空気が吸えずに、琥珀の震える唇からは引き攣った呼吸が不規則に漏れる。
涙に濡れた唇に指を這わせながら旧多は、「琥珀サンって唇が色っぽいとか言われません?」などと嗤っている。
なにも産めない。
知っていた。そんなこと、最初からわかっていた。こんな男に言われなくても。
自分が喰種である限り、丈に普通の家庭をもたらすことが出来ないことだって。
「(そんなの知ってる…ずっと、知ってる──)」
命を産むことが出来ないくせに奪ってばかりの自分。
いつだって心の隅に存在している。罪悪感が。
光が強くなれば濃くなる影のように、丈を想うほどに自責の思いも増していった。
強がって、無い振りをして、ずっと押し籠めてきたものが溢れ出す。
本当は、自分だって産まれたかった。普通の人間に。
普通の女として愛したかった。
普通の女として愛してもらいたかった。
琥珀が喰種でも、丈は愛していると言ってくれる。
だから、考えたくなかった。
思い出したくなかった。
ずっとずっと、自分の暗い声を聞かないでいたのに。
「(それでもこの気持ちが消えることなんて──)」
検査のせいで気が弱くなっているのだろうか。
それとも親しかった人たちを亡くして間もないから、心が不安定になっているのだろうか。
「(きっと………その、ぜんぶ……… )」
涙が止まらない。
「ほらもーそんなに泣かないで。しっかりオシゴトして、邪魔者を消してくれればそれでイイんですから」
旧多はごしごしと琥珀の目許を擦る。
「アナタも廃棄処分はイヤでしょう?」


引き攣った呼吸の余韻を残しながら琥珀は床を見つめていた。
血の付いた安全ピンが落ちている。
傷はもう治癒したのか、それともまだ血液が固まっただけなのか。確かめる気にならなかった。
痙攣のように震えていた指先が鎮まり、手探りに、上着から携帯電話を取り出す。
無機質な画面に表れた、名前すらが愛おしい。
その人の感触を得られないとわかっていても、なぞる指に想いが灯る。
画面が指先に反応して「通話」を提示した。
「──…」
何を話すの?
声が聞きたい
きっといまも仕事中
泣きついてみる?
何をされたか
言いたくない
でもこえを
聞きたいの
ごめんなさい
話せることなんてない
何もない
わたしにはない
ごめんなさい
みらいがない
なにもない
──いつか、わたしも処分を

琥珀は電源を切った。


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