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敗戦(前)

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ぽっかりと空いてしまった穴は、埋まらない。
手の中で、強風に捲れ上がるリストを指で押さえて、名前をなぞる。
同じものでしか、埋まらない。
同じ名前でしか、満たせない。
けれどこの先、彼らともう一度相見えることは──…
静かに深く呼吸をして、琥珀は手書きのリストを持ってきた捜査官に渡す。
「………確認しました。責任を持って、護衛にあたります」
見知った名前も幾つかあった。
リストを渡す際、「本局まで…必ずお願いします」と頭を下げられた。声も手も、震えていた。
この捜査官の親しい者も含まれていたのだろうか。
ルナ・エクリプスビル──
世界的にもビジネスを展開する大財閥、"月山グループ"の所有する高層ビルだ。
闇夜を貫くタワーの上階では、激しい戦闘が今も続いている。見上げれば、ヘリの誘導灯に紛れて、砕けたガラスが壁面に光る。
瞳を細め、澄ませた耳に、積み込みを終えた車両のドアが閉められる音が次々と響く。
「15、16、18号車は先に出発した。俺たちはルートBを辿ることになる──君塚、行くぞ」
同じく任務にあたる捜査官に呼ばれて、琥珀も移送車両へ乗り込んだ。
もともと信仰深い性質ではない。
魂だって、あるのかわからない。
しかし彼らの亡骸を連れ帰ってやりたいと思った。
家族の元へ、連れて返してあげなければと思った。
いつまでも暗い夜に残されたままでは彼らも休めないだろう。
心を落ち着かせるように肺を震わせて息をする。
洩れた声はエンジン音に紛れた。

「先発隊は…問題がなければ局に着いている頃だな」
数台の移送車両の最後尾を走る車の中で、腕時計を見た捜査官が誰にともなく呟いた。
車列は怪我人の搬送を行う車両と、遺体を乗せた車両を含む。
琥珀たちは後続隊だ。先発隊とは別ルートを辿って局へ向かっている。
このような段取りを踏むようになったのは数年前から。20区の大規模作戦以降からと記憶している。
琥珀は薄暗い床を眺めていた。
向かい合って並ぶ座席。並ぶ戦闘靴。黒い色。
担架に乗せられて運ばれた靴には皆、血が付いていた。
遺体袋にずるりと擦れた、暗い赤を思い出した。
「富良さん」
「…ん?」
「……聞いても、いいですか…?」
「…。ダメっつったら、聞くの止めるのか?」
「…。やめちゃいます…」
「冗談だよ」
琥珀が微かに笑う。
隣の富良からも同じ気配がした。
車の揺れ動く音以外の新たな音声に、他の捜査官も意識を向ける。
「何だ?」
「彼らが…。喰種が、捜査官を…拐う目的って、何でしょう…」
富良は深く息を吐いた。
煙草の煙を吐き出すような、長い呼吸だ。
「…。実験とか、研究とか。そういうアレじゃないのか」
食糧にするなら一般人を襲えばいい。
このような大規模な闘いの最中に、わざわざ捜査官を連れ去る手間をかけるのだ。
一体何を行いたいのか。
科学に明るくない身では詳しく知りようもないが、アオギリの樹に協力する人間がいるという調査も報告されている。
「俺らのクインケも、Qs班の連中も。科学者の研究の恩恵ってな」
「………研究…」
どこかで誰かが泣いたのだ。
家族がいただろう。
喰種に殺された人間にも。
人間に使われた喰種にも。
「簡単には…恨めないですね………」
君塚──、と別の捜査官が低い声を発する。
「………。」
諌めたところで、琥珀の思いも、苛立った捜査官の思いも、納めることはできない。
富良はもう一度、長い呼吸をした。
考え方など立場によって様々に変化する。
捜査官でも、喰種を憎む者もいれば、あくまでも仕事の一つとして扱う者もいる。
「…仕事と私情は分けたいもんだが。そう簡単にはいかないな。…まぁ程々に、だ」
富良が視線を遣ると、声を発した捜査官はまだ納得していない様子ではあったが口を閉ざす。
不意に、琥珀が顔を上げた。
「…?どうした?」
「来ました──…」
弾かれたように、床を強く踏んで琥珀が立ち上がると、同時に車内にも緊張が走る。
「耳が早いな、敵サンは──」
「運転手に本部との通信させろっ、先発隊の確認も取れ──!」
指示と装備のぶつかり合う音の合間を縫って、琥珀は後部ドアを開け放つ。
天井に片手を掛けて車の屋根に飛び上がった。
走行中の風圧に目を細めながら、数台先を行く先頭車両──そこへ飛びかかる白スーツの喰種の姿を確認する。
「(アオギリの──。…月山との戦いにも絡んで?それとも目当ては強奪のみ──…?)」
敵影へ、琥珀は赫子の棘を放ちながら、揺れる移送車の屋根に指を立ててしがみついた。
耳許でザァザァと慌ただしく切り替わる通信。
耳を澄ませながら、こちらに接近しようと跳んだ数体の喰種を的確に射ち落とす。
同時に、甲高い音を立てて先頭車両が蛇行する。
タイヤに攻撃を受けたらしく──先頭車両が横転。琥珀の乗った車を含む後続は、横転したそれを避けての急停車。
「(倒れたのは先頭のみ──)」
振り落とされないように堪えた琥珀は辺りを窺う。
横転した車両のフロントガラスはひび割れと血で中が見えない。
喰種の目的が車両の奪取であることから、損壊は少なく抑えたいのだろう。他への攻撃は甘い。
それにしても──
「もっと運動したい、ってェ仲間の意見を尊重するのは良いスけどねェ」
高架橋の柱の影から姿を見せた細身の喰種が頭を掻く。白スーツで、首にはバンダナを巻いている。
死堪、お前のこったぞぃ、と、足元でしゃがみこんだ縞縞模様の刺青の喰種に話しかける。
「盗れりゃあ儲けもん。で、戦力も半分置いてきちまった。二連続ってのはちょいと欲張っちまいましたかね」
バンダナの喰種の言葉に合わせるように、移送車両の周囲に何体もの喰種が姿を現す。
「………」
同じく現れた白スーツの、今度は大柄な体格の喰種が口を開いた。
「"白鳩"で赫子持ちか。…あの女、駐車場で相対した男の仲間か…?」
「………」
「ありゃあ玄人だったな。しかもイマドキのイケメンでよぅ。…って、兄貴、聞いてます?俺らのハナシ」
「………」
「兄貴〜?」
「…っだぁぁぁあああっ!わっかんねぇーーー!」
「おわ!?」
「どうしたんです、兄貴?」
先程から無言を貫いてきた、"兄貴"と呼ばれている白スーツが突然大声をあげて頭を抱えた。
大柄な男の影でしきりに頭を捻って、何かを考えているらしき姿は見えていたのだが。
「身に覚えはあるが名前が思い出せねぇ!上に乗ってるお前!名を乗れっ!」
琥珀をびしっと指差した。
「ナキの兄貴、"身に覚え"じゃなくて"見覚え"じゃないすかね。あと"名乗れ"ですぜ」
「アイツとは昔、ココリコで会ってんだ!ゼッタイ!」
「あっ、ココリコはわかんねーす。承正、ココリコって何だ?芸人じゃねーよな?」
「ココリ──?…駄目だ、ホオグロ!兄貴の心を現す言葉だというのに、未熟な俺には汲み取れない──!」
「普段はフツーなんだけどな。兄貴が絡むとちょっとお前、めんどくせェ」
名を乗れぇ!と騒ぐ金髪オールバックに、申し訳ありません兄貴!と嘆く大男。
白スーツが騒いでいる間にも、捜査官の配備は慎重に行われていた。…幸いと言うべきか、目視した限り敵の数は多くはなく、琥珀が気配を探っても同様の結果だった。
皆に簡潔に伝えて通信を切る。
車両の屋根の琥珀へ、今度は指示を終えた富良が直接訊ねる。
「あのオールバック、ジェイソンの後釜のナキだろ。君塚、知り合いじゃないのか」
「…。問題ないので話を進めましょう。さっきの通信ですが補足が──」
「こらァそこ!ムシするんじゃありません!」
「ああ言っているが」
「………。」
琥珀が顔にしわを寄せたので、富良は本部からの連絡諸々を伝える。
琥珀も通信を聞いてはいたが、先発隊は襲撃を受けたようだ。…数台の車両が奪われたと。
ホオグロと呼ばれた喰種の「二連続」というのはそれを指しているのだろう。
「先発隊よりもこっちの方が護りは多い。…アイツら"半分置いてきた"っつってたな」
「はい。本部からは…?」
「…先発隊を張る必要がなくなっちまった分、待たされずに済みそうだ」
富良の救援を表す言葉に、車両の屋根から指を抜いた琥珀が、「了解です」と頷く。
「兄貴、兄貴。女の名前、二度聞いちゃあ、そりゃあへそ曲げられても仕方ないですぜ」
「ぐぬぅ──」
「兄貴、諦めも肝心かと…」
「めっちゃ俺ら見てますし。でも美人ってェのは、ツンとした顔も良いっすねェ」
「うぐぐぐぐ──」
ナキは、まるで眼に力を籠めれば思い出せるとでもいうような目付きで琥珀を凝視する。
「…。君塚、教えてやったらどうだ?」
もの凄い顔してるぞアイツ、と富良が顎をしゃくる。
「からかわないでください、富良さん。…私たちのお仕事は、車両を本部に送ることだと思ってます」
「仕事熱心だな。お前さんのそういうところは嫌いじゃないが」
「ありがとうございます」
「お堅いねぇ。……車両を護るのも大事だが、こっちが仏になっちまったら意味がない。あんまり入れ込むな」
「はい」
「そんじゃ、」
仕事を始めるか──。
各捜査官へ戦闘開始が告げられる。


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