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店長さん

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ガガッと、耳許のマイクが音を立てる。
──最終確認を行う──
ねえ…覚えてる?
何年前の記憶かな。


少し重たそうな紙袋が、ガサッ、と鳴った──。
駆け抜ける小学生たちが危なっかしく避けてゆき、避けられなかった一人がぶつかった。
ぶつかられた初老の男は、困ったように、でも優しげに、遠ざかる小学生を見送った。
大丈夫ですか、と、近くにいた少女が紙袋から落ちた小袋を拾う。
指で埃を払ってから渡すと、男はまた柔らかく笑った。
「ありがとう、お嬢さん」
「…あ……。壊れもの…じゃなかったですか?これは──」
「大丈夫だよ。豆──珈琲豆だからね。壊れるものじゃあない」
「…、やっぱり──…。珈琲豆、だったんですか」
良い匂いがするなぁって思ったんです。
小さく遠慮がちに、はにかんで答えた少女に、初老の男は軽く目を開いた。

「お荷物が………重たそうだと思って、声をかけようか迷っていたんですけど…」
「子供は元気だ。私も少々バランスを崩してしまった」
「……。結構買われるんですね、珈琲豆。全部、おうちで飲まれるんですか?」
「これはね、お客様にお出しするんだよ」
「お客様?」
「私は喫茶店を営んでいてね」
「えっ、じゃあ店長さんなんですか?」
「ああ」
「素敵ですね。落ち着けそうなお店の気がします」
「ありがとう。…お嬢さんは学生さんかな」
「はい」
「そうか……」
「?どうかされましたか?」
「いや──…。私にも…お嬢さんくらいの娘がいるんだ。事情があって…しばらくの間、会っていないがね」
「…」
「少しだけ、懐かしくなってしまった」
「ええと…わ、私でよければ、いくらでも懐かしんでくださいっ」
「面白いことを言うお嬢さんだね」
「すみません…すこし調子に乗りました」
「いやいや、ありがとう」
「私も、両親がいないので…」
「……、そうだったのか…」
「はい。…でも、店長さんの娘さんだったら知的な子ですね、きっと」
「…じゃじゃ馬な部分も大分にあると思うが…。君は、そう思うかい?」
「あれっ…?ふふっ、それはちょっと意外です」

じゃじゃ馬なんですか、と少女は首を傾げて笑った。
ふわふわと軽やかに歩くために少しだけ危なっかしくも見える。
よく、笑う少女だ。
もし違う未来を歩めていたら、自分と、彼女も、こうやって言葉を交わしていただろうかと男は思った。

「──お嬢さん」
「なんですか?」
「良かったら私の店に来てみないかい?この先を少し行ったところにあるんだ」
「珈琲屋さん──あっ、喫茶店、ですね」
「ああ」
「…。店長さんの淹れた珈琲には惹かれますけど…、あと珈琲豆も、とっても良い匂いですけど………」
「…」
「でも、その……今日は…遠慮しておきます」
「そうか」
「このあと……塾に行かないといけないので」
「学生さんは大変だね」
「…。はい」
「勉強が本分だから仕方がない。頑張るんだよ。…ああ、それから──」
「?」
「もし──、何か必要があったら。遠慮なく私の店に来なさい。…美味しい珈琲をご馳走しよう」
「…。ありがとうございます。店長さん」

重い荷物ではなかったために、少女とは世間話をしながらしばらく歩いて、別れた。
この日、喫茶店"あんていく"は休業日だった。
けれど暇だったのだろう、店の前を掃き掃除する男と、ガードレールに寄り掛かってそれを眺める女の姿があった。
少女が軽く手を振って離れて行く姿を、二人には見られていたようだ。
「何です何です?芳村さんも隅に置けませんねぇ」
「あなた、聞き方が露骨なのよ。それで、芳村さん?新しいバイトですか?それとも本当に恋人かしら?」
「二人ともが、露骨だと私は思うがね。どちらの予想も外れだよ」
親切な学生さんだった、と初老の男──芳村が答えると、箒に凭れた古間はがっかりと項垂れ、ガードレールに浅く腰掛けた入見は脚を組み替えた。
「可愛い後輩はいつでも募集中なんですがね。残念です」
「可愛くない後輩への当て付けに聞こえるわね」
「いやいや、まあまあ、」
「古間くんの言う通り、後輩であることには間違いないがね」
「おっ?それはどういうことです?」
「彼女は、私たちの同胞だった」
珈琲豆の香りに瞳を輝かせた少女。
良い匂いがするなぁって思ったんです、と。そう言った彼女の方こそ、とても良い匂いをさせていた。
知っている者にしか分からない、それも近づかなければ分からない程の、微かな匂い。
芳村の娘と同じ種類の匂いがした。
「へえー。同胞。しかも学生で、ですか」
「月山くんみたいなのもいるでしょう?家があればなれなくもないわ」
「ま、確かに」
「あの子もそのうち常連になるのかしら?」
「いや、……その可能性は低そうだ」
「あら」
「と、言うと?芳村さん」
「彼女には店の名前を聞かれなかったからね。残念ながら、断られてしまった」
「芳村さんの珈琲を断るなんて。後悔するわよ、あの子」
「でも芳村さん。芳村さんは気づいてても、その子に話したわけじゃないでしょう?うちの店は普通のお客だけじゃなくて、"そういう客"も多いんですよ、って」
「…そうだね」
確かにそこまでの説明はしなかった。
しかしあの少女は、芳村に聞かされていたとしても断っただろう。
少女もまた芳村と同じ様に、芳村が喰種であることに、恐らくだが気がついていた。
「(嘘の下手な、お嬢さんだ)」
芳村に声をかけた時の、少女の僅かな戸惑い。
それは、喰種に助力がいるかと声をかけたことに対してだった。
日々、芳村も気を付けてはいるものの…、
「(昨日の食事の匂いでも残っていたか…)」
何となく袖口を鼻に近づけてかいでみる。
本当に、僅かに香る血の匂い。しかし敏感な喰種ならば悟るだろう。
「私もまだまだのようだ…」
「芳村さん?」
「いいや。──ところで、二人はどうして店へ?今日は店は休みと伝えたはずだが」
「掃除は一日にして成らずっ。魔猿スペシャルクリーニングは休日でも発揮されるもの、ということで。…決して暇だからってだけじゃあないですよ」
「私は散歩よ」
落ち葉の欠片も見逃さない古間の箒さばきと、一切の手伝う気配を見せない入見のコンビは、芳村に日常を呼ぶ。
「休日は、休んでこその休日だろうに。…仕方のないスタッフだ」
ふうと息をつくと、芳村は店の表札を"CLOSE"にしたままで二人を招いた。
「年若い女性には断られてしまったが、今度は馴染みの友人を二人、誘ってみようか」
「年のくだりが引っかかるところだけれど。傷心の友人に付き合ってあげようかしら。あなたはどうする?」
「俺は芳村さんの淹れた珈琲が飲めるなら、たとえ火の中でも誘いを受けるね」
「一人だけ物分り良い答えなんてして。ずるいわ」
喫茶店に明かりが灯る。
看板は仕舞われ、カーテンもかかったままだったが、楽しげな会話がもたらされた。
珈琲の話、新しいメニューの提案、仲間の噂──。
「そういえば、最近ウワサになってる話、聞きました?」
「殺さない喰種の噂でしょう?本当にいるのかしら、そんな物好き」
「さて。余所の区の話に私は疎いからね」
「とか油断させておいて行われる、芳村さんの隙のない情報収集──この魔猿はすべてお見通しですよ」
「魔猿は関係ないでしょ」
「本当に、困ったスタッフだ」

きっとあの少女が店を訪れることは無いだろう。
本来、喰種は群れることを好まない。
安定した喰い場を持っていればなおのこと。
人間社会に溶け込もうとしている者なら、同胞との親密な繋がりは絶ちたいはずだ。
芳村が作り上げたこの場所は、喰種の世界にも、人間の世界にも、居場所を作れなかった喰種たちのためにある。
「(あのお嬢さんと。再び廻り逢わないことこそが、あのお嬢さんの穏やかな日々である証拠だ)」
芳村には、たった一人の、成長した顔も満足に見ることのできていない娘がいる。
親らしいことだって、何一つしていない。
そんな自分が、ほんの少しだけ、父親のような言葉を紡いでみられた。
同じ気配のしたあの少女に。
いつか、
あの子にも──。
想いが形になる前に、珈琲豆の袋の封を切った。
カウンターの内側に立ち、テーブルを挟んで、この日のお客様と向かい合う。
芳ばしい香りに充たされながら日常の手順を踏んで、芳村は珈琲を淹れる。


耳許のマイクが音を立てる。
──目的地は喫茶店"あんていく"──
ねえ、覚えてる?
あの優しげな店長さんと出会ったのは、
どこの区だったっけ。
──今度こそ隻眼の梟を引きずり出せ──
ね。 お ぼえ て る …… … ?

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