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絆創膏

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「あ、琥珀ちゃんだ。久しぶりー」
「…倉元、さん…?……丈兄も…」
それは倉元と丈が午後の予定の確認をしながら歩いていた時のこと。
陽射しの注ぐ渡り廊下で声をかけられた琥珀は、ぼんやりと二人を見返した。
倉元は、あれ?と思う。
「琥珀ちゃん、今日はタケさんの呼び方違うんだ?」
丈と琥珀が幼馴染みであることは当人たちから聞かされていたために知っていた。
…そういう関係であることも、雰囲気でなんとなく。
そんな琥珀が、仕事中とそれ以外を分けるために、丈のことをお堅く階級で呼んでいたことも記憶にあった。
「いつもは"平子上等"なのに、どしたの?」
「…ひらこ…じょうとう……」
どこか夢うつつの、とろんとした大きな瞳だ。
琥珀は質問には応えず、けれど言葉を発した倉元を見つめ続ける。
「ていうか…ええと、琥珀ちゃん、ぼーっとしてない?風邪でもひいた?」
彼女の彼氏が隣にいるのに、見つめ合う組み合わせがちょっと違う。
さすがに反応の鈍さが心配になってきた倉元が、照れを誤魔化すように琥珀の顔を覗き込む。
動きにつられたのか琥珀も同じように小首を傾げるものだから、倉元の照れもまた増した。
するとそれまで黙っていた丈が、ああ、と、ここに来てやっと何かを納得した。
助かった…!と倉元が思ったのは一瞬。
「琥珀、あの日か」
「タケさんいきなり何言ってんの!?」
「………少し…、ふらふらするの…」
「琥珀ちゃんまで!?」
反応がオカシイのは琥珀だけじゃなかった。
こういう場合、遭遇してしまった部外者は一体どんな反応をしたら良いのだろう。
最近、倉元の直属の上司となった平子丈という人物。
彼は自身のことを普通やら平凡やらと評する。
しかし前歴は"CCGの生ける伝説"である有馬貴将のパートナーを務めていた。期間は約6年。その時点で十分すごい人だと倉元は思う。
そんな上司に対して慌てるあまり、生来のタメ語がうっかり口をつく。
しまった!と思う矢先、しかし続く二人の会話でツッコミすらも凍結した。
「今日は、血が…おおくて……いたくて……」
血って!?…うわぁ…やっぱり痛いの、その日って…。
「そうか。…まだ滲むか?」
ちょっ…!にじむとか!た、タケさんっ…!?
「ん……。薬も……まだ……」
「午後は休むんだろう? 有馬さんのところには?」
有馬さんにまで──!?
えっと、そーゆーことも他の人に言っちゃうの?職場によっては休暇とか取れるって聞いたことはあるけど、そういうのって部外者の前では隠した方が良いと思うんだけどどうなの。
「倉元」
そうそう、ここには倉元もいるんですって。だからもっとオブラートに包んでほしいっていうか…
「倉元」
「え、俺!?」
「お前以外に倉元を知らない」
「俺もです!はいっええと何でありますか平子上等っ!」
「………」
丈の薄い表情からは呆れてるのか何なのかあんまり分からないが、たぶん怒られてはいないと思う。
琥珀は相変わらず気だるげな眼差しだ。
目が合うと、あ、少し笑った…。
「琥珀ちゃん…俺、これくらいしか言えないけど…腰、冷やさないようにね」
「…お前は何を言っている」
「え、だって、なんていうか…」
元カノから聞かされた知識程度しかないために、できることといったら気遣ってあげるくらい。
倉元はついに、男として馴染みの無いその単語を思いきって言おうとした。
「琥珀ちゃん、せい──」
「琥珀は午前中に検査だったんだが──」
「うぇ?は??……けんさ?」
「?…俺たちも各自で健診に行くだろう」
「あ〜、あの春の恒例行事みたいな…(言わなくて良かった!)」
「俺たちのものとは違うが、琥珀も定期的に受けている。…ただRc抑制剤も使用される。必然的にその日の任務にも出られなくなる」
琥珀の左手の甲には、薄く血の滲んだ綿が医療テープで貼られていた。
「あ………」
喰種の外見は一見して人間と変わらない。
ただ人間と同じ外見でありながら、刃物も銃弾も傷付けることのできない肉体を持つ。言うまでもなく、注射針も同様に通さない。
「今回は採血の位置が違ったんだな」
「………、」
丈の言葉に、こくり、と琥珀が揺れるように頷く。
それで痛かったと言っていたのだ。
夢とうつつを綯い交ぜにしたような、ここではない場所を見ているような琥珀。
けれども丈の声にはおぼろげながら応えようとする。
倉元も抑制剤を打たれた喰種を見たことはあった。アカデミーの授業の、映像資料だっただろうか。
拘束具に抵抗して暴れていた喰種が、注射を打たれてみるみるうちに力を失って大人しくなる様子が…解説されていた記憶がある……。
琥珀は左手の傷口が気になるらしく、掻こうとして、その手を丈の手が掴んで止めた。
「…かゆい……、」
「治りかけている証拠だ」
手を離してくれない丈に琥珀は僅かに眉をしかめる。
考えてみたら、治癒能力の高い喰種にとって、怪我がある状態というのはあまり慣れないのかもしれない。
今までにも掻いてしまったのだろう。乾いた血の色を滲ませた綿は、テープが剥がれそうになっていた。
「抑制剤、打つといつもこんな感じなんスか?琥珀ちゃん…」
「…体質によるものだと説明されたが、検査の後は大体こうだ」
抑制剤を投与してRc細胞の働きを抑えると、人間の貧血にも似た症状が喰種には現れる。
身体機能の低下からはじまり、身体の倦怠感、強く作用すれば精神症状や意識消失なども起こると聞いたが…。
倉元が観察する間にも、丈が懐から絆創膏を取り出して琥珀の左手のテープと綿を外した。
絆創膏だったら多少引っ掻いてしまっても剥がれないだろう。
「(タケさん、絆創膏も持ってるんだ)」
以前、倉元がふざけて「1月10日はイトーの日なので何かください」と言った時も、ポケットからアメを取り出して渡された。
「琥珀、もう掻くな。治りが遅くなる」
「………うん…」
「(…お兄ちゃんだなー…)」
丈はおしゃべりな性質ではないし、表情の変化も薄い。
場の賑やか担当でやってきた倉元からすれば、気がつけば、就業後や酒の席でフェードアウト、または隅っこに自分の場所を確保しているタイプの丈は、これまで交流してきた人種と異なる。
その丈が、琥珀を相手にする時だけはやや変わる。
たとえばほんの少しだけ口数が増えるとか。
または琥珀と言葉を交わす時、然り気無く手を差し伸べている姿だったり。
その様子はやはり淡々としているため、二人をまったく知らない人間には恋人同士なのか気がつかないだろう。
しかし丈の性格と、その反応の薄さを知る人間にとってはとても物珍しい姿だ。
琥珀のこの様子では心配になるのも仕方がないだろうが。
「今回は特に…強く残っているな…」
琥珀を見たまま、丈の口からぼそりと洩れる。
「え、大丈夫なんですか…?」
「………」
琥珀は丈が貼ってやった絆創膏を不思議そうに見下ろしている。…放っておけばいつまでも眺めていそうな意識の希薄さだ。
「(有馬さんとこ、報告に行くんだっけ──…?)」
この状態で行って、果たして会話が成立するかも疑問だったが、検査を受けたことは伝えなければならないのだろう。
「タケさん。俺、先行ってますから、タケさんは琥珀ちゃん連れてってあげてください」
「………。」
丈は考え込んでいるようだったが、琥珀を送って戻るくらい、そんな時間もかからないだろうに。
タケさんが行かないんなら俺が連れてっちゃいますよと、半ば本気で考える。
その時に倉元の袖が、くっと引っ張られた。
ダークグレーのスーツの袖に、桜色の爪が引っ掛かるようにして揺れる。
「………、」
「うん?どしたの?」
「………おしごと……行ってください……」
琥珀が倉元の袖を見つめている。
いや、たどたどしい様子だが指を動かしている。
…引っ掛かった指が外れなくて、困ったようにまた首を傾げた。
「い、いやいやいや──、琥珀ちゃん絶対ひとりで辿り着けないでしょ──…」
「…琥珀、寄り道しないでちゃんと戻れ」
「はい…」
「タケさぁん…」
「…何故お前が泣きそうな顔をするんだ」
倉元、と。
丈に今度こそ呆れた眼差しを向けられる。
けれども今の倉元は、見つけた迷い猫をほっておけと言われたような、そんな気分になってきていた。
確かに今は倉元もいるため、丈は琥珀に対して構いすぎないようにしているのかもしれない。
しかしこの状況なら話は別だろう。
静かに奮闘していた琥珀は、今やっと指を外せたらしく、満足そうに目許を綻ばせて倉元を見た。
揺れるように二人の横をすり抜ける。
ふらり、ふらり。
ゆらゆらと。
まっすぐとは言い難い歩みも織り交ぜながら琥珀は廊下の角を曲がっていった。
姿が見えなくなったその時、ゴンッ、と鈍い音が響いてきたが。
「大丈夫…スかね…琥珀ちゃん………。タケさん?」
タケさーん、と倉元がもう一度呼びかけると、気がついた丈が、ああ、と答えた。
「……行くぞ」
琥珀が向かった方向に背中を向け足を踏み出す。
ついていってあげればいいのに、と倉元は単純に考えてしまう。
ただ、それをしないからこそ築いてきた周囲への信用もあるのだろう。
幼馴染みの丈が手を差し伸べては、琥珀に肩入れをしているように捉えられてしまう。
喰種の琥珀に対して殆どの者はマイナス感情を持っている。…自分は少し、違ったけれど。
「…早く治ると良いですね」
「今日は無理だろうが……しばらく眠れば治るはずだ」
「またまたそんなー。犬とか猫みたいに」
「………。」
「まじすか…」


なんというか。
喰種ではあるものの、淡い気持ちも抱いていた。
叶わないからこそ、無責任に好きになれたのかもしれない。
「(あー…アイドルとか、そんなんにも似てるのかも)」
仕事帰りの電車から倉元が眺める街並みには、ビルの巨大広告が照明に照らされていた。
カタンカタンと揺れる窓の向こうに張り替えの作業員が見える。一部分ずつ、絵柄を貼りつけているようだ。
テレビドラマの宣伝だろうか、俳優や女優、アイドルグループのメンバーなど。CMかどこかで見た顔が完成しつつある。
人間と喰種だなんて、芸能人よりまた遠い、あり得ない組み合わせじゃないかと倉元は思う。
けれども、二人を見ていると、そういうのもアリなのかと自然に納得している自分がいる。
「(なんでだろうなぁー…)」
食事は局を出て同僚と済ましてきた。
そろそろお休みモードに入りつつある頭では深く考えられなかったが。
左手に貼られた絆創膏を、ぼんやりと、でも嬉しそうに眺めていた琥珀の横顔が浮かぶ。
そのぼんやりも明日には治っちゃってるのかと思いながら、倉元は、ふわぁ〜…と欠伸をした。


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