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satellite.

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定時を過ぎ、人員も疎らな対策課にて。
部屋の片隅にある応接用のテーブルを挟んで、宇井と琥珀が向かい合って座っていた。
琥珀の手には次の捜査に関する資料。
仕事を終えるにはもう少し時間が掛かりそうで、その休憩にと席を離れてコーヒーを淹れた二人だった。
しかし話は流れて、琥珀が疑問点があると宇井に訊ね、結局、仕事の延長のようになっていた。
質問を理解した琥珀は唇に指を当て、ゆっくりと答えを馴染ませるように、再び資料に視線を落とした。
長い睫毛が伏せられる。
いつの間にか程好い熱さにまで温度の下がったコーヒーを口に運んで、宇井は琥珀を眺める。
宇井の視線に気が付いた琥珀が、「休憩なのにすみません」と眉を下げる。
「構わないですよ」と答えて、また一口、口に含んだ。
質問があるのは悪いことじゃない。
関心があるから疑問が沸き、それを伝えることは、仲間との相互理解を深めることにも繋がる。
ふと、暗闇に沈んだ窓の外に宇井が目を遣ると、ぽつぽつと雨粒が硝子を叩いていた。
「(雨音、してたのか…)」
いつからだろうと思いながら、琥珀が資料を捲る音を耳が拾う。
ぴく、と琥珀の頭が揺れて、おもてが上げられる。
どうかしましたかと訊ねようとした時、課の入り口附近がやや騒がしくなって数名の捜査官が入ってきた。
──直前で雨が降るなんてツイてない──
──でも少し待てば止みそうですよ──
若干の疲れが窺える面々。中には、上着に付いた水滴を払っている者もいる。
どうやら雨は、たった今落ちてきた様だ。
逞しい背広の奥に見え隠れする班長らしき人物が、報告書は明日に回して本日の解散を告げる。
班員らの低い声が答える。
疎らに散ってゆく彼らを──その向こうの彼の人の姿を確認して、ほっとしたような息が近くから漏れた。
「…タケさんの班でしたか」
「そうですね」
宇井が視線を向ける琥珀。
その琥珀の視線はデスクに着いた丈に注がれている。
「………行かないんですか、琥珀」
帰り支度を済ませた者達が丈に挨拶をして、銘々にオフィスを後にする。
「私は昨日お話したので。今回は郡さんにお譲りします」
「恋人を差し置いてなんて行きづらいったらないですよ」
「郡さんだって平子上等とお話ししたそうな顔してますもん」
琥珀は嬉しそうににこにこと笑う。
「べ、別に…そうでもないですよ──」
図星が半分、もう半分は琥珀の眩しい笑顔に押されて、宇井がたじろぐ。
どうやら琥珀の中には、"丈に好感を持っている人"は琥珀にとっても"いい人"という基準があるらしい。
例えばそれが、丈に対してのみ友好的で、琥珀に対しては刺々しい態度の人間であっても、琥珀のその法則は守られる。
本人に聞いたことがないので、宇井も明確に知っているわけではないが。
「(変な性格だ…)」
自分の得にはならないのに。
「さあっ。どうぞ、郡さん」
「さあって…勢いを付けることでもないでしょう」
「私はもう少し気になる部分を読んでおきたいので。だから、今はいいんです」
琥珀は宇井の背を押すように言う。
残った平子班の最後の一人もオフィスを出た。
わざわざ見送られてというのもどこか気恥ずかしかったが、結局押し負けて「そんなに言うなら」と宇井は席を立つ。
丈はデスクで書類の仕分けを行っている。
琥珀がいることには気が付いているのだろうかと考えながら、宇井は声をかける。
「お疲れ様です。タケさん」
どういうわけだかやや緊張気味の自分に、頭の中でつっこみを入れながら。
顔を上げた丈は、ああ、と答える。
「今、お時間宜しいですか?」
丈はまた、ああ、と答えると、今度は手に取った書類を置きながら続けた。
「琥珀が来ると思ったが」
「ええと、まぁ、それは……」
セオリーを外れるとこういう事故が起こる。
宇井は心の中で、やっぱり琥珀が来た方が良かったじゃないかと恨んだ。
「お前に言いたいことがあったから丁度良かった」
「──えっ?…私で良かったんですか?」
「ああ。問題ないが………どうかしたか? 」
「いいえ、こっちの話ですっ。…それで、私に何か?」
ミスはしていないと思う。書類か。もしくは任務だろうか。数日前の任務なら合同だったが、何かあっただろうか──。
宇井は思い付く可能性を片っ端から潰していく。
その後ろを琥珀が通ったらしく、丈が視線だけで応え、宇井も気が付いた。
「………」
「郡。出世頭のお前の姿があると、うちの班の者にも良い影響になる」
「え」
部屋を出ていく琥珀の気配に半分ほど気を取られていた宇井は、残りの半分で丈の言葉を理解する。
丈は書類を一枚手に取ると、流し見て、ペンで記入して横へ分けた。
「先日の作戦の組み立てもだが、お前が一緒だと作戦中の咄嗟の動きも、対処がしやすい」
また機会があったら宜しく頼むと。
宇井を見上げて平素の口調で。
業務連絡かと聞き間違えそうな淡白さだが、間違いなくそれは宇井への誉め言葉だ。
「い、いえ、そんなっ、普通に──っ、…私はいつも通りに、していただけですよ」
「そうか」
「タケさんとは有馬さんのチームで一緒だったので、私も、その…だいぶ自由に動かせてもらいましたし」
丈は部下や後輩への言葉を惜しむ性格ではない。
良いことは良いと、褒めるべきはそうするし、注意すべき箇所はしっかりと伝える。
「(でもこれは…ベタ褒めも良いところだ…)」
宇井は来て良かった、と噛み締める。
丈の元へ行くよう譲ってくれた琥珀にも、今度美味しいと評判のコーヒーを奢ってあげようと思った。
丈はやはり寡黙だと思う。
琥珀は…そうでもないと言うが。
丈が伝える言葉は少なく、その少ない言葉も必要な言葉だけ。同僚達と集まっても会話の殆どを聞くばかりで自らはあまり話さない。
丈と琥珀が一緒にいるのを見かけても、二人の会話というよりは、にこにこと楽しげに話しかける琥珀に丈が応えるといった様子だ。
それでも、恐らく琥珀は──、
「(琥珀は…タケさんと一緒にいられるだけで嬉しいんだろうな)」
先ほど丈が戻ってきた時の琥珀の反応を思い出し、宇井は思う。
丈が無事に帰ってきたことに安堵の息を零し、話の中で丈を呼ぶだけで柔らかく笑うのだ。
「(きっと、他の誰の名前でも。琥珀をあんなふうに微笑ませることはできない)」
ちり、と、微細な棘が胸の裡に傷を付けた。
──それから、と続ける丈の声が耳に入る。
「琥珀の相手をしてくれているようで助かる…」
「あ…」
「?」
「…いえ……」
まさか琥珀のことを考えていたなどとは言えない。
最初は丈のことを考えていたのに。
そうすると必ず、同じように琥珀の姿が脳裏に現れてしまう。
向かい合っていた時の。
書類を捲った琥珀の、考え込んだ指先が唇に触れるのは癖だろう。
書面の文字の最後まで、焦げ茶の瞳が辿るのを待っていたら、「見られていると、なんだか焦ってしまいます」と照れ笑いをされた。
自意識過剰ですと即座に返したら、琥珀は口を尖らせた。
同僚や後輩の前ではそれなりに真面目な姿を見せているようだが。近くにいるのが見知った相手だけとなると、そういう子供じみた仕種をするのだ。
「(その程度には、気を許されているのだろうか…)」
誰にも聞くことのできない問いが浮かび、消えた。
代わりに口から滑り出るのは、当たり障りのない質問。
「──やっぱり心配ですか、琥珀は」
宇井からの問い掛けに、丈は一度、口を閉ざす。
言葉を探す沈黙があって、そうだな、と嘆息。
「組織の中で…異質だからな」
本人の人当たりの良い性格とは裏腹に、琥珀が交流を持つ者はそう多くない。
「…心配が過ぎると思うだろうが」
「いえ、そんなことは──…」
琥珀が局に身を置くようになって月日も流れた。
それにより風当たりは幾らか良くはなってきていた。
とはいえ内心で琥珀に嫌悪を抱かない者でも、仲間内での空気というものもある。
そして未だに、あからさまに顔を顰める者や、陰湿な態度を取る者は勿論いる。
「(傍に居てやりたいと…思うんだろうか、タケさんも)」
言葉少ないこの先輩は、どのように琥珀に伝えてきたのだろう。
仕事上、何が起こるか分からない職務でもある。
琥珀の対人関係の問題を差し引いても、今度は"捜査官"という、危険と隣り合わせの不安定な日々がのし掛かる。
宇井は、先ほど丈の無事を確認して明らかな安堵を表した琥珀を思い出す。
「…もう大怪我なんてしないでくださいね。尊敬する先輩の恋人なんて、どう慰めたらいいのかわからないですよ」
数ヵ月前に丈が怪我を負ったあの光景が宇井の脳裡に浮かぶ。
「…随分と無茶を言うな」
「無茶を承知での、これは陳情です」
遠目にも判るほど腕を赤く染めた丈。
琥珀はその当人よりも狼狽えていた。
ひとり離れて隠れた場所で、体の震えを押さえつけるように自分の腕を掴んでいた。
たった一言、言葉をかけただけで琥珀はぼろぼろと涙を零した。
その姿を、丈さんは知らないでしょうと、宇井は心の中で語りかける。
私だって彼女が好きなんです。
タケさんだって好きなんです。
「傷心で弱った女性を独り身の男の前に放置するとか。人でなしなことは、もうしないでくださいね」
琥珀は辛い気持ちをすぐに押さえ込んでしまう。
堪える琥珀に手を差し伸べれば、引き出される無防備なその姿を愛しく思ってしまう。
惚れた弱味なんてよく言ったものだ。
泣き顔を見れば慰めたくなるし、笑顔を見せられれば鼓動が跳ねる。
それが自分ではなく、違う男に向くものだとしても。
僅かでもいい、一時でも自分を映してくれるのならば。
冗談めいた仕種を、声を、作り出して、これで良いんだと自分に聞かせる。
その証拠にほら、と、もう一度、心の奥で自分が言うのだ。
悪いな、と丈が肩の力を抜いた。
「…あいつをそう言ってくれる男だから、お前に頼ってしまうんだろうな」
損な役回りだと知っている。
けれど、その役を降りるつもりもない。
寡黙と言われる先輩に頼られる立場も、愛しい人の数少ない弱味を見せられる相手でいることも。
宇井にはどちらもが手離し難い。


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