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ひなたを抱く

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午前中の陽射しで暖かいリビングに、出汁の匂いが漂っていた。
大きめの土鍋の底には、下茹でをして、面取りと隠し包丁を入れた大根が。
昆布も放り込まれて。
面取り済みのじゃがいもに。
こちらも下茹でと隠し包丁済みの三角こんにゃく。
くつくつと煮えて、ぽこぽこと土鍋の中を泳いでいる。
あとは練物数種に、ちくわぶ、がんもどき、餅巾着…は夕方に入れるから分けておいて──…、
琥珀の動きがぴたりと止まる。
「あっ。うずらの卵、買うの忘れちゃった…」
「普通の茹で卵でも構わないぞ」
「うーん…そう…?ごめんね」
「…ああ。銀杏の皮を取り終わったが」
「ありがとう。それも入れちゃうから頂戴ね」
殻を取って茹でた銀杏は、丈に皮を剥いてもらった。
それからそれから──…。
琥珀は一つ一つを指折りに数えて確認した。
「お出汁と調味料のバランスも………ん"、大丈夫」
味見をしてヘンな声が出る。
「…いつもこんなに準備をしていたのか」
「んー?…そうそう、こんなに下準備してたの。お鍋をセットするだけで、おでんが完成すると思った?」
「…。全部放り込んで煮るだけだと思っていた」
「ふふ、煮るだけじゃないの。あ、茹で卵も作らなきゃ」
琥珀は言った傍から、銀杏を茹でた小鍋を洗って水と卵を入れて火にかける。
「おでんが晩ごはんに出てくると冬って感じがするね」
鍋やら計量カップやら。
流しに溜まった調理器具を、今度は手際良く洗っていく琥珀。
テーブルに着いて見ていた丈も立ち上がる。
「あーっ、だめ!」
「…拭くくらいなら手伝える」
「いいのっ。これくらいなら一人で十分だもの。丈兄は安静にしててください」
琥珀のぴしゃりと厳しい言葉で丈は席に座り直した。
ここで粘った所で頑として受け入れないだろう。
丈が大人しくしていると、小鍋の火加減を調節をする琥珀も柔らかい表情をになる。
夕飯の支度から片付けまでの全てを任せてしまったが、琥珀本人は大した面倒とも思っていないようだ。
丈が眺めていると、気がついた琥珀がにこりとする。
昨日、丈を見た途端に曇った琥珀の顔。
こうして晴れたのならば、それが一番良い。
服の下で包帯が巻かれ、三角巾に吊られた左腕を庇いながら丈が立ち上がる。
「琥珀」
「なぁに?」
「手ぐらいは洗っても構わないか。銀杏の匂いが移った」
「あ──ご愁傷さまです」
でもきっと美味しく煮えるよ、と、琥珀は泡だらけの手のまま、丈の立つスペースを空けた。


琥珀が丈を見て表情を曇らせたのは昨日──"喰種オークション襲撃作戦"の翌日のことだった。
「え、ど…どうしているの丈兄、…病院は?入院…したんじゃなかったの──…?」
午後、平子班のデスクに届け物に来た琥珀は、何とも形容し難い──強いて言うなら困惑の表情で丈を見た。
理由は簡単で、前日の戦いで怪我を負い、任務終了と同時に医療班の車両で病院に直行する丈の姿を見ていたからだ。
「入院ならしただろう。深夜から、今朝まで」
「ほらぁ〜タケさん。やっぱ入院て言うには短すぎるんですって。日付け同じだし」
「君塚ちゃん、こっち座って話しなよ。兄さんの椅子貸してあげっから」
呆然とする琥珀を、道端が手招きして椅子に座らせる。
作戦明けで遅めの時間に出局してきた平子班の面々も、2、3日は丈が不在となるだろうと思って事務処理を振り分けていた。
なのに皆が揃った頃、普通に丈もやってきた。
本人曰く、
「酷いのは左腕だけだ。輸血も点滴もした。デスクワークなら問題はない」
「………。」
先ほど班員に告げたものと同じ言葉を琥珀に告げる。
けれど琥珀は、三角巾に吊られた丈の左腕をじっと見たままだ。
「(…琥珀ちゃん、全然しゃべらないんだけど…)」
「(まぁあんだけ血ぃ流してりゃ入院コース考えるだろ。顔色もまだ悪いしな、タケさん)」
書類で隠しながらひそひそと。
倉元と道端が(あと班のメンバーも仕事をしながら)二人を伺っていた。
すると琥珀の瞳に、じわっと涙があふれ──
「………琥珀、」
「──っ!まだっ…!まだ出てませんっ…!」
瞳に、くっ、と力を込めた琥珀が懸命に瞬きを我慢する。
しかし琥珀の、ハの字で寄せられた眉も、きゅっと結ばれた唇も、 とっくに泣いているようなもので。
「…琥珀、痛み止めが効いているから、思ったよりは平気だぞ」
「でも痛み止め飲まないと痛いんスよね、やっぱ」
倉元の言葉で、「…ぅっ」と琥珀が唇を結ぶ。
「…倉元、余計なことは言わなくていい…」
「い、いいの丈兄っ……倉元さんも…ありがとう。私も丈…平子上等の、邪魔…、したくないから──」
「でも君塚ちゃん的には大人しくしててほしいんだよな?言っといた方が良いぜ、そういうのは」
道端の気遣いの言葉で琥珀の涙腺が緩んだ。
肩に、ぽん、と置かれた手のごく軽い揺れで、ほろりと涙が落ちた。
「ぁ……、」
ガタッ。
ギィッ──。
根津が身を乗り出して丈のデスクから書類を取り上げ、倉元へ手渡す。
席を立った梅野は丈が座るキャスター付きの椅子を、丈が立ち上がりやすいように後ろへ引く。
倉元は書類を受け取って班員のデスクに振り分け、よし、と満足気に頷いた。
「タケさん。帰りましょっか」
「………」
「くらもっちゃんの言う通り。女の子泣かすのは良くないでしょうよ」
道端がニヤニヤしている。
「ちなみに明日来てもタケさんの仕事は無いんで」
他班に比べてガタイの良い面子が揃った平子班の、自宅療養さあどうぞ、という無言の圧力。
「………」
丈は手前から順番に班員を見ていく。
最後に、無言で先輩らの所業を見守っていた武臣と目が合うと、
「お疲れ様です」
トドメの一言を放たれた。


その後、追いやられるようにして帰宅を促され、気がついたら丈と琥珀は家路に着いていた。
琥珀の方も、いつの間にか倉元から宇井経由で有馬へ連絡されていたらしい。(明日の昼までの休みだ)
一段と陽が短くなった夕焼け空の下、最寄り駅の改札を出て、丈は琥珀に、食べたいものはあるかと聞かれた。
晩ごはんということなので、丈は栗ご飯とおでんを頼んでみた。
結果、その日の夕飯が栗ご飯となり、準備の必要なおでんが翌日となり──今日に至る。


「(ウチの班の…絶対に面白がっているな……)」

そう思いながら丈は、局へ戻る支度をする琥珀にコートを渡し、薄暗い玄関の明かりを点けた。
玄関は部屋の北側に位置するために、空気がひやりとしている。
「じゃあ、あとの具材は夕方になったらお鍋に入れて一時間くらい煮込んでね」
「ああ」
「おつゆも溢れやすくなるから。時々見て他の入れ物に分けてね。継ぎ足し用だから捨てちゃダメ」
「ああ」
「あとは──」
心配しても足りないと早口になる琥珀の頭に、丈は手を置く。
「そんなに心配するな」
「…本当に平気?」
「…ああ。はんぺんはちゃんと最後に入れる」
潰れるからな、と丈が付け加えると、琥珀は「よくできました」とマフラーを首に巻く。
琥珀のお気に入りのマフラーはボリュームがあり、口許までが暖かそうに埋もれている。
外は良く晴れていたが、11月ともなると昼間でも空気は冷たい。
「…私だけ先に家を出るのって、なんだか不思議ね」
ヒールのある靴を履いて、しかし土間の分だけ低い位置から琥珀が見上げてくる。
いつも二人で一緒に出ていく玄関だ。
「…そうだな」
「うん。じゃあ、行ってきます」
見送る立場というものの感覚だろうか。
丈はあまり感じたことのない、隙間風に吹かれるような涼しい心持ちになる。
リビングの暖かさに、そのまま包まれたような琥珀は、また暫くこの部屋からいなくなる。
気が付いたら丈は琥珀を呼び止めていた。
「どうしたの、丈兄?」
「──いや…、何でもない」
「そう?じゃあ、また局でね」
ひらりと手を振って、ガチャリと音を立てて玄関扉が開く。
昼間の明るさに満ちる外へ、琥珀が出ていき扉が閉まる。
次に琥珀が部屋を訪れるのはいつにな──
「忘れ物しちゃった…っ!」
「………」
閉じた扉がまた開き、同時に琥珀が飛び込んできた。
表面にはあまり出ないが丈はやや驚いた。
「…何を──」
忘れたんだ、と聞こうとした丈の右側の胸、吊られた腕の内側に身を滑り込ませて、琥珀が勢い良く抱きつく。
反射で丈も琥珀を抱える。
丈の背中に回された琥珀の両腕にぎゅっと力が込められる。
「丈兄もっ」
訳もわからず言われるままに、丈は右腕で強く琥珀を抱き締める。腕がやや痛んだが構わず力を込める。
しがみつく琥珀の足が少し浮いて、腕の中でくすくすと笑った。
「丈兄、力持ちね」
「…怪我をしていても捜査官だからな」
靴先を床に着けてにっこりする。
「怪我の治り、遅くしちゃった。もう動いちゃだめよ、丈兄」
「動くのもだめか」
「うん」
丈の腕の中から見上げる琥珀が、もこもこと膨らんだマフラーに包まれながら無理な難題を口にする。
「琥珀」
「なぁに?」
「…忘れ物は何だ。取ってくる」
「ふふふ、もう済んだから平気」
「…そうか」
「玄関、上着がないと寒いでしょ」
「今、温まったから平気だ」
「夕方になったらリビングも冷えるから、暖かくしてね」
「おでんで温まる予定だ」
「はんぺんで?」
「はんぺんで…」
「ふふっ、じゃあ、そろそろ行くね?」
「…ああ。また──…、局でな…」
「ん。またね」
琥珀が身体を離し、行ってきます、と今度こそ玄関を出た。
屋外の足音が遠ざかるのを聞き届け、玄関を鍵を回す。
リビングに戻ると暖かな空気と出汁の匂いが残っている。
嵐のように飛びついてきた琥珀のおかげで、寂寥感もいつの間にか消失していた。
「…敵わないな」
せめてこの独り言でくしゃみくらいは仕返しできてはいないだろうか。
確められず残念だと丈は思った。


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