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ドーナツはお好き?

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メモ帳の中を見る気はなかったのだけれど。
運悪くそれは、内容がびっしり書き込まれたページを開いて地面に落ちた。
「あの──、落としましたよ…っ」
落とし主の長身の後ろ姿と、拾おうと手を伸ばした先のメモ帳と交互に目をやりながら、琥珀は立ち去りつつある機敏な動きに慌てて声を張った。
振り向いた男はメモ帳と琥珀を見てやや固い顔になる。
代わって琥珀はやや驚いた表情になる。つい見てしまったメモと、男との繋がりの意外性に。
琥珀の手元で閉じられたメモ帳を見て、意思の強そうな太い眉が寄せられる。
「メモ帳を拾ってもらい感謝する。…返してもらえるか」
「どうぞ…」
「………。では」
「あっ。あの──」
「…何だ」
「中、入らないんですか…?」
琥珀と男との間には、木製の枠にガラスを嵌めた扉がある。
「…何故だ」
「なんだか、悩んでいたように見えたので」
「………。たまたま…通り掛かっただけだ」
男はぴたりと口を閉ざして、再び立ち去ろうとした。
しかし琥珀は、「今日からの新商品もあるみたいですよ」と弾む声で呼び止める。
「良かったら、一緒に見ていきませんか?」
「メモを…見たのか」
「はい。すみません」
不可抗力とはいえ琥珀は謝る。
男は少し決まり悪そうに黙ると、逡巡し、しかし意外にも琥珀の言葉に乗った。
コツコツと長い足をコンクリートの石段に掛けて、扉の手摺りに手を掛けた。
ふわりと店内から甘い香りが漂う。…残念ながら、喰種の琥珀にはその"甘さ"とやらを感じられないのだが。
男の固い表情が僅かばかり緩んだのを、琥珀は見逃さなかった。
「お好き…なんですね、亜門さん。ドーナツでしょうか?それとも甘いもの全般ですか?」
「どちらともだ」
返答の速さに、亜門が失敗を堪えるように口許を結び、琥珀は相貌を崩した。
ドーナツマイスター。
20区にあるドーナツ有名チェーン店のウィンドウ前。
午後3時。亜門鋼太朗と琥珀とのやり取りだ。


「私が声を掛けたのは琥珀のみだったはずだが」
何故こうなったのだ。
不可解と言わんばかりの据わった眼差しを向けるアキラに、滝澤がカチンとし、亜門が眉間に刻んだシワを深くした。
「俺は最初から居たろ!後から来たお前に言われる筋合いはねぇっつの!」
「部屋に入ってすぐ、4時からはここを使うと宣言した。それまでに出ていかなかったお前が悪い」
「どーゆー理屈だ!あと"お前"ってゆーな!」
「お前も私のことは"お前"と呼ぶだろう。おあいこだ」
滝澤の反論が続いていたが、アキラは机に広げられていた滝澤の資料を押し退けてスペースを作る。
「掛けてくれ琥珀。お茶会にしては些か煩いが、まあ気にするな」
「ふふ。それじゃあ、お邪魔します」
アキラの肘に押されて寄った資料に滝澤が抗議の声を上げているが、アキラは完全スルーだ。
持ってきたポットとインスタントコーヒーをセットしはじめる。
琥珀も亜門に席を勧めながらドーナツの紙箱を開く。
「あ、亜門さんはドーナツ屋さんでばったり会って。お勧めを教えてもらったついでに連れてきちゃった」
二人は今、組んでるんだよね?と琥珀が訊ねると、亜門とアキラがほぼ同時に頷く。
「君塚とアキラも顔見知りだったのか」
「有馬班で少々な。しかし…亜門上等が甘いものに目がないのは知っていたが、今回は違う種類の甘いものに釣られたようだな」
「…今日はドーナツの新作が出る日で、それを買うつもりだっただけだ」
「知っている。冗談だ」
「………」
ぐっと押し黙る亜門と、フフフと笑うアキラ。
琥珀は「この感じ懐かしいなぁ」と思いながら紙袋を畳んだ。
真戸と自分もこんな感じだったのだろうか。

アキラの言う通り、二人は有馬班で顔を合わせてはいたのだが、琥珀は他班へ駆り出されることも多く、ゆっくり話をしたことがなかった。
その内にアキラは20区捜査班への移動となってしまった。
そこで、たまたま近かった琥珀の休日と、アキラの休憩という忙しない時間ではあったが、支部にてお茶会を開くことにしたのだ。
アキラと亜門に目を向けている滝澤へ、琥珀は紙ナプキンを差し出す。
「滝澤君も。良かったら食べてください。勢いでたくさん買っちゃったから」
声をかけられて、琥珀に見られていたことに気づいた滝澤がびくりと肩を揺らす。
「滝澤君はアキラちゃんと同期なんだよね?確かアカデミーでも一緒だったって」
「…そうだけど。そんなことより…喰種が食べ物を買うのかよ」
「もちろん。私が食べるためじゃないけど」
琥珀と、差し出されたままの紙ナプキンとを、滝澤は見比べる。
動いたのはアキラだった。
「無理にとは言わん。新作は美味しそうだから滝澤が食べない方が都合も良い」
「な──!俺は食べないなんて言ってないぞ!」
「即決の出来ない男はチャンスを逃す」
「〜〜〜っ!!!」
「亜門さんも、どうぞ」
「ああ…」
アキラと滝澤のやり取りには慣れているのだろう。
琥珀が目を遣っても、「いつものことだ」とドーナツを掴む。もちろん新作の中でもイチオシの一品を。
「(三人…。多めに買ってよかった…)」
「君塚は、よくこういう買い物をするのか?」
「そうですね。差し入れとかでも買いますし。あと見るのも好きで」
「見る?」
「食べられないですけど、お店のショーケースのお菓子、可愛いですよね。色とか形とか」
「…そうだな。見映えは購買意欲に関わってくる重要な要素だ」
やや間を置いて真剣に答えた亜門に、琥珀はこっそりと微笑む。
先ほど拾ったメモ帳に書き込まれていたのはドーナツマイスターのドーナツメモだった。しかもかなり詳細な。
亜門とは以前に一度だけ会っていたが、一緒にいた真戸が、亜門くんは辛いものがダメだからなと、からかっていたのを思い出す。
「(スイーツ男子…)」
亜門は立っているだけでお堅さや真面目さを醸し出す。
そこに潜む中身がコレと知ったら真戸でなくとも構いたくなるだろう。
「差し入れか。……ちなみに君塚はどういったものを買うんだ?」
質問の一つでも、まるで市場調査の雰囲気だ。
「うーん。こうやって休憩の約束がある時はドーナツとか生菓子でしょうか。でも大体は、個包装のお菓子ですね。…あとはあの……お休みの日のお煎餅とか…」
「和菓子か。渋いな」
「えっと…まあ。おかきとかも……好きなので」
「そうか。和菓子も悪くはないが、やはり洋菓子と比べると華やかさが──」
亜門やや食い気味に菓子について語りはじめようとしたその時、滝澤を相手にしていたアキラが素早い反応で間に入った。
「その煎餅好きというのが彼だな。私はまだ話したことはないのだが、地味だが優秀な捜査官と聞いているぞ」
「…アキラちゃん、地味はいらないです」
「失礼。上等捜査官となる以前は有馬特等と組んでいたのだろう?その時は琥珀も一緒に動いていたのか?」
「うん、その時は三人で動いてたかな」
アキラに放り出された滝澤も有馬の名前に反応する。
「そういえばお前、その上等と幼馴染みなんだろ?で有馬特等が捕獲したって聞いたけど、よくその場で殺されなかっ──いででででっ!」
「煩いぞ滝澤、今は上等の話だ」
アキラに強く頬を引っ張られた滝澤が傾いた。
「くそっ!ドーナツ食ってやる…!」
「政道、そのドーナツはモフモフとした食感が売りのドーナツだ。急いで食べると喉に詰まらせるぞ」
「…亜門さん、亜門さんがドーナツマニアって噂、本当だったんですね」
「ん?ドーナツ以外も詳しいとは思うが」
「うぉぉ、硬派の夢が……いやっ!何にでも真剣な亜門さん、やっぱり格好良いです!」

亜門と滝澤の注意がドーナツに逸れたので、琥珀も先ほどから気になっていたものに目を向けた。
「アキラちゃん、私もコーヒー頂いていい?」
「遠慮せずに飲んでくれ。インスタントだが中々いけるぞ。でだ、琥珀。上等とはどんな人物なのだ?」
今日はそれが聞きたかったとアキラが身を乗り出した。
「有馬特等にも伺ったのだが、"タケはタケだし" くらいしか聞き出せなくてな」
「うん…有馬さんらしいね」
「上等の階級にずっと留まっているというのが…どこか重なってな。有馬特等と組んで、かなり長かったのだろう?ならば実力も相当だろうに──」
「ア、アキラちゃん良い子…!ドーナツも食べて食べてっ。亜門さん、今季はチョコがあたりなんですよね?」
「ああ、夏に向けてフルーツと併せて推したことがマッチしてな。政道の食べているホワイトチョコのドーナツも今日からの新商品だが──どうだ、政道」
「ん?んー、普通にウマイですよ。俺チョコ好きなんで」
「…滝澤、そのドーナツは一つしかないようだが」
「あ?あ〜…そーみたいだな。残念だったなアキラ」
「……ひと口」
「は?」
「ひと口、囓らせろ。それで我慢してやる」
「う、うお…っ!近いっつの!そんなに食べたかったのかよっ!」
「元々は私と琥珀だけの予定だったのに、遠慮せずガツガツ食う奴があるか。ちなみに私もチョコは好きなんだ」
食べ物の怨みは大きいと言うが、アキラはネズミを狙う猫のような瞳で滝澤を──その手元を見る。
「…あのドーナツ、お店でも最後の一つでしたよね。亜門さん」
「そうだな」
「見た目も可愛かったですし」
ほぅ、と、ドーナツの全貌を思い出して琥珀が頬を緩ませる。
焼きドーナツのさっぱりとした生地にレモンの風味付けをしたホワイトチョコ、加えてナッツとドライフルーツのトッピングは、いわゆるドーナツを体現しつつ、抑えめの配色が憎い一品だ。
うっとりと残りのドーナツを眺める琥珀を横目に、亜門もまた一つに手を伸ばす。

君塚琥珀とは。
──喰種にしてはぼうっとしたヤツだぞ──
亜門のパートナーだった真戸の見解だ。
育った環境の賜物か、アレは戦いに向いていない、とも言っていた。
「(喰種の中でも、人間と対立するものもいれば、人目を避けて生きるものもいる…)」
亜門がしばらく前に出会った眼帯の喰種も、戦いを選択しながらも、全てをそれで得ようとしない喰種のようだった。
喰種でも厄介なのは、まるで人畜無害の善人の貌を掲げて近付き、手懐けた人間を殺し喰らう類いのもの。
「亜門さんもコーヒーはいかがですか?」
「……貰おう」
「お砂糖とミルクは多めにします?」
「…ああ…」
これも甘めで良いんですねと、亜門に訊ねた琥珀が楽しそうに笑う。
果たしてそれに属するのか、君塚琥珀という喰種を知らない亜門にはまだ判断がつかない。
CCGが捜査官として管理しているとはいえ、後ろから喰われないという保証にはならない。
嘘が巧いものほど人間らしく、優しい。
亜門の耳の奥で甦る、育ての親の穏やかな声色。
──帰ったのか、鋼太朗。今日はドーナツを用意しておいた。皆で食べなさい──
「やっぱり、お腹の空く時間なんですね。全部食べきれそう──」
自分では口にしなかった。
他人に勧めるのは、それでは飢えを満たせないから。
あの男も。
目の前の琥珀も。

「なぁ、アンタは…俺たちを見て喰いたいって思わないのかよ」
滝澤のやや固い声に、亜門は記憶の日々から立ち戻る。
コーヒーを口に運ぶ琥珀が動きを止め、アキラが半眼を向けた。
「呆れるな」
「はあ?お前は居心地悪くないのかよっ。…喰種と戦う後ろにも、喰種のコイツがいるんだぞ」
「それは24区で一緒だった私の方がよく理解している」
「…自慢かよ」
「事実だ」
二人のやり取りを見ながら、亜門も琥珀を窺う。
亜門自身も、少し前の自分ならば滝澤のように食って掛かっていただろう。
今、息巻かずに喰種の琥珀と会話ができるのは、喰種に対して独特な考え方を持っていた真戸呉緒という存在と、静かな知性と苦悩とを瞳に宿した眼帯の喰種という変り種と出会った結果だ。
睨み合うアキラと滝澤の間に、琥珀が質問を滑り込ませる。
「──じゃあ滝澤君。不真面目な答えと、真面目な答えと。どっちの答えを聞きたいですか?」
「は?……不真面目な答えって、何だよ」
「言葉の通り。でもちゃんと答えは答えです」
にこにこにこにこ。
琥珀の笑顔と二択に滝澤の意気が削がれる。
「……どっちも」
「欲張りめ」
アキラはそれ以上は口を挟む気はないらしく、一口サイズのドーナツをピックで刺して口に運んだ。
素直で良いと思いますと琥珀が微笑む。
「じゃあ先に、真面目な方の答えです。滝澤君に逆に質問になるけど…もし私が作戦中に味方を喰べたら、私はどうなると思う?」
そんなもの、と滝澤が鼻白む。
「その場で駆逐されるんじゃないのか」
「はい。だから私は味方は襲いません。私だって、死にたくないもの」
滝澤はやはりストレートな物言いだったが、琥珀は気にせずに答える。
疑われることになど、とおに慣れて磨耗すらしている。
入局して以来、琥珀と新たに接する人間からの何度も繰り返される質問。
好奇心や純粋な疑問の声は稀で、悪意を籠めた質問が殆どだった。
琥珀の凶暴性を見出だそうと、意地の悪い言葉を投げられ続けた。
だから底意地の悪い質問には同じ様に返してきた。
作り笑いにも自嘲にも。仮面を被って演じることに、この数年でとっくに慣れてしまった。
「…じゃあ不真面目な方の答えは、何なんだよ」
ただ、怖れを残しながらも奥まで覗こうとするこの物言いは、裏表というものを感じさせない。
滝澤と話をしているとどこか懐かしく感じた。
高校生からそのまま大人になったような。
そんなこと当人に伝えたら怒られるだろうかと考えながら、琥珀は声のトーンを落とした。
「エグいお話でも…平気ですか、滝澤君」
「な、何だよいきなりびびらせて…」
「自信がないなら聞かん方が良いぞ、滝澤。何と言っても、琥珀は怖い怖い喰種なのだからな」
「アキラは黙ってろってのっ。…エグくたって聞ける。喰種捜査官だぞ…!」
何処か意地を張る体の滝澤を前に、琥珀の瞳にイタズラ心がちらつく。滝澤君、と。
「…私の好みの部位って…内臓なんです」
「な、内臓…?」
滝澤の身体をゆっくりと、華奢な指先がなぞる。
「丁寧に時間を掛ければ綺麗に取り出せるんですど。急ぐと辺り一面が──…だから任務中にはちょっと。わかって貰えますか…?」
「…な、内臓ぐらい!人間だって喰ってるぞ!鶏とか牛とかっ!」
「滝澤よ、それを対抗してどうする」
「ぷっ…ふふふっ、ごめんなさい。滝澤君ってからかいやすくて。素直だから」
「どちらかというと馬鹿素直と表現すべきだ。アカデミー時代からこうだったぞ」
「言っとくけどなアキラ、お前の可愛いげの無さもアカデミーから変わってねーぞ!」
「お前に可愛さ云々を評価されたくなどない」

一言交わせば喧嘩に発展する流れはもはやお決まりだ。
この数十分で学んだ琥珀は、お代わりのコーヒーを淹れる。
「私について、どう判断するかはお任せします」
亜門さん。と。
騒がしい二人には聞こえていないであろう琥珀の声に、突然呼ばれる。
にこりと笑い掛けられて、亜門は思わず琥珀を見た。
「亜門さんも、素直な方のようなので」
「っ──…、顔に出ていたか…」
「はい。亜門さんも真戸さんにはよくからかわれたんじゃないですか?」
「………そうだな──」
やっぱり、と琥珀は肩を揺らす。
「ドーナツ屋さんからずっと、私の扱いに困っている顔をしてましたから」
つられるように亜門も嘆息のような息を漏らす。
亜門自身は君塚琥珀を知らない。
だが真戸は。琥珀を知っていた真戸は、他に何と言っていただろうか。
──他人の言葉をあてにするな。自分の目で見て、考えろ──
記憶の中の上司は意地悪く笑うばかり。
亜門が絶対の信を置く組織の中で認可され続ける異質な存在。
それを遠ざけるのも利用するも、君次第だと。
眼帯の喰種も、君塚琥珀も。
アキラと滝澤を楽しげに眺める琥珀は、時折くすくすと笑いを零し、あるいは熱くなった一方を宥めている。
「二人とも息ぴったり。同期って羨ましいな」
アカデミーでもこうだったの?と興味津々だ。
「こんな同期で良ければいつでも持っていって構わないぞ琥珀。その間、私は平子上等と話をしてみたい」
「はっ。平子上等がいい迷惑だ」
「知った風な言い方をするな、滝澤。お前も会ったことないだろうに」
「無くても分かるっつーのっ。あ、亜門さんもそう思いますよね?」
「…。平子上等と君塚が、何かあるのか?」
滝澤が「え…」と息を詰まらせる。
アキラがドーナツにピックを刺せずに転がして、琥珀がきょとんとした。
「…ん?どうした?」
「亜門鋼太朗、お前は鈍感すぎる」
「えっと…にぶいって言われませんか、亜門さんも」
「亜門さん、俺も………すみませんっ…!」
「滝澤……お前まで…」


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