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心配している

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──うそ……っ。
いっそ悲鳴にも似た、その驚愕の声を拾えたのは僥倖だった。
解体途中の商業施設の吹き抜けには、破裂音と衝突音が絶えず続いている。それらの激しい音の中に混じった、上方からの微かな声。
敵の赫子の射撃を避けながら部下にも指示を飛ばす最中だった──。その状態を言い訳にするのは容易い。
だが班を率いる身として口にするに相応しい言葉ではない。
吹き飛ばされた建物の破片と共に、上階から落下しつつある小柄な体躯。
初めに気が付いた丈が動く。
喰種グループの手練れに一人で当たらせた自身の判断ミスだったと、瞬時に丈の頭に過る。
しかし後悔するのは後回しだ。
丈は落下地点へ走り込む。此方の事態に気付いた班員に戦闘の続行を言い渡しながら。
「タケさん──ッ!」
「こちらには構うな──、倉元と武臣はそのまま押せ、根津っ、下がれるか──っ」
羽赫を持つ根津に一瞬の視線と声を投げて、落ちる身体と、上からそれに狙いを付ける喰種を視界に入れる。
上方の、離れた場所に位置する敵を攻撃する術を丈は持たない。
故に、その喰種へは手も足も出せず、今、己が出来得ることにのみに意識を向ける。
即ち──落下する琥珀の真下へ、自身の身体を滑り込ませる──。
落ちながら琥珀は、敵の姿から片時も瞳を逸らさない。
追撃に対抗するべく自身の羽赫を広げ、琥珀目掛けて飛び込む喰種へ、無数の棘を産み出し先手を取る。
「(守りではなく攻撃を優先──)」
丈の予想をなぞる躊躇いのない動き。
羽赫による集中砲火を浴びた喰種の体が琥珀からずれる。
琥珀が頭から床へ叩き付けられる寸前に、どうにかその体を抱き止めて床を転がる。そのまま近くの柱の陰へ。
更なる攻撃はない。
抱き止めた勢いで詰まる呼吸。
上下する胸元に抱いた、もう一つの息遣いを感じる。
遠く離れた床に、何本もの棘に胴体を貫かれ、落下の衝撃で頭部が潰れた喰種の姿を確認する。
勢い良く飛び込んだために壁にぶつかった身体が痛んだ。
「ひらこ…、…じょ、と──…」
腕の中で咳き込みながら琥珀が藻掻く。
「──なおったら…すぐっ、戻ります…っ」
腕の中から香るのは血の匂い。
暗がりの中、破れたスーツの奥で修復に蠢く傷口が見えた。
「此処にいろ」
「でも…っ」
「駄目だ」
解体工事を中断しているらしい建物は伽藍堂で、ひたすらに広いこの地階フロアで身を隠せる場所は多くない。
だが先ほど琥珀が仕留めた喰種こそ、今回のターゲットであるグループのリーダーだった。
それを抑えておくために、琥珀は今回の作戦に組み込まれたのだ。
先日、新たに班に加わった者との連携の確認を兼ねての作戦だった。
琥珀が役割を果たした今、この後の戦いは班の者たちのみで対応できる。
「私…、平気…です──っ」
「その身体でか。自分の状態を正確に把握してから言え」
ぐっと言葉に詰まる琥珀。
反論できない沈黙を埋めるように、強く、短い間隔で吐き出される呼吸の振動が伝わってくる。
喰種がどれだけ再生能力に優れていようと、痛覚はある。
琥珀は、持つ赫子の"性質"から、中・遠距離の攻撃と援護を主としてきた。
有馬に鍛えられたとはいえ、全力を使えない状態で、接近戦を得意とする高ランク喰種を相手にするには荷が重かったようだ。
何より傷の治癒の遅さが、これまでの戦いの激しさと消耗を物語っている。
琥珀を黙らせはしたが自責の念が丈の身の裡にじわりと広がる。
「後は班の者だけで対応できる」
「──ま…て、……すぐ、治る…から…っ」
「外にも別班を配置している。お前が出なくても片が付く。休んでいろ」
此方を見上げてくる琥珀の視線が嫌だと訴えているが、丈は聞き入れるもりはない。
すぐにでも戻ろうと丈を押す手を、身体ごと強く抱く。
タケさん、と倉元が急ぎ駆け寄ってきた。
一瞬動きを止め、しかしすぐに報告を行う。
「俺とブジンが対峙した一体は駆逐完了、残り一体が奥へ逃走。後は俺らで対処するんで」
先行する道端と武臣、その足音に続いて根津と梅野が、床に膝を着く倉元の後ろを駆けていく。
「…行けるか」
「余裕っスよ」
「や──、わ、たしも…いけます…、倉元さん…っ」
「ダーメ。琥珀ちゃんの出番はもう終わり。…後はウチらに手柄ちょうだいって」
琥珀の怪我も目に入っていただろうが、あくまでも普段通りの調子で応える。
「最後の一体だ。気を緩めるな」
「任してください」
そんじゃ、と四人の後を追う。
足音が遠くなるのを聞き届けて、丈は琥珀の身体を横抱きにして持ち上げた。
戻るぞと声をかけるが、琥珀は答えない。
建物正面口の開いたままの自動ドアを潜り、足早に路肩に停めてある車へ向かう。
琥珀、と再び呼び掛ける。
「どうして攻撃を優先させた」
「………。倒せると…思ったから…」
「落ちた後のことは。考えなかったのか」
「…ぎりぎりで赫子を使えば…噴射で、受け身が取れたらって……」
その案は赫子を扱う本人が言うのだから恐らく可能なのだろう。
ただ、あの状況を脳裏に思い起こす丈の予想では、行うにはタイミングが遅く、負傷しているという不安要素もあるように思えた。
琥珀自身もその事実に気付いているようで、歯切れは悪い。
「………」
「…丈兄…?」
「…なんだ」
「怒ってる…?」
「………。」
敷地外で待機している捜査員に、移送車の両開きの後部ドアを開いてもらいステップを上がる。
すれ違う際、血に汚れた琥珀の上着を見て捜査員は慌てたが、手当ては必要ないと伝えると、すぐに理解して下がる。
ドアは完全には閉じられず、少し開いた状態だったが中の会話は聞こえないだろう。
車内の両脇の長いシート席は、人員を運ぶ為だけに設置されている簡素な作りだ。
薄いクッションの敷かれたそこに琥珀を横たえる。
最低限の明るさに抑えた照明の下、乾ききらない血に濡れて上着の生地が暗く光る。
「(傷は…もう殆ど塞がっているな…)」
染みがこれ以上広がる様子はなく、血の流れが止まっていることを示す。
だからといって琥珀を戻らせるつもりはないが。
琥珀の頬に負った傷の血痕を指でなぞると、丈を窺う瞳とかち合い、……逸らされた。
拗ねるとは…恐らく違う様子の、琥珀の表情。
「…琥珀」
「……」
「……怒ってはいない」
「…本当…?」
「…あの事態に陥ったことを失敗だったと理解しているのだろう。なら、怒る必要はない」
ただ、釘は刺しておかなければならない。
「琥珀」
「……。はい」
「任されたからといって、全てを、必ずしも背負わなくていい」
琥珀は唇を結び、視線を逸らす。
「今回は喰種のリーダーを抑えてほしいと言ったが。作戦は班全体で動く。お前が踏み込めなかった分は、他がフォローする」
琥珀の戦い方で捜査官と異なる部分。
それは琥珀自身が喰種であることに依る。
琥珀は喰種であることを最大限に活かした戦い方をする。
ダメージを受けてもすぐに回復することを常に計算に入れての戦い方。傷を負うことへのマイナス意識が低いために、己を守ることの優先順位も低い。
訓練と実践を経て技量が上がるに連れて、怪我の頻度は減った。
しかし必要とあれば、自身を盾にすることも犠牲にすることも、琥珀の選択には含まれるのだ。
局に身を置くというプレッシャーも、効率と成果を求めてしまう要因だろうが。
そして、他の者の負担を減らしたいという琥珀の思いもあるのだろう。
丈の班と組むことは今までに何度もあり、最早顔馴染みだ。
昔から、自分を後回しにする傾向はあった。
戦いの場に於て、丈に言い含められて多少の改善はあったものの、いつまでたっても直らない。
自覚のない癖──、琥珀とはそういう性格なのだ。
「…直らないな」
溜め息のように、言葉が漏れた。
本当に、いつまでたっても。
「私だって…無理だと思ったら、ちゃんと退くから……。今回は…ちょっと、危なかったけど…」
「………」
「…平子班は…?動きは、上手くとれた…?」
「………ああ…」
「…よかった…」
「………」
「…お…怒ってるんじゃないなら…呆れてる、の…?」
おろおろと、捜査官ではない顔が覗く。
琥珀はやっと落ち着いてきた呼吸で丈に聞いてくるが、丈の胸にあるのは怒りでも呆れでもなかった。
作戦の最中、振り返らない琥珀の瞳。
自分を生かすこと。
味方を守ること。
敵を殺すこと。
いつか本当に失敗してしまわないか。
いつも、失敗しちゃった、と困ったように笑う琥珀が。
いつか自分の知らない場所で、自分の知らない誰かを庇って、取り返しのつかないことになるのではないか。
「──心配している」


161021
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