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眠る羊のあと

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テーブルの上に置かれたままの錠剤を、丈が手に取る。
「琥珀、飲まなくていいのか」
顔を上げた琥珀が、あっ、と少し気まずい顔をした。
食器を仕舞う手を止めて言い難そうに、あるいは言い訳をするように、「あとで…」と答えた。
「あとで飲むから置いておいて」
「…腹が減っているんじゃないのか」
「…ぅ…」
丈が席を外している間に用意されたらしい。
けれど他の用事に気を取られて、忘れて置きっぱなしとなった数粒の錠剤。
人間から作られた、琥珀用の薬。
局外などで必要になった時に摂取する為に作られた、いわば簡易的な食事。
琥珀はその薬を見られることを嫌がっていた。
局の研究員から渡されている薬を、持っていることも、口にする姿も、人に見せたくないというように。
「…減ってるけど…」
丈も琥珀も、半日前に行われた中規模の作戦から帰ってきて一眠りをして、やっと落ち着いたところだった。
特に琥珀は、丈に背負われながらほぼ眠った状態で帰ってきたほど疲労が激しかった。
そんな様子だったのだから今は空腹だろうに。
「琥珀」
キッチンにやって来た丈が琥珀に錠剤を差し出す。
「…まだ飲まなくて平気」
「………」
「…あ、あとでちゃんと飲むから…」
「………」
「………ぅぅ…」
丈が、「琥珀…」と溜め息を吐いた。
「人の食事ばかりを心配してる場合じゃないだろう」
お前もちゃんと飲むんだと言う目に、琥珀は上目遣いで最後の対抗する。
しかし言葉少なく見下ろしてくる丈に押し負けて、ぎゅっと布巾を握り締めた。
それから数分後。
二人は場所を移動して、居間のソファーに並んで座っていた。
ローテーブルにコップ一杯の水を用意して。
「……どうしてそんなに飲ませたがるの…」
琥珀のせめてもの訴えもあって、食器はすべて仕舞い終わらせてきた。
「どうしてそんなに嫌がる」
ごく近く、それこそ触れ合う膝からは、互いの体温が伝わってくる。
その距離から琥珀は逃れられない事態を覚悟して、「だって…」と重たげに口を開いた。
「飲むと…なっちゃうんだもん……」
「?…何になるんだ?」
「…か……赫眼に…」
「なると、不都合があるのか?」
「…赫眼…こんなに近くで…見られて、丈兄を怖がらせちゃったら、嫌だし…」
ごにょごにょと、琥珀は口籠る。
「…丈兄に引かれちゃったら…………やだ…」
それは"喰べた"時の生理的な反応なのだ。
自分ではどうしても赫眼の発現を抑えられない。
だから食べるところを他人には見せたくないと言う。
「………琥珀」
「………」
今更であるそんな理由を、子供じみていると自分でも分かっているのだろう。
現に、頬を膨らまして口を尖らせる琥珀の姿は拗ねた子供そのものだ。
丈は琥珀にコップを持たせると、ぷち、と錠剤を押し出す。
「い、いいよ、丈兄…あとは自分で──」
「…琥珀、口を開けろ」
ここまでくると、琥珀もやはり恥ずかしくなってくる。
普段であればこんなに恥ずかしい行為ではないはずなのに、真面目にされると妙な照れが生まれるのはどうしてだろう。
口を開かされる羞恥心と、その格好の無防備さを改めて実感して琥珀の頬が熱くなる。
嫌いな食べ物を善かれと思って食べさせようとする親とは、こんな感じなのかもしれない。
あ…
あーん。
観念して、琥珀は口を開けた。
丈は控え目に口を開く琥珀の舌の上に錠剤を乗せる。
乗せるまで、仄かに色付いた顔をして、気まずそうに視線を動かす琥珀のその様子を見て、もう少し見ていたいと思った。
…そんなことを言おうものなら、真っ赤になった琥珀に怒られるだろうな、とも。
雛にエサを与える親鳥の心持ちで(少し邪な気持ちも混ざっていたが)、コップの水を口に含む琥珀を、丈はじっと見守った。
こくり。
薬を嚥下する琥珀の白い喉。
見られているというプレッシャーで、琥珀はやや飲み込み辛そうに喉に手を当てた。
はぁ、と窮屈そうに息を吐く。
ゆっくりと流れていく錠剤が食道を通って胃に落ちていくのを辿るように、琥珀の指が胸をなぞった。
「そ、そんなにじっと見ないで…」
「いや…。変わる兆候でもあるのだろうかと思ったんだが」
「な、なくはないけど」
ぺろりと唇に残った水滴を舐める琥珀の舌。
呼吸を繰り返して小さく上下する胸を押さえて、瞳を伏せる。
「何ていうのかな……こう、お腹が温かくなって…」
丈は琥珀の頬に手を当てて上を向かせる。
「…あ、…やだ…」
片手を回して、身動ぎをする琥珀の背を掴まえれば、不安と照れにに揺らぐ瞳とぶつかった。
じわりと赤く色付く右眼。
丈が見詰める間にも赤は益々濃くなり、真紅へ、そして黒へと変容する。
光彩にのみ赤を残して、丈を見る。
「…丈兄、離して…」
丈が任務で相対する赫眼はどれも激しい感情に彩られているものばかり。
しかし今、自分に向く琥珀の赫眼に滲むのは、照れと戸惑いと少しの怯えだ。
自然と、ものの流れのような動作で丈は琥珀のまなじりに口付けをしていた。
「わ…」
「………。」
改めて赫眼を見下ろす。
「…はじめてだな」
「へ…?…な、なに、が…?」
「…お前が何かを、ちゃんと食べるのを見るのは」
琥珀の額に落ちる髪を退けて、指でなぞる。
丈の記憶の中の琥珀が口にしてきたものはすべて、人間の食事だった。
それも、丈の知らない場所で吐き出されていたであろう食事だ。…丈と出会った幼い頃からずっと。
「…そう、だっけ?」
「ああ」
琥珀は戸惑いながら記憶を掘り起こす。
けれど喰種として任務に参加するようになってからなら──、
「か、赫子が──…摘み喰いしてたりは…するよ…」
「口からじゃない」
「…そうだけど…」
丈の手がまたひとつ錠剤を開ける。
「も、もう…自分で飲むから…」
「………」
「そんなに…面白いものでもないでしょ…」
「顔つきがそそる」
「…丈兄…やらしい…」
「男だからな」
開き直りだとむくれる琥珀の口を開かせ、薬を入れる。
琥珀がコップを持ち上げて唇へ付ける。
水を口に含み、喉が上下する。
吐息のような、息が漏れた。
薄く開いたままの琥珀の唇に丈は再び口付けた。
驚いて見開く互い違いの琥珀の瞳──赤を内包した黒い瞳が丈を見て、ゆっくり閉じた。
琥珀の唇を濡らす水滴を舐め取り、舌を入れる。
「…ん、…っ…」
びくりと肩を揺らす琥珀を強く抱き寄せれば、硬直していた琥珀の手が、迷いながらも丈の服を掴んだ。
琥珀の舌と絡め合って、それすらも物足りなくて唇を食む。
浮かされたように吐息を零し、開かれる琥珀の瞳。
焦げ茶の瞳も、赤黒い瞳も、蕩けそうな甘い熱を宿して丈を見上げた。
溢れた唾液が琥珀の口許を伝う。
丈が指で掬うと、琥珀が吸い寄せられるように、ちゅ、と舐めた。
丈の手を抱いて頬を寄せる。
けれど、すぐに動きを止めた。
「………丈兄は…」
「…ん」
「…本当に…怖くないの……?」
この勢いで食べられてしまうとか思わないのだろうか。
赫眼だって本当に怖くないのだろうか。
合わせた眼を、反らされてしまったらどうしよう。
不安と願いと期待とが混ざり合った、消えてしまいそうな声で問い掛ける。
丈を窺うような心持ちで、琥珀はもう一度、丈の目を恐る恐る見詰めた。
近くなった距離から見上げる琥珀の瞳は真剣で切ない。
「………」
丈は今、琥珀に手を取られて、反対の手はその腰を抱いている。
そんな状態で──そんな状態でなかったとしても、琥珀がその気になれば丈の首に噛み付ける。
丈を殺すことなど容易いだろう。
それでも丈は琥珀が恐ろしいとは思わない。
「琥珀は、このまま俺に押し倒されるとは思わないのか」
丈のあんまりな質問に、琥珀はきょとんとした。
しっかりと意味を理解して赤くなる。
「それ、は…、その……真面目な質問…?」
「ああ」
どう答えたら恥ずかしくないか考えた琥珀だったが、何を言ったところで質問が酷いのだからオブラートにも包みようがない。
やや間を置いてから「…丈兄は…優しいもん」と小さな声で言った。
「…怖いことも、痛いことも…しないでしょ…」
「…。気持ちが良いことはするかもしれないが」
余裕というか、動じない丈に琥珀はもう二の句が次げない。
黙る琥珀に、それと同じだと丈は答えた。
「琥珀も俺を囓ったりしないだろう?」
腰を抱いていた丈の手が、今度は琥珀の頬を包み、まなじりを撫でる。
その仕種をくすぐったく感じた琥珀は、未だに顕れたままの赫眼を細めた。
触れ合う肌はとてもあたたかくて、手離し難くて、愛しさを感じずにはいられない。
「気持ち良いくらいなら…囓るかも…」
丈の手を両手で包んで、少し恥ずかしげに人間と喰種の瞳を伏せて。
それから琥珀は幸せを抱くように笑った。


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