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第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -



(1)

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それは突然、降ってきたような自由。

「──久し振りだね、局には慣れてきたかな?」
「はい、良くして下さる方もいてるので…ありがたいです」
「そろそろ次というものを考えているんだが」
「次、ですか?」
「君も良く働いてくれているのでね、ボーナスとでも思ってくれ」
「………。」
「そんな不安な顔をしないでくれ、君も外で過ごす時間が出来れば、それこそ良い休暇になると思ってね」
「休暇…ですか──」
「例えば、一日、家族の元に帰ってみるのはどうかな?もちろん監視に誰かをやることにはなるが」

執務机を挟んだ向こう側で、和修吉時局長は人好きのする笑顔で琥珀に伝えた。


「本当に良かったのか」
帰るのが家ではなくて。
初めての外泊許可を得て、琥珀が選んだのは実家ではなかった。
丈の問いに、琥珀は何でもないことのように答えた。
「いいの。今までのお休みでも、家じゃなかったけど会ってたから。…あんまり、煩わせたくないし」
ベルの音が響いてホテルのエレベーターが開く。
先に琥珀が降り、ボタンから指を離した丈も降りる。
午前中のうちに琥珀は、付き添いの丈と共に実家に顔を出し、午後は二人で街を歩いて買い物をした。
捜査官としての身分を与えられて以来、琥珀には正規の者よりは少ないが、給料も渡されていたらしい。(経費として計上するよりも、身の回りの物は自身で管理しろということだろう)
このホテルの部屋もそれを使って借りた。
靴の入った紙袋をテーブルに置いて、琥珀はベッドに座る。
「あれ以上家に居たらたら、きっと、ずっと居たくなっちゃう」
途中で買ったコートと途中で履き替えたヒール。両方とも脱いで手足を伸ばす。丈兄も座ったら?と隣を叩いた。
丈は座らず、琥珀が買った服や雑貨の入った紙袋を窓際のテーブルに並べた。
ビジネスホテルのために室内はそう広くはない。
窓の外は夕闇に沈み、ビルの明かりと室内が映り込む。
丈の後ろで、たくさんお買い物しちゃった、と笑う琥珀の姿も。
殆どが生活必需品で、趣味のものと言えば琥珀の脱いだコートとヒールぐらいだ。
「お仕事じゃないと、局の外も雰囲気が違って見えるね」
「……そうだな」
体育座りのように膝を抱えて、足先を気にする琥珀の姿がガラスに映り、丈が振り返る。
「痛くなったか…?」
「ん?…ううん平気。それより晩ご飯、食べに行こうよ」
丈が答えるのを待たずに、琥珀は再びヒールを履く。
「たくさん歩いたからお腹減ったでしょ。丈兄は何食べたい?」
コートを持って窓際までやって来ると、「綺麗だね」と窓の外を見てカーテンを引く。
そして、早く行こ、と急かすように丈の腕を取った。


この日一日、琥珀は明るい様子でずっと喋っていた。
久々に会う祖父と叔父に近況を伝え、喰種捜査官としても問題なく働けていると伝えた。
家に泊まれば良いという勧めを断って、午後は早々にホテルを探して部屋を取り、街へ出た。
丈と共に昼食を食べて、公園を歩き、映画を観て、買い物をした。
琥珀は終始、楽しそうにしていた。
周りの誰が見てもそのように見えただろう。
「(…いつからだ?)」
しかし丈は、今日の琥珀に違和感を覚えた。
理由は分からない。
ただ琥珀は、会話を絶やさないよう常に何かしら話をし、次はどうしようかと予定を重ね続けた。
それは、
「(まるで──)」
中身の無い笑顔だった。
「──琥珀、無理して食べなくていい」
暖色系の照明が照らすテーブルには、それぞれの注文した料理が置かれている。
丈の言葉で琥珀が手を止めると、フォークの先の刺さりかかったレタスが広がった。
琥珀は動かず、ワンプレートに盛られた料理に視線を落としたままだ。
量が少ないという理由で選ばれたメニューだ。
「…どうして、丈兄」
夕飯を摂るため飲食店に入り、席に着き、注文した。
間もなく運ばれてきたのは二人分の料理。
昼もそうだった。
丈の前にだけ食事が並ぶのでは寂しいと、琥珀も簡単なメニューを注文した。
「俺と一緒だと、お前を食べられない食事に付き合わせてしまう」
琥珀は弾かれたように顔を上げた。
「無理なんてしてない!ずっとこうしてきたんだからっ!」
驚いた周囲の席の客達が二人を見る。
しかし、丈も琥珀も互いから目を逸らさなかった。
周囲からの好奇の視線にも気づいてはいたが、それを気にするよりも目の前の相手の方が重要だった。
なんで──…
そう、口が動いたような気がした。
丈か、それとも琥珀自身か、どちらに問いたかったのだろう。
琥珀は顔を背けて席を立つ。
「──ごめんなさい…吐いてくる…」
琥珀が立ったことにより再び視線が向けられたが、それも一時で、すぐに本来の空間へと戻った。
丈は溜め息にも似た呼吸を吐く。
琥珀を待つ間、料理に手を付ける気にもならず、ほとんど動かなかった。
暖かな色の照明の下で、綺麗に盛り付けられて、出来立ての香りを漂わせているそれら。
それらを。
琥珀は。
胃に通せても消化できない。
喰種だから美味しいと感じているわけでもない。
そもそも人間しか口にできない。
食べられない。
「………」
「…私ってイタい?…食べられもしない食事を摂る姿は不愉快?…それとも、不快かな…」
丈が視線を上げると、いつの間にか席に戻っていた琥珀が微笑んだ。
「前みたいに一緒に晩ご飯を過ごせたらって思ったの。でもやっぱり…前とは違うよね…」
俯いた拍子に雫が落ちた。
微かすぎるテーブルへの落下音は周囲の雑音に掻き消された。
感覚の鋭い喰種だったなら聞き取れたのだろうかと、丈は思う。
「外に出られたから…縋っちゃったの…。夜になっても局に帰らなくていいから…。戻れたみたい、って」
余りにも自然にぱたぱたと落ち続ける雫に、周囲の誰もが気が付かない。
琥珀がきつく瞼を閉じても落下は止まない。
「馬鹿な考えだってわかってる、でも…もしかしたら…ぜんぶ…全部夢だったら…な…って」
静かに深呼吸をして、唇を噛んで涙を拭った。
怖くて帰れなかった琥珀の家は、部屋は。全て一年前と変わらなかったと言っていた。
掃除がされていて、勉強道具や本、パソコンに埃は積もっておらず、お気に入りの服や靴は今年の流行りと少し形が違うだけで。
けれど、それを身に付ける自分を想像できないと。
着る機会も、もうほとんどないだろうから処分しようかとも。
「…ほんとに、ごめんなさい。一緒にいたって美味しく食べられないよね…」
零れ続ける涙を何度も拭う指。
指が退けられて見えた琥珀の目は赤かった。
それなのに、
「できることとできないこと、分けなきゃね。…昔と今と、全然違うんだもん」
唇を結んで、無理矢理に笑みを作ろうとする。
「…全て、捨てるのか」
「…うん。捨てなきゃ…惜しくなっちゃう…。届かないなら、最初から持ちたくない。…したくない」
琥珀は以前のように二人で食事をしたかったのだ。
けれど空虚を感じてしまう。
「私が頼んだ料理、無駄にしちゃった」
それまでの表情を一転させて、琥珀は明るく、また笑う。
人間だった。
演技だったけれど。
喰種だから。
もう知られてしまった。
普通ではないことを。
普通の食事も、美味しいと思って口にしているわけではないことも、丈に知られてしまったから。
殆ど手を付けることなく終わってしまった食事。
ナイフとフォークを片側に寄せて店員を呼んだ。
申し訳なさそうに、下げてほしいと伝える琥珀。
気分が悪くなってしまい、もう食べられないと──。
「琥珀」
「…ん?」
「出よう」
「え…?」
琥珀が顔を上げる。
「でも丈兄、まだ食事が残って── 」
「今は食事より、したいことがある」
コートと伝票を掴んで丈が席を立つ。
慌てて琥珀も、コートとバッグを持ってついて行く。
二人分の会計を済ませて店の外へ出ると、途端に肌を刺すような冷たい空気が二人を包む。
丈は琥珀の手を掴むと大股で歩きはじめた。
人通りの多い道で丈は何人かとぶつかり、すみませんと謝りながら、それでも歩く速度は落とさなかった。
会社員が仕事を終え、学生達がサークル仲間と店先で落ち合う、そんな賑やかしい通りを歩いていく。
「た、丈兄…っ、どうしたの──」
「………」
「なんで急に…、それにしたいことってなに?」
「…昔とは違うことだ」
「そ、それじゃわからないっ…」
だからなんなの?と、小走りになりながら手を引く丈に尋ねた。
駅前に差し掛かると人通りは更に増えた。店の呼び込みやチラシ配り。車の交通も。
信号を待つの人々の停滞、その後ろで丈は立ち止まって、振り返る。
突然のことで琥珀は止まれずに丈の胸にぶつかった。
その耳許に顔を寄せて、丈は低く囁いた。
「───、」
見上げる琥珀の頬が赤く染まった。


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